思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

性格の裏表をうまく作れない。


性格の裏表を作ることが出来ない。

好きなモノや人に対しては好きという表現をあからさまにするし、嫌いなモノや人に対しては割と露骨に出てしまう。

露骨にといっても、さすがに横柄な態度で接するとかではないが、話そうとしないとか、挨拶だけしてその場からすぐに立ち去るとか、相手の雑談をうまくかわす、とかである。

態度を180度変えられる人はすごい

さっきまで悪く言っていた人に対し、いざその人が現れると真逆のリアクションで接することができる人は結構いる。
今までしていた話はまるで嘘だったのではないだろうか、という位の変貌ぶりに驚かされる。そういうことが上手く出来る人が世渡り上手と呼ばれるのだろう。


嫌いな人と接せない

なんかこの人は無理だな。。と一度感じてしまうと、とことん無理になる。
少しは良いところもあるとか、自分の思い過ごしじゃないだろうかとか、色々考えてみたりは一応するのだが、人の好き嫌いなんて直感的な、感覚に頼ったものなので、思考で抑えつけるのはどうも難しい。

無理に関わっても疲れるだけ

愛想よくして、無理に積極的に関わりに行くとかする必要はない。
最低限のマナー。挨拶するとか、ありがとうとか、ごめん、位のことを言えれば、あとはもういいんじゃないだろか。

上手く裏表を操れる人ならば、関わり続けてもいいかもしれないが、そんな努力をしてまで関わらなくてもいい。

感覚の合う人たちと過ごせば楽しい

仕事上で必要だったり、家族だからとか、親戚だからとか、友達だからとか、等の理由により、嫌でも関わりを持ち続けねばならない状況ってのも多々あるだろう。

だがそんな時に、感覚の合う人たちが少しでも周囲にいれば、随分と精神が楽になる。
それはすぐに会える距離の人でなくてもいいし、むしろ会ったことがまだない人でもいい。ネット上に、1人か2人、そんな相手がいるだけでも、結構ちがう。


もうとりあえず、うまく生きることは諦めてきた。

考える生活を送る。


何かをしても、しなくても、平等に時は流れていく。


会社勤めをしていると労働と余暇の線引きがはっきりとしている。
仕事に行く日以外は、何をしていてもよく個人の自由であり、それを会社に制約されるものではない。

その自由をどう扱うかによって、自分の将来というか、生きる方向は随分と変化していく。


【目次】

生活がルーチンワーク化されていく

ご飯を食べて、寝て、何処かに出掛けて、買い物をしてといった、日常。
その日常に自分から手を加えなければ、ルーチンワーク化されていく。
新しいことを始めたり、行ったことのない所へ出掛けたり、新しい知り合いを作る、みたいなことは能動的、活動的で無ければ出来ない。
相手から来るのを待っていたり、誰かに連れて行ってもらえるのを待っていたりするだけでは、その日が訪れる可能性は低い。

考える生活を手にする

決まり切った日常から脱するためには、自分でやってみる、ということが大切だ。

例えば、親と暮らしていて、掃除、洗濯、料理、といった自宅のことを全てやってもらっているとしよう。
また、働いて得たお金は全て自分のお小遣いにしてしまうとしよう。
それでは、自分の人生を生きているとは言い切れない。
他人に全てを管理してもらい、任せっきりの状態では、頭を遣うことがない。


お金で解決しない生活に慣れよう

世の中の面倒ごと、煩わしいと感じる作業は全て、お金を払えば、誰かが肩代わりしてくれる。
お金を出せば出すほど、自分でやってみる必要がなく、代わりの人間が働く。

お金を遣うことは頭を働かせる必要がなく、とても楽だ。

支払いをなるべく減らして、自分でやるとなると、頭を遣わなければならない。クリエイティブにならなければいけない。


何もしなくてもいいけれど

人は過去からの積み重ねで能力が磨かれていくし、また育った環境で大きく影響を受けて育っていく。大きく目標とか立てずに、流されるままに生活し漠然とした人生でもいい。
だけれども、周囲にいいようにされたり、誰かに操られたような生き方をしたくなければ自分で考えて行動しなければならない。

夜更かししても、パフォーマンスは悪い。

以前は夜が好きだなと思っていたけど、夜に出来ることってたかがしれている。
というか、かなり生産性は低く、やってもやらなくてもいいような、時間を潰すだけの作業をやり続けることのほうが多い。

疲れが溜まっている

朝から活動しているから疲れも溜まっていて、思考力も低下している。
そんなパフォーマンスの悪い状態で、何かをしようとすることが無理である。

さっさと翌朝に向けて睡眠を確保するほうがいい。夜遅くまで起きていても、電気代がもったいないだけである。いつまでも部屋の電気をつけて夜更かしをすることは、文明の力を使い、自然の摂理に反した行動を取っているような気持ちになる。

少しでも1日を長く感じたい

その日が終わってしまうのがもったいなくて、少しでも長く1日を感じていたい、という思いから夜更かしをするのだろう。だが、朝を捨てる方がもったいないと思う。


終電過ぎまで飲み明かして、始発電車で帰っている人たちとかを見ると特にそう感じる。これでこの人は次の日を丸一日無駄に潰してしまうんだろうなとか。

睡眠は必要


睡眠は肉体的疲労を回復させ、又、思考の整理も行う。寝ているあいだに、脳内では余計な情報を捨て、必要な記憶の定着を図る。

睡眠を必要としない生物はいないわけで、自分の生命を支えるためには、必ず眠らなければならない。

スマホでばかり文字を読んでいる。

最近、スマホで延々と活字を追う作業をしている。

気になるブログを見付けたら延々とエントリを遡って読み続けたり、ツイッターのタイムラインも眺め続けたりという感じに。

本を読むことも好きだけど、電子書籍に抵抗感が薄くなってから、ネット上の文章もそこそこ読めるようになってきた。

本は紙じゃないとダメ、というこだわりが消えた

以前は、紙媒体じゃないと文章は読みたくないとか強いこだわりを持っていたのだが、どうでもよくなってきている。
本を買うのも、電子版を選択することが増えてきた。

本を持つことよりもスマホで完結させられるのが良い。まず、所有物を極力増やしたくないので物質として存在しない形式がとても有難い。紙で買ったとしても、大抵はすぐに売ってしまう。ヤフオク!かamazonかブックオフかで処分する。

読み終えたら売ってしまう

余程気に入った本以外はすぐに手放してしまう。本を読むのは、買った直後くらいなもんなので、ずっと保管しておいても本棚の肥やしにしかならない。最近は気に入った本でも処分することが増えてきたけど。

ただ横になりスマホをするだけ

なんだかダメ人間な気がしてしまうが、ずっと横になってスマホを触って過ごすのがとても好きだ。冒頭に書いたようにブログやツイッターを見続けたり、はてなブックマークの人気記事を読んだり、ノンフィクション書評サイトHONZのレビューばかり見ている。なのでとりあえずWiFi環境が無いと死ぬ。WiFiさえあれば、何処に住んでもいいかなと思っている。


もっと若い頃は、どうやったらカッコよく自分を撮れるか、とかの自撮り練習とかしょうもないことに時間を費やしていた頃もあった。バカだな。

日記ではなく、役立つ記事を書けというけれど。


どこのブログ解説サイトを見ても、日記スタイルは良くないと書かれてある。

芸能人ならまだしも、何処の誰か分からない一般の人間の日記なんて好きこのんで読む人はいないという話。


それは事実であるが、テンプレート化されたブログタイトルばかりが続くブログってのは、なんだか味気なく、退屈だ。


【目次】

お役立ち情報を探したい時と、エッセイ的なものを読みたい時がある


何処かへ出かけるのに情報得るための検索であれば、お役立ち情報でいいと思う。
公式サイトでは出ていない、利用者しか分かり得ない部分の知識を補える。


だが、それよりも読み物的な、エッセイ的なものを求めたくなる時がある。

どちらかといえば、そういうブログを読んでいる時のほうが、ブログを読んでいる感が強い。
情報提供のみのサイトを見ている時はあまりそこに個人を意識していない。ただ、広大なネットの海から、知りたいことを引っ張ってきただけの感覚である。

考えさせられらブログが好き

食レポとか、レビュー記事ばかりを作り続けるブログはどうしてもアフィリエイト感が強く出る。また、どのサイトも同じ様に見えてしまう。
それより、なんか日々色々考えて生きているんだなとか、何でもない日常から面白いモノを産み出す視点、感性を持っている人に惹かれる。そしてそういうブログが好きだ。

他人と比較しても意味がない

ブログはそれぞの個性を大切にすべきだし、他のブログと自分のを比べ続けても意味はない。ノウハウ的な部分、デザインなどを参考にしたりする上での比較はいいと思うが、それ以外はあまり気にしなくていいいいと思う。気にし過ぎる人は、一層のこと他人のブログは一切読まないとかでもいいのではないだろうか。

時間がもったいなくて、他人に会えない。


人と会う時間がもったいないと感じてしまう。


誰かと休日を過ごすことへの抵抗感が強い。

「その間に何冊の本が読めるな」とか、「このお金で何日分の食費が賄えるな」とか、そんな浅ましいことをつい考えてしまう。

こんなことを言い続けていると、誰からも休日に誘ってもらえるなくなるとは思うけれども。


【目次】

そもそも長時間、他人といることが窮屈になる

長時間、誰かと、特に少人数とかで共に行動することがきつい。
付き合っている相手とか、気の合う友だちとかならいいけれども。
最初の数時間はいいが、ある瞬間を超えると途端に電池が切れたように嫌になる。

もうそのあとは、(早く帰りたい)しか自分の中で出てこない。
ダラダラと意味もなく話すのが好きな人々とだと、帰るタイミングを見失ったりで大変だ。


飲み会とかも、すぐに帰りたくなる

飲み会に意味を求めるのが間違った行為とは分かってはいるが「延々といつまで同じ様な議題を繰り返しているんだ」とか「なんでそんな下らない話を聞かされ続けねばならないのだ」とか考えてしまう。
そうなると、もう話なんて頭に入ってこない。「へえー」とか「ほー」とかで片付けてしまう。




平等に時間は流れているが

人類に渡された時間は平等で、誰もが皆、同じように年齢を重ねて老いていく。ならば、少しでも差をつけたいというか、何かを学びたいなという気持ちがでてくる。

人と会うことで学べたり、知る世界も沢山あるのは理解している。また、個人では生み出せない力みたいなのものを、人間が集まることで発揮出来るのも分かっている。



個人の時間が鍵

だけれども、そういうのは個の力をそれぞれ蓄えた上で成立することである。個人それぞれが努力というか、自己の世界を深めておかないと、意味がないんじゃないかなと感じている。

なので漠然と集まるとか、意味もなくお金を浪費しながら酒を飲んでダラダラする、みたいな行為がどうしても出来ない。

1人の時間に作ったエネルギーみたいなものを、集まった時に他人と交換し合うような感覚が好きだ。なので、個人の時間が全ての鍵かなと思っている。


インターネットのおかげで、集まることも必要なくなった

個人から集合へと思っていたが、今はインターネットのおかげで、場所を用意する必要性すらなくなってしまった。
SNSやLINEなどを利用すれば、幾らでも無限に交流が可能なので、わざわざ会う必要性が少ない。
会わなければ成立しないイベントも多々あることは分かってはいるが、大半はネット上で済ませてしまうだろう。

ネットの使用料金だけ払っていれば、移動時間もコストもゼロ円で済んでしまうので、とにかく便利である。

データの共有も簡単に出来るし、ネットがあれば本当に何でも可能だなと思う。


どうせ死ぬなら最大限に、自分の時間を遣いたい

どうせいつかは死ぬ。
それは不可避な現象で、必ずその瞬間は訪れる。

ならば、自分のしたいことをどんどんやって、好きに時間を遣うほうがいい。
僕は、お金よりも時間のほうが何倍も大切だと考えているので、とにかく時間を奪われることだけは避けるように生きてきた。


仕事が終わった瞬間に職場を去りたいし、断れる仕事は全て断ってしまいたい。
無理して働いてお金を貯めるよりも、自分の好きなように時間を過ごして、心に豊かさを作りながら、工夫して少ない支出で楽しめる環境を作っていく。そんな生き方が好きだ。


自分の世界を他人に話せるようになれる

そうやって自分の生き方をマネジメントしながら、少し変わった過ごし方をしていると、自分なりの価値観とか思想が出来てくる。偏見といってしまえば、それまでなのだが、独自のものごとの捉え方とか、見方が構築されていく。
そうなると、他人に自分の意見とか考えを伝えるのが得意になってくる。また、それが楽しくなる。



面白い人たちと繋がれてくる


そうなると、同様に、自分の世界を持った人たちと出会えてくる。
そちょっと変わった人とか、面白い人とのネットワークみたいなのが出来上がり始める。そういった関係性は人生を豊かにしてくれる。
自分がこれまでに持っていなかった情報を貰えることが多いし、また、あまり考えてもみたことがないような視点からの話を聞かせてもらえたりする。


個人の時間をマネジメント出来る人は、必要以上に他人から時間を奪わない

個人の時間の価値をよく知っている人間は、集まったりしてもアッサリと解散する。損切りというか、切り上げ時をよく理解している感じがある。
逆に、個人の時間の価値・意味を分かってない人は意識なく、他人から平気で時間を奪う。時間泥棒といってもいいくらいに。

あっさり、ちょっとずつの関係

あっさりしていて、ちょっとずつ関わっていくような繋がりというのが、1番精神的負担が少なくて良い。
そして、そういう関係のほうが長続きしたりする。
関係性が悪化する可能性も低いし、イライラすることも無い。
そしてまた、時間がもったいないと思われることもないだろう。

新しいことを始めるために必要なこと。


いつかは、◯◯をしたい

こう言っているだけで年月だけが経って、いつまでも実行に移せないことがあるのではないだろうか。

自分も含め、これまでに◯◯したいんだよね、と言い続けているだけの人をたくさん見てきた。
そして、そういう人ほど始めることはない。
言ったことすら忘れてしまっているのではと感じることがよくある。
飽きてしまったり、興味を失ってしまっているのなら、別にそれでいいのだが、もし本当にしたいのなら、何でもいいから始めてみるべきだと思う。


【目次】

まずは自分べ調べてみる

ちょっと調べたり、やり方を考えてみるだけで、以外と簡単に始められることが世の中には多い。

ただ、その調べる手間を面倒がったり、自分のなかでの優先順位が低いだけの可能性がある。

また、どうせするなら失敗なく、効率的にやっていきたい。という思いがそこにはある。


失敗=時間の無駄、であり、成功だけを重ねていきたいと考えているのではないだろうか。



失敗も前進

最初からうまくいくわけがなく、失敗のなかで数多くのことを学んでいく。
自分なりのやり方を見つけ出せたり、原因を解析、分析していくことで、ダメだった理由が分かってくる。それが次の時に生きてくる。
なので、失敗を恐れる必要はない。
立ち止まっているわけでも、後退しているわけでもなく、常に前進できている。



他人は助けてくれない

周囲に◯◯をしたいんだよね、と言い続けることで、助けを無意識に求めているのでは、と考えている。

だけれども、よっぽどの偶然がない限り、それを他人が補助してくれることはない。
あるとしても、自分の思っていた形やこととは違う場合が多い。

誰かに言うことを、第一歩と考えるのもいいが言っている間に、どんな些細なことでもいいから始めた方が早い。
そしてその方が、よっぽど自分の目指すべき状態、状況に近くなる。
それこそが大事な、第一歩となれる。


宣言することで、逃げられなくすることはあまり出来ない。

他人に◯◯したいとか、◯◯を始める、と言うことで、途中で辞めにくくする状況を作り出すやり方もある。
だけど、案外それも長続きしない。
まず、言われた相手が忘れてしまう場合も多いし、そもそもちょっと誰かに言ったところで、たいした拘束力もない。
余計なことはせず、黙って実行したほうがいいと感じる。
また、本当にしたいのならば誰かに言う前にはじめている。



出来ることから始めてみる


最初から完璧に出来るわけがない。

知識に多数の穴があり、出来る部分と、出来ない部分が出てくるはずだ。
ならば、出来るところから始めてみよう。
なんとなく取っつきやすかったり、少し調べたら頭に情報が入ってくるようなところは、自分が出来る部分になりやすい。
そこから徐々に出来ない部分を減らしていく作戦だ。
効率性を求めたいのならば、この手順が1番いい。



質問するときは、丸投げせずに自分の考えを伝える

自分が学びたいことに対して、知識を待っている相手に質問をするときは、丸投げではいけない。

どうしたらいいですか?とだけ聞くのは簡単だ。
だけど、それじゃあ、あまり上達が見込めない。

質問するなら、
「コレコレがこういう事態にあるんですけど、この場合はどうしたらいいのですかね?自分はこう考えているのですが。。」

という感じに、自分はどう思っているか、どこまで理解しているかを伝えよう。

それによって、相手もアドバイスしやすくなるし、何よりも本気度を伝えることが出来る。
相手も、本気なんだなと思うことで、教え方に自然に熱が入る。

まとめ


まずは自分で調べてみる

今は手軽にネットで情報が得られるので、したいことについて調べてみよう。
調べられるようなことを誰かに訊ねているようではダメだ。



失敗も前進

失敗なく、全てうまくいかない。
効率性ばかり追い求めていると、逆に時間が掛かる。
何もしないでダメになるより、やってみてダメな方がいい。



他人は助けてくれない

みんな自分のことで精一杯なんだから、都合良く助けてくれることなんて滅多にない。
他人の能力ばかりをあてにしていてはダメだ。自分に出来ることは自分でやっていかないと、いつまでも始められない。


宣言することで、逃げられなくすることはあまり出来ない

公的な文章で世の中に発表でもしない限りは、拘束力はない。政治家の公約ですら守られてないのだから、個人の宣言なんてどれほど意味のないものか分かるだろう。
周囲も、なんか言っていたなと何と無くでしか覚えていない。
言い続けるあいだに、始めるほうが早い。


出来ることから始めてみる

完璧を求めずに、分かる部分から始めてみる。クオリティにこだわったり、順序通りに進めようよすると、途中で力尽きて、辞めてしまう可能性が高くなる。
分からないことは、どんどん後回しでいい。


質問するときは、丸投げせずに自分の考えを伝える


質問するときには、自分の考えや、知識を伝えていくこと。
これで、相手に本気度が伝わるし、アドバイスもしやすくなる。
◯◯したいんですけど、どうしたらいいですか?みたいな、丸投げはやめよう。