思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

ぼくたちは、どう生きるか。


何をすべきか。

とりあえず何もしないでもお金を得られるシステムは間違いなく欲しい。
それさえあればクソみたいな仕事に固執しなくていいし悩みも減る。
時間の売り切りが1番辛いんだよな。
まあ、この感覚を理解してくれる人は少なくて、話してみたところで、コイツはダメだなとか、変なやつと認識されるオチが待ってるけど。
今の現状に満足することはいいことだし、足るを知るという意味ではいいと思う。
だけど、それは同時に思考停止でもあるんじゃないのか。
好きなことにはお金を割いて、望んでないことには支払わない。それを守っていく。
きちんと日々、金銭管理をしなくても貯金はできるはず。
無駄なものは支払うその時点で分かっているのだから。
お金の多寡が幸福とはイコールではない。お金のかからない楽しみを沢山見つけだしていくことで、より自由で面白い人生を作っていけるんじゃないのか。
人狼なんて人が集まりさえすれば出来てしまい、そのくせ奥が深くて頭を遣う競技でやばい。
休みが多くなればなるほどに、お金を多量に消費していくようになってしまい、破滅ロードを突き進む人たちが一定数いるそうだ。それは、だいぶ生きづらい思考だなと感じる。
自由な時間を手にしても、幸福をつかむのに、限りある資産を消費していかねばならないという制限付きの生き方。

終わってしまったことを引きずっていても良いことが1つも無いので、今からどうしていけばよいかを考えていく。
短期的に結果を求めずに、長期的な時点で自分が好きなことを上達させていき、訓練していく。
定年後になにかをはじめてみても、年寄りの冷や水になる可能性は高く、若い頃から果敢に挑戦し続けていくことで能力は磨かれ、玄人の域に入っていく。
そうなって初めて楽しいと思えるようになるのだ。

この世は沢山の選択肢が存続していて難しい。
このような手順でやっていけば必ず上手くいくというロールモデルがない。
見せかけのものは沢山あるけど。
まず、考えること、分析すること、それ自体の定義が曖昧。
どこでどのように資料を集めて、それに対してどのように考察すればよいのか。
そもそもどの程度集めたらよいのか。
誰かに話を聞くのが早いのか。
では、どこで出会えるのか?
そのイベントそのものをどこで見つけ出せばよいのか。
1つずつ検証してみて、グレーな状態のまま、自分はこうだと思うと、思い込みに近い形で断定していくしかない。
頭が良くなりたいし、まともに思考できる人間になりたい。

世の中のことをきっちりと理解していくつもりがあまり無くて、6〜7割くらい把握できたら良しとしてしまう癖がある。
理解度を追求しようとすれば、それは限りがない。また、用語や関係性を正確に記憶にとどめることが、理解なのかと言えば違う気がしている。
調べれば出てくるような情報を一つひとつ、頭に叩き込むメリットをあまり感じ得ない。その労力は本当に必要なのかなと疑問を抱いてしまう。
しかしながら完璧を求める人間は多い。
何もかも正確に暗記している状態が素晴らしいと考えている。
そんなことは無いと思うのだけど、完全に反論できるほどに賢くないので何も言えない。

生きることは常に不安定で、自分が信じた道をまっすぐと歩き続けることが困難な場合が多々ある。

何をすべきかなのか。
何を考えながら生きていくべきなのか。
答えは出ない。