何事も飽きやすく長続きしない反面、本当に楽しめることに関しては、コツコツと小さな積み重ねをすることができる。
一気にババっとハマって試行錯誤はしてみるが、見切りを付けるのも早い。
これでは何も実績を残すことが出来ずに、スティーブ・ジョブズの言うところのコネクティングドットとは程遠いのではと危惧していた。
だが、何かの節に、過去の経験とかやってみたことがボチボチと役立つ瞬間も訪れる。
そんな折には、「何事も経験だね」と実につまらない一言を吐き出したくなる。
【目次】
「熱しやすく、冷めやすい」
学生時代より、頻繁に周囲の人から言われていた。
何かを始める時は、それこそ周囲を巻き込んでのスタートなのだが、辞める時は誰よりも早く立ち去る。そして、周りがようやく楽しみだした頃には別の物に熱中していた。
そんな感じに生きているので、とにかく1つのものだけに集中するということが苦手だ。
ちょっと作業を始めてみるも、すぐに別の物に意識が向かい、そっちを始める。
なんでも飽きる
1冊の本を読めない
これは読書においても言えている。
1冊の本をじっくりと読むことがとにかく苦手だ。手元には必ず、5、6冊の本を並べている。飽きた時、少し疲れた時に別の本を読めるためにだ。
飲み会や食事会なども飽きる
最初の1時間から2時間近くまではどうにかこうにか、気持ちを保てるのだが、それ以上は本当に無理である。1度意識が離れてしまうと、それ以降、周囲の人の言葉が耳に届かなくなる。曖昧な返事と相槌だけを繰り返し、また、早く帰りたいオーラを無意識のうちに発してしまう。
そもそも、誰かの話をじっと聞き続けることが出来ない
学校の授業ほどの苦行はなかった。
他人の話を黙って聞き続けることが出来ないので、椅子に座って黒板の文字をノートに写しながら、ひたすらに話を聞き続けるのが最高に辛かった。ほとんどボーッとしていたし、内容が頭に入って来ず、「何か言葉を話しているな」ということを認識するのが精一杯だった。
黙って聞く、受け身の授業は辛いだろうからと、たまに気を利かせたつもりの先生が、唐突に質問を生徒たちに降り始めるのも苦手だった。頭が一切稼働しておらず、そもそも何をしているかを把握してないレベルなので、その質問の言葉の意味が全くない分からないことが多々あった。
複数のタスクを同時進行しなくとも、幾つか用意しておくのがベスト
何か1つをじっと作業する(とくに興味関心が一切無いものについて)ことが、困難なので、ちょっとでもやりたい別のことが心に出てきた時にそちらに向かえるような環境を作っておくのが、ある意味集中力を保てるのではと思っている。
受験勉強などに関しては、1つのことを粘り強くやらねばならないので、勉強以外のタスクは排除せねばならない。
だが、そこまでに制約の強いものでない場合は、あっちに行ったりこっちに行ったりを繰り返しながらでいいと考えている。
自分は本を読みながら、ネットで調べものをして、今後の予定をメモしながら、ネットオークションの出品の準備をしたりしている。あとは、部屋を片付けて、料理をしながら、メールの返信をしたり、ブログを書いている。食品の買い出しに行き、図書館で本の返却を行い、古本屋で100円棚を漁る。
何もしない、ということが苦手
そんな感じに常に何かをしながら生活しているので、なんというか心休まる時があるない。いや、別に好きで動き回っているので嫌になる瞬間とかは無いのだが、「何もしない」ということの難しさを感じる。
自分は多動症の一種なのだろうか。
人はたいしたことをしなくても、忙しさを感じるし、充実感を得られるものだ。