どうも、あびこです。
映画『ロリータ』を鑑賞しました。
豊かな才能に恵まれ、そのスマートな魅力でいつも女性の憧れの的である、大学教授のハンバード。異国の地アメリカに渡った彼は、下宿先としてある未亡人の家を選んだ。部屋に荷物を下ろし、ふと庭を眺めた彼は、12歳の娘、ロリータに姿に釘付けとなってしまう。そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、やがてロリータは彼を挑発しはじめるが...。
『ロリータ』を鑑賞。12歳の少女に恋をした男の悲劇の物語。本来愛すべきでない相手を選ぶことの代償は、大きなものになることがよく分かる作品。過ちの道を進んでしまっていることに気付きながらも後戻りはできないのだった。#アマゾンプライムビデオ pic.twitter.com/u7W6mMtyo4
— あびさん@はてなブロガー (@abiabitarou) 2019年1月25日
ウラジーミル・ナボコフによる小説『ロリータ』の映像化作品です。
この『ロリータ』が、ロリータコンプレックスといういわゆるロリコンの語源となっています。
有名過ぎる小説だったので読もうと思っていたのですが、映画のほうを先に観ました。
感想を書きます。
- 幼い相手に振り回されることの悦び
- 自分を好きでいてくれないことへの葛藤
- 常に失うことへの恐怖にかられる
- 手に入れられなくても愛を消すことはできなかった
- 愛すべきでない相手を愛してしまったがゆえの悲劇
- 文学的な作品でした
幼い相手に振り回されることの悦び
とにかくロリータはわがままし放題です。まだ12歳という幼年ではありますが、子どもが大人を困らせる普通のイタズラなどでなく、どこか官能的といいますか挑発的な行動がかなりあります。
相手が自分のことをかなり好いていると見越したうえでの言動といった感じですね。
そして、主人公ハンバードはどんどんロリータの魅力にはまっていきます。
常に振り回されながらも、その困惑のなかに悦びを見いだしていることが分かります。
自分を好きでいてくれないことへの葛藤
ただワガママなだけならいいのですが、ロリータは自分の心に忠実であり、また、いつも何を考えているのか分からない不思議な子です。
ハンバードは推定年齢42歳くらいで、ロリータは12歳。少なくとも30歳は離れています。その年の差で相手に自分のことを恋の対象として見てもらい続けるのには無理があるに決まっています。それでもどうにか自分ことをずっと好きでいてもらいたい、ずっと側にいてほしいと思い、ロリータへの束縛がきつくなっていきます。
常に失うことへの恐怖にかられる
ロリータは物語の後半で、とある劇作家の中年男に連れ去られてしまいます。
実はロリータはこの劇作家と恋仲にあり、影で密会を重ねていたのです。
常にロリータを失うことに怯えて暮らしていたのですが、それが現実となるのです。
ハンバードにとってロリータは人生そのものでした。生きる意味をうしなったといってもいいほどに失意の底に落とされてしまうのでした。
手に入れられなくても愛を消すことはできなかった
ロリータが失踪してから3年後に、ロリータから1通の手紙が届きます。
その手紙をきっかけに再会を果たすことができるのですが、そこで出会ったロリータはかつての輝きを完全に失い、魅力がもうありませんでした。ですが、それでもロリータを愛している自分にハンバードは気付きます。
もう一度やり直そうとロリータを誘うのですが、ロリータはすでに結婚をし子どもを身ごもっていました。劇作家でなく、とある青年と夫婦になっていたのです。
そして、ロリータを失うきっかけをつくった劇作家への復讐の炎がハンバードのなかで燃え上がります。
拳銃を片手に、劇作家の自宅を訪ね、息の根を止めることに成功。
ロリータを失った事実は変えることもできず、また、その悲しみを癒やすことにもならないのを分かったうえでも、劇作家を憎んでいたのでした。
それほどにロリータへの愛は深かったのです。
愛すべきでない相手を愛してしまったがゆえの悲劇
ハンバードが12歳という幼い子に本気の恋をしてしまった。
そしてロリータは身近にいた自分に恋心を抱いている歳上の魅力的な男に少し興味を持って近づいてしまった。
たったこれだけのことだったはずが、2人に悲劇の運命を辿らせてしまった。
ハンバードは罪深かったのだろうか?
僕にはそれがわかりません。
人を愛することへ純粋すぎただけなのではと思います。
実はハンバードは少年時代に年下の14歳の女の子アナベルと付き合ってた時期があります。ですが、その4ヶ月後にアナベルは亡くなってしまいました。
そして、そのアナベルの面影をロリータに見出していました。
その失った愛を再び実現しようと、心を動かされてしまったがゆえに招いた物語だったのです。
文学的な作品でした
『ロリータ』は、さすが世界文学の最高傑作とまで言われた小説の映像化作品という感じがありました。大変文学的な内容であり、観た後には、様々な想いを巡らせたくなる出来栄えでした。
ちなみに、1962年に スタンリー・キューブリック監督が撮影した『ロリータ』が映像化の第一弾です。1997年版は2度目の映像化作品なのです。キューブリック監督の『ロリータ』は、当時の検閲の規制により堪能的な振る舞いの表現は許されず、原作とはまったく異なった人格の少女として登場しています。原作の小説に忠実な『ロリータ』は、今回のぼくが鑑賞した1997年度制作のほうです。つぎは、キューブリック監督のほうの『ロリータ』も鑑賞してみようかと思います。
以上、『ロリータ』(1997年)を観た感想でした。