僕がブログを書く目的はいくつかある。
その中でも1番に考えていることは、ブログを読んでもらうことで少しでも生きやすくなってもらえたらいいなということ。
【目次】
文章の力は素晴らしい
たった1つのフレーズや言葉に出会うことによって、人生が変わるような思いをすることがある。
そういった体験とまではいかなくても、辛い日常から解放されてくれるといいなと考えている。
僕は、いつも周囲の人間の目とか評価を気にして生きてきた。
また、世間一般で常識と考えられているルールにきつく縛られた生活を送ってきた。
周りの価値観に従わなければならないとか、親の言うこと考え方は絶対で自分なりの解釈を持つこと自体が許されない感じの十代とかを送ってきた。
その結果、頭を遣うことが無くなり、とにかく周りから気に入られるように動かなければとか、みんなが良いと言うものを良いと言えるようにならなければ、とかの思い込みを強く持っていた。
自分の好きなことや居心地のいいことを手放すのはつらい
他人に合わせることを続けることは、自分の価値観や人生観を封印する行為につながってくる。
誰にも理解してもらえないようなことは全てやめてしまい、世間の流行とかばかりを追うことに懸命になっていた。
好きなことや居心地のいいことが出来ない日々で、なんだか自分を見失ってきた。
本が救ってくれた
周囲の価値観に左右され続け、自分の軸なんてものは一切なく、浮遊しながら生き続けた。
買えと勧められたものは、とりあえず買い、ダメと言われたことは、やめてきた。
そんな時、本の世界に出会った。
読書は小学生の頃は熱心にしていたが、中高に少し、そしてそのあとは全くといっていいほどにしなかった。
様々なジャンルの本を読んでいくなかで、自分の価値観や人生観を大切に生きてもいいんだなということが分かってきた。
常識は一時的なもの
時代や場所によって、常識というものは全く異なる。
例えば、中世ヨーロッパで行われていた瀉血(しゃけつ)。
体内の悪い成分を外部に出す目的で、血を抜く医療が行われていた。
これには何の医療的根拠もなく、効果があるかどうかは定かではない。
今はほとんど行われていないが、当時は瀉血が頻繁に行われていた。
もっと有名なところで言えば、地動説か、天動説かの話も挙げられる。
天体が地球の周りを動いていると信じられ続けた。しかし、本当は地球のほうが回っているということが、今の常識となっている。
間違いないと確信していたことが、年月をかけて変化していく。
そう考えると、常識などに縛られて身動きが取れなくなっていることは酷く馬鹿げたことに思えてくる。
様々な価値観に触れていく
本を読むことで自分のなかで変化が得られたように、ブログを読むことでも得られたらいいなと感じる。
ここ最近は、本を読むより、ブログなどのネット上の文章を読む機会が増えた。
面白い考えやアイデア、行動をおこしている人々が沢山いて、飽きることがない。
また、自分の好きなことを好きなままでいいし、どんどん表現していくべきなのだな実感した。
気になることは徹底して調べたり、そこから自分なりの解釈が出てきたらそれを文章にしたりして、自分なりの価値観も出していく。
お金を稼ぐためとかよりも、そうやって自分の考え方とかを書いていき、それがどこかで誰かと繋がればいいなと思う。