思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

全員から好かれるのは無理なので諦めましょう。


他人から嫌われることを極度に恐れる傾向が、かつての自分にはあった。
周囲の人間の顔色を伺いながらの生活は、精神的にくるものがあり、少々心が病んでいた。

相手を立てるために、知っていることでもわざと知らないフリをしたり、出来ることも出来ないフリをして道化を演じて生きてきた。
それは小学生の頃より既に始まっていて、中学、高校とその生き方は続いた。

とにかく誰かに悪く思われることが怖かった。


アビ太郎はいい奴だと言われ続けるために生活していた。

【目次】

誰かに好かれても、誰かに嫌われる

だが、残念なことに全員から好かれるというのは大変に難しい。
嫌味を言わないことや、感じの悪い対応をしないことを自分なりに続けていても、絶対に自分のことを良く思わない人間は現れてくる。普通に接しているつもりでも、相手にはそう受け取ってくれなかったり、急に噛み付いてきたりする。


合わない人間とは距離を取るしかない

で、合わない人間とどう折り合いつけ生活していけばよいのか?
それは距離を取り、必要以上の関わりを作らないことに尽きる。それ以外の手立てはない。
無理に会話をしたり、関係性を持っていくと、仲が更にこじれていく可能性が高い。文字通り、触らぬ神に祟りなし、の状況であり、放置しておくのがベスト。


何か言われても流しておく

距離を取っていても、間接的にその人物から何らかの攻撃を受けることもあるかもしれない。
受けた時は、無視で済ませるレベルのモノであれば流していこう。1つ1つに反応して、反論したり、説得しようなど時間と体力の無駄でしかない。
こういう人なんだなと、割り切っていこう。


ネット上の付き合いも、諦めが肝心

インターネットの世界こそ、互いに顔が分からないために、現実よりも厄介な相手に悩まされる可能性は高い。匿名性を利用しての攻撃だ。
ネットを通じて仲間や知り合いを増やす行為自体は楽しいものであるが、合わない人間と無理に関わっていてもいいことはない。
Twitterであれば、ミュートやブロック機能を活用していこう。付き合う相手は選んでいくべきだ。


諦めておくと心が楽

人間の数だけ、考え方や生き方があるわけで、うまく全員と付き合っていけなくても仕方がない。無理な話なのだ。
以前書いたことがある、生き方の方向性の違いなだけで、相手が心底極悪人というわけではない。
自分には絶対に無理な相手でも、その人が普通に結婚して配偶者がいるという事実を知ると「あんな人と生涯を共にしようと思える人間がいるんだな」と驚いたりする。
自分には合わなかっとしても、その人と合う人間が世の中にはいるということが分かる。

やっぱり人間的方向性の違いか、と諦めることが出来るようになるだろう。


あまり合わない人間を見極めて、距離をつくって生きていこう。