雑に生活し始めると何だか自暴自棄というか、全てがどうでもよくなってくる。
外食ばかりが都合により続くとクソみたいな食事に大金をはたいて馬鹿馬鹿しいなと思えるし、今ある物を大切に出来ず不注意などにより駄目にしてしまい、本来ならば払う必要のなかったお金を掛けることが嫌でたまらない。
ケチとか守銭奴とかそういう訳でなく、うまく自分の世界を回せてないことに対する不快感みたいなのが積み重なってくる。
全てを意のままに、全てを自分の心地良い状態に運ぶなんてことは、この世の中でなかなか難しい。必ず外部からの何かしらの圧力により、ペースが乱され掻き回される。
もし全てを自分の管理下に置きたいのならば人里を離れ、自給自足に生きていくしかない。
人と会うのも用事がある時のみで、家族を作りもせず孤独に生活をしていくしかない。
自分はその方が性にあうのだろうが何もかも捨てる努力をすることも、何処かへ自由を求めて行く決意をすることも面倒で無理である。
全てを受け身に、あるがままに生きてなるべくひっそりと生活している。
予定が一つ増えるごとに、厄介ごとが増え、新たな知り合いが出来るごとに面倒な作業も増していく。
それよりも引きこもり数多くの書に囲まれて、横になって過ごしたい。
筒井康隆氏の『旅のラゴス』中に出てくる、ある王国の話。
巨大なほこらに引きこもり、その中には世界中の書がかき集められているため、何十年と読書をしようが読み終えることはない。
貪るように読み続けるその環境に憧れを抱いた。
そんな環境ならばどんなに悪書であろうと、我慢しながら読むだろうし、外部からの厄介ごとに掻き回されることもないため、本の世界に完全に入り浸ることが可能となる。
ここ数年、自己の世界、精神世界、内部のことばかりに目を向けている。他人なんて泥人形の様なもので一切関心を持てない。どうてもよい、それこそ生きてようが死んでようが好きにしてくれという状態である。
一定のペースで心と身体をメンテナンスしながら生きていきたい。