子ども頃、とにかく食事の時間が嫌いだった。
食卓につけば、学校の勉強のことについてとやかく言われ続けるからだ。
食事が始まるとすぐに全てを胃に流し込んで、食事を作業の様に終えるようにしていた。
その頃の影響からか今でも食事に興味が無いし、そもそも面倒だとしか感じない。
作る楽しさには目覚めたが、食べることは割りとどうでもいい。
基本的に自分の部屋に閉じこもりっきりで10代を過ごした。
インターネットの回線も引かれておらず携帯電話も持っていなかったあの頃。
僕が部屋の中で出来ることは限られていた。
多量に買い込んだ漫画の山を何度も読み返すこと。
漫画の気に入ったキャラクターやシーンを模写すること。
小説を読むこと。
短い物語を自分で書いてみること。
休みの日に誰か友だちと遊ぶということも数える程にしか無かった。
全てが無気力で、何の才能も結果もなかった。
勉強も出来ず、スポーツも出来ず、女の子にモテることもない。
ないない尽くしで、自信を持つことなんて生涯無理だろうくらいに潰れていた。
その頃の自分は、居場所が無くて孤独を感じ続けていた。
どこにも馴染むことが出来ず、本当に心を許し合える友人を持つことも出来ない。
とにかく苦しかった。
それでも、懸命に日々を生き抜いていたと思う。
今は、あの頃に比べれば明らかに幸せだ。
辛いことや苦しいことや、嫌なこともそれなりにはある。
完全にストレスゼロの生活を迎え入れることはできていない。
だけど、自分の頭で考えて、それに従って行動を取るという生き方は出来るようになった。
それだけでも自由が得られた気がしている。
過去の自分を否定しても、それも自分の一部だったわけで、消し去ることはできない。
また、消し去ろうと考えることは間違い。
人生は過去からの不断の一本道であり、色々と遠回りしたり立ち止まったりしながらも、続いてきている。
その頃に感じたことや、思ったこと、見たこと、聞いたこと。
それらの要素が絡み合って、今の自分が形成されている。
何か1つでも欠けていたら存在していないのだろう。
そう考えるようにすると、無駄な時間なんてものは無かったことになるし、どれだけ地獄の苦しみを味わったとしてもそれが今に活きていることになる。
自分に無い物だけを追い求め続けてきた。
出来ないことばかりを見つめてきた。
出来ることや知っていることは、役に立たないことばかりで何の意味もないんだと絶望していた。
だけど、そんなことを言い続けて1人で過ごしていても、何も変わらない。
そう考えてからは、あらゆることに挑戦し、あらゆる人間に会ってきた。
それでもまだまだ足りないなと思う。
世の中には面白いことがもっとあるはずだし、それを知らないまま生きていくことはもったいない。
10代のころに辛かった理由は、世間を知らなすぎたということ。
目の前の現実しか知らなかった。
もっと外があることを考えてもみなかった。
学校が全てだったし、家が全てだった。
大人は、親と学校の先生しか存在していなかった。
無知であることは、本当に辛い。
今も十分に無知だけど、無知であるという事実をしっかりと理解出来ている。
当時は、無知であることをも理解出来ていなかった。
人生の限り在るリソース。時間、体力、生命。
それをどう遣っていくか。
それを考えていきたい。