成長と子どもの新たな世界
息子の成長は喜ばしくもあり、寂しさもある。
あと2か月もすると3歳である息子は、少しずつ赤ちゃん要素が抜けつつある。
興味関心も、ちょっとずつ子どもになってきているため反応が変わってきている。
これまでに喜んでいたことや、一緒に行った遊びとは変わってきている。
子どもは常に前を向いていて、過去ばかり振り返るのは大人のすることであることは理解している。自分はすでに息子の過去にとらわれている。どんな遊びを一緒にしたかとか、笑っていたかばかり思い出してしまう。あんなにはまっていたことにもう興味がなくなったのかとか、見向きもしなくなったんだなとか。
たくさん一緒に遊べる時間は短く、すぐに親とべったりなんてことはなくなる。
友達と遊ぶ時間が一番楽しくなるし、幼稚園・学校等に通い始めれば一緒に過ごす時間も減っていく。
なるべく沢山かかわっていきたいし、楽しく過ごしてほしい。
真面目に働いていない。
何もしないよりは何かしたほうがいいだろう。
それくらいの気持ちで毎日働いている。
だから午前中で仕事を切り上げてしまう。
1日、3時間も働いていない。
お金は多く稼げていないが、稼働時間は短いのでそれでもいいかなと思っている。
働けば働くほどお金を増やせることは分かっている。だが、息子との時間を大切にしたいという気持ちが強い。
お金が無くなれば働けばいいか。
まるでその日暮らしかのような感覚。
全く稼げなかったという日はとりあえず無いので、少しでもプラスならいいかと楽観的に考えている。
独立してから半年以上経過して。
自分を鼓舞して、天才だと思い込むことは自営において大切。
不調な時期は定期的に(頻繁に)訪れるため、メルタンを強化する必要がある。
やるべきことは常に目の前にある。
それをひとつひとつクリアしていかなければならない。
最終的には自分自身で解決していかなければならない。
誰かに頼ったりするとは出来ても、何もかもを丸投げとはいかない。
組織を離れたからにはその覚悟は必要。
全てを自分の裁量で、できるのは面白くはある。その分、負担もあるにはあるが。
調べたり、学ぶことが嫌なら絶対に独立はしてはならない。
生き残るために必要な能力だから。
言われたことだけをやる。
与えられたもの消化していけばよい。
組織に属している間にしか通用しない。
独立してから色々と思うところが増えた。
出来ていない事を把握する。
1を10に捉えてしまうと身動きが取れなくなるし、メンタルもやられる。
ダメだった点・できていない点を正確に把握することは必要。
そこを改善するなり、補修していけばよい。
立ち止まり、行動を起こせなくなることほど無駄なものはない。
自分で先に進むしかなく、誰かに頼ろうとするのは最低限がいい。
自分で考えたり調べたりする癖を失うから。
過去の知り合いと再会しても意味はなし。
疎遠になり付き合いをなくした相手と久方ぶりに会ったり連絡を取っても、そんなにいいことはないなと感じる。
付き合いがなくなったのには理由があり、無理にその関係を呼び戻したところで何か得るものはあるかといえば無い。
忘れてしまっているだけで、離れたことに意味はあった。
感じ方も感覚も見ている世界も異なり過ぎていて、共感が皆無だったりする。
昔の話をしたところで、そんなことあったね、そうだったねとなるだけで、それ以上のものは出てこない。
今の話をしたり、これからの話をしたりと未来に向いた言葉は出てこないことが多々ある。
自らの力のみで前に進み、新たな挑戦をしていくものなんてほぼいないのだ。
ただ日常を消化していき与えられた環境で井の中の蛙として、理解できないものや面倒なことは全て排除して、世に愚痴を溢しながら生きていく。
分かりやすく即効性のあるもの、リスクを負うことなく簡単にこなせること。
そんなものばかり求めている。
しかし、そんな都合のいいものがあるはずがない。
そのことを分かるか分からないの境界線はかなり溝が深い。
誰かに手取り足取り教えてもらい、全部をお膳立てしてもらえるだなんて思うな。子どもじゃないんだよ。
真剣に生きはじめて、そう考えることが度々増えた。
覚悟と責任。
自分のなかに覚悟と責任の言葉は度々でてくる。
覚悟とはなにか。ひとりで生きていくことか。誰かや組織に頼らずにひとりで立つことか。
自分の選んだ道を進むのなら絶対に成功してやろう、信じていこうという気概のことか。
面白い、これなら勝てると感じたのならとことんやるしかない。
責任とはなにか。自分が好きこのんで選択したことならリスクを背負い込むこと、失敗を乗り越え成功にこぎつける意思の力をもつこと。
自分に課した最低限のノルマを達成すること。
誰かに選んでもらったことなら言い訳は死ぬほど並べられる。
おれのやったことじゃない。本気でやる気にならないだけのことだ。と幾らでもぬらぬらと言える。
しかし、そのズルい心を表に出せなくなる。人のせいにできなくなる。手を抜いていたり、努力不足だったことが目に見えて分かってしまう。
自分はまだまだ考えが甘く、足りていない。できていないことが多々あり、自分をより厳しく締め付ける必要性があることも承知している。
手を抜かず生きていきたい。
赤ちゃんの好奇心は素晴らしい
息子の成長を見るのは楽しい。
毎日、ちょっとずつ新しいことが出来たり、どんどん上達していく。
教えてもないことをやったり、一度やってみせたことを覚えていて試したりしている。
好奇心旺盛で、どんなことも新鮮だから楽しくて仕方がないのだろう。
赤ちゃんは、目に映るものや聞こえることをよく観察している。
そして真似るのが本当に上手い。
学習能力がはっきり言って大人よりも素晴らしい。
「習おうとするんじゃなくて盗め」「習うより慣れろ」といった、昭和のオッサンがいいそうな言葉が脳裏によぎった。
この言葉を聞くたびに、会社勤めのときは反発していた。
「マニュアル用意しとけよ」「お前だって最初はできなかっただろ」
「文章化されてあったらすぐに理解できるわ」
といった具合に。
しかし、息子を見ていると、「盗め」だの「慣れろ」といった言葉もあながちデタラメではないのだなと思えてきた。
赤ちゃんは、
面白い、楽しい、やってみたい。
といった好奇心がすべての原動力である。
大人だって、その気持ちを失っていない限りは学ぶ力を強化できるはずだ。