消費欲が、全ての原動力になるという考え方は理解している。
何かを買いたい、欲しい、という目的があることで、人は労働意欲が湧くし、活動的になれるということ。
だけれども、労働意欲という概念そのものがあまり理解出来ない。
そんなものをわざわざ用意しなくとも、生活費を稼ぐために職場に出向くことさえしていれば、それはもう労働意欲があるという状態になるんじゃないだろうか。
休日を返上してまで、毎日働き詰めればそれが労働意欲が高いということを示す条件になるのだろうか。
それは会社にとって都合の良い人間ということになるってだけなんじゃないかなとか、考えてしまう。
また、そこまでして働いていると体調を崩して風邪になってりしている人を何人も見掛けている。
時間という目には見えない概念に関しては、誰も価値をあまり見出さない。
お金はあればあるほどに良いものというのは分かっているが、自由な時間もあればあるほどに良いと思うし、そういった余剰がなければ、退屈な人間になっていくなという感覚がある。
なので、労働意欲の話を出すのならば、どうやれば豊かに暮らせるかということを工夫していける知恵を持つことが大切だと思っている。うまく言えないけど、そんな感じ。
ただ単にガンガン自分の時間を減らしていくことが、労働意欲が高いという訳ではないし、不必要な物をガンガン購入して消費活動していけばいい訳でもない。
自分はやる気がないし、仕事はどうでもいいと思っているし、気持ち在りようを軸にしていないので、感情が全てと思っている人々とはあまり理解し合えない。
優先順位を冷静になって判断してみたり、必要最小限の行動でタスクを終了させていくにはどうしたらいいかとか、日常を作業的に通過させていっている感じがある。
それが1番精神的に安定しやすいし、余計な疲れを生み出さないので、体調も崩れにくい気がしている。
淡々と生きていきながら、あまり働かないで済むためにお金をあまり遣わない生き方を選択していくかな、このまま。