思考拡張日記。

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【感想】映画『回路』 黒沢清監督 【考察】

映画『回路』観ました。

回路

回路

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

一人暮しで平凡なOL生活を送るミチ(麻生久美子)。ある日、ミチの同僚が自殺。勤め先の社長は失踪。次々に友達が、家族が消えていく……。一方、大学生活を送る亮介(加藤晴彦)にはインターネットを介して奇妙な現象が起き始める。 胸騒ぎを感じた亮介は、同じ大学で奇妙なインターネット・サイトを研究している春江(小雪)に相談を持ちかけるが……。


2000年の作品。
今から20年前。ひと昔前ですね…。

パソコンやインターネットがまだまだ一般的に普及しきっておらず、ネットの世界が不気味だった頃ですね。

2ちゃんねるとか犯罪の温床というイメージでした。まだ完全匿名性の頃かな…。

インターネットの世界の
顔をつきあわせた付き合いじゃなく、顔も知らない何処かの誰かと繋がるということの危険性や気持ち悪さがよく表現されているなという感じでしたね。

幽霊の正体

これはインターネットの向こう側にいる人々のことでしょう。
あなたのことをパソコンの向こう側から見ているということ。
直接関わり合っているわけではないけど、同じサイトや掲示板に一緒に存在はしている。
見えない誰かと繋がることで、孤独は深まっていくという。

そこに人の気配はあるけど、誰とも関われない時って、1番孤独を覚えませんか?

シミの表現

そこに確かに存在はしているけど目には見えない相手。幽霊とほぼ同じでしょうが、掲示板の書き込みとかがシミに当たるんじゃないでしょうか。

赤いテープの部屋

現実とバーチャルの世界の境界線ですかね。
インターネットの世界に取り込まれてしまった人たちの空間というか。
「長い長い孤独だった…」と言ってくる幽霊の男がさいごには登場してましたね。


春江(小雪)が部屋で見た透明の存在

春江(小雪)が自分の部屋で、見えない誰かを見つけて側に寄っていくシーン。

「1人じゃなかったんだ」みたいなことを嬉しそうに言っている姿が、パソコンの画面に映し出されている。

画面の向こう側にも、誰かが存在していることを知ることが出来たってことですね。

『回路』は、まだまだネットの世界が不透明だった時代の話

今現在だとこの作品はなかなか感覚として捉えにくいんじゃないかなと思いますね。

カメラ通話が当たり前ですし、様々なSNSやLINEがあるのでぐっと互いの距離が近くなった。
逆に匿名性の維持が難しい時代です。
簡単に身元が割れますからね…。

ラストの意味

インターネットという新しい文化が世界を崩壊させてしまうのではないか。
どこに自分たちは向かっていけばいいのかが分からない。


といった、印象を受けました。


少し話が変わりますが、『〜北の国から〜2002遺言』で五郎さんが大介のケータイ電話を川に投げ捨てるシーンを思い出してしまいました。

「顔も声も知らない相手と付き合うって、どういうことだ…? 付き合うってそういうことじゃないだろ…?」

と五郎さんが、メル友と恋愛関係になっている大介を説教する場面。

まとめ

生身のコミュニケーションを取ることを避け、パソコンの画面を見続ける不気味な姿は、死んでいるの生きているのか分からない。 幽霊と同じということですね。

そう考えると、今のインターネットはずいぶんと明るい方向へといってくれたなーという印象。


『回路』は、色々と考えさせてくれる良作でした。