人は「食べるために生きる人」と「生きるために食べる人」の二手に分かれるらしい。
これについて確かにと納得させられた。
因みにこの話題は先日読んだ旅行者の朝食 (文春文庫)に出てきた。
作者の米原さんは東京外国語大学出身のロシア語同時通訳家である。またノンフィクション作品も多数出版されており、著者としても有名であった。残念ならが2006年にお亡くなりになられている。
自分は間違いなく後者の「生きるために食べる人間」である。
昔から食事は栄養補給としか捉えておらず、一切飲み食いにこだわりも、楽しみも見出だしていない。
よく、どこどこのラーメン屋がうまいから食べに行くみたいなイベントを企画する友人が大学に数名いたのだが、ついては行くが腹の底から食べたいと思っていたことはない。
食べたくて行っていたわけでなく、暇だからついて行っていた。
そんな感じで過ごしているので猛烈に○○がどうしても食べたい!と熱を持つことがない。
日本の伝統文化である一汁一菜でいい。
毎日これでも全然平気である。
味噌汁に野菜をふんだんに入れ、時たま肉を入れてもらえれば満足する。
焼き魚が何日かにいっぺん登場し、三品になればもうとんでもない贅沢な食事となる。
一汁一菜でがどれだけ素晴らしいかについて知りたければ以下の書を読むべし。
一汁一菜でよいという提案
この生きる目的の話は、仕事においても言える。
働くために生きる人と、生きるために働く人。
この二手に分けられよう。
こちらにおいても自分は後者の、生きるために働く人である。
要は生きることが最優先であり、他のことは全てその補助にしか過ぎない。
ただ例外があるとすれば、本を読むために生きるというのは当てはまる。
しかし、生きるために本を読むという人はいるのであろうか。
苦しみながら働いているサラリーマンがビジネス書にすがっている姿が目に浮かぶ。
話はだいぶ逸れてしまったが、
「食べるために生きる人」と「生きるために食べる人」との分け方は実にうまいなと思う。
- 作者: 米原万里
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2004/10
- メディア: 文庫
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