思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

1,600円でイギリスの博物館を体感出来る!!「大英自然史博物館展」がすごい。

【目次】

こんばんは。皆様、元気にしていますか?

僕は、元気にしています。

労働するとドンドン心がすり減っていきますけど、休暇をしているとほんの少しずつ回復していきます。

基本的には自宅引き篭もりで過ごしているのですが、ずっと家に居続けるとそれはそれで辛くなってくるので外出をしてきました。

今日の目的はこれです。

公式HPのURLはここです。


www.kahaku.go.jp


会場は、JR上野駅から徒歩5分で行ける「国立科学博物館」です。

ただいま2017/03/18~06/11の期間にかけて、大英自然史博物館展という特別展が催されています。


大英自然史博物館展ってどんなイベント?


まず、大英自然史博物館をご存知でしょうか?
大英自然史博物館は、イギリスのロンドン・サウスケンジントンにある博物館です。
自然史系の博物館では、世界でもトップクラスと言われています。

大英自然史博物館( The Natural History Museum )は、世界で最も優れた博物学標本のコレクションを所蔵していると同時に、毎年約500万人が訪れる、イギリスで最も人気のある観光スポットの一つです。

www.youtube.com


初めて聞いたという人もいますでしょう。ですが、あの有名な映画を観たことがある可能性は高いと思われます。


そうです、アレです。
『ナイトミュージアム』です。
ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密 (吹替版)

www.foxmovies-jp.com



ナイトミュージアムは、夜になると展示物が暴れだしてアレコレするというファンタジー映画です。
その三部作目の舞台が、大英自然博物館なのです。
これだけでも興味が湧いてきますね。
映画『ナイト ミュージアム/エジプト王の秘密』日本版予告編 - YouTube





その大英自然史博物館から展示物を持ってきて、日本で見せますよという太っ腹イベントというわけです。



展示数は370点!!

すごいですね。いったいどれ位の展示物を見せてもらえるのかという話にさっそく入るのですが、その数が凄いんです。
なんと370点なんです。とんでもない数ですね。

大英自然史博物館は、これまでずっと展示物を貸し出すことを行っていなかったそうです。
今回、日本の国立科学博物館に貸し出すことに決めたのは、世界的みても初めての試みとなるのです。




古代の生物の生きた姿が観られる!


この大英自然史博物館展は、とにかく気合が入ってます。
各、古代生物の化石の展示の横にモニターが用意され1分弱の映像が流れています。
何の映像かといえば化石が動き出し蘇って博物館の動き回るという、まさにナイトミュージアムの世界なのです!

最初は、映画のワンシーンを利用しているのかと思うほどのハイクオリティな映像と驚きました。
しかし、展示用に作られたいうことが分かりました。すごいですね。
たしかに、化石や骨だけの姿を見てもなかなか生きていた頃の様子を想像するのは難しくあります。
ですが、映像で観ることで視覚的に理解することが出来るのです。


気になる展示物が盛りだくさん!

とにかく興奮止まない空間なのですが、少しばかり写真を紹介したいと思います。

これ何だか分かりますでしょうか?
これは、三葉虫というカンブリア紀に生息した海洋生物です。
その三葉虫の交尾している瞬間の化石なんだそうです。その状態のまま生き埋めになったので、保管されたとのことです。

これは何でしょうか?
謎の筒状のもの。。。

ミイラっぽいですよね。
そうです、ミイラなのです。

しかもただのミイラではありません。
猫のミイラなのです。

よく見ると頭のてっぺんに三角の耳が二つありますね。



ぜひ、自分の目で見にいきましょう!



普段、博物館なんて行かない。
小学校中学校の社会科見学以来、訪れたことがない。なんて人は多いと思われます。

しかし、大人になった今だからこそ楽しめます!
あの頃はあくまで勉強の一環として強制的に見学させられただけでした。
しかも、大勢の友だちに囲まれながらとなると、真剣に展示物を見ず、ふざけ合いながらフラフラと歩いて気が付けば出口にいる、なんて感じだったと思います。


1600円でイギリスの博物館に行けるだなんてまたとないビッグチャンスです。
まだ、展示終了まで時間がありますので、是非訪れてみてください!



関連書

特別展以外にも、魅力が満載な東京国立科学博物館。
常設展の楽しみ方、見どころなどについて余すところ無く記載されている2冊の書を最後に紹介したいと思います。

国立科学博物館のひみつ 地球館探検編

国立科学博物館のひみつ 地球館探検編

国立科学博物館のひみつ

国立科学博物館のひみつ

この2冊を用意しておけば、素晴らしいガイドブックとなることは間違いありません。
これらを片手に是非、探索に出向いてもらいたいです。

読書で視野を広げよう。

【目次】

年々視野が広くなっていけている気がする。

あくまで個人的な見解なので、本当にそうなのかどうかは不透明ではあるが、なんとなく実感としてある。

読書を通して、広い世界を見続けたお陰


なぜ、視野が広くなってこれたかと言えば、色々なジャンルの書物を日々読み続けた結果といえよう。
もしこれが数ヶ月に2、3冊程度、ベストセラー小説だけを手に取る生活を送っていたら全くもって無理だったであろう。
その程度の読書では、人格に何かしらの影響を及ぼすはずがない。

視野が狭いとトラブルになる

最近読んだ『メガ! :巨大技術の現場へ、ゴー』のなかで、気に入った文章があった。
ちょっと引用してみる。

個人間にしろ、国家間にしろ、トラブルの遠因は視野の狭さにある。
視野が狭いから、傍目には小さくしか見えない違いが気になって、癪に触り、それを紛争に発展させる。
視野が広ければ些細なことは気にならなくなるに違いない。

広くものごとを捉える力が不足していると、目の前の事象ばかりが気になってしまい、もっと見ておく必要のある物が目に入らなくなる。
些細なことでカンカンに怒る人を見ると、すごく悲しくなるし、可哀想だなと思わされる。

毎日が楽しくなる

仕事が辛い、疲れた、もうダメだ。

こんな感情を完全に消し去ることはできないけれども、視野を広くしておくと空想の世界に逃げ込んだり、違う場所や異なる時代の出来事に想いを馳せたりすることで、日々を面白くすることができる。

大人になるにつれ、頭が硬くなり、想像力が枯渇してくるっていう話は本当だと思う。

意図的に柔らかくする工夫をしておかねば、気が付かないうちにカチカチになってしまう。
硬くなれば硬くなるほどに、狭い範囲のことで、悩んだり怒ったりを繰り返すことになる。

本を読もう

手軽に視野を広げる手段として1番有効なのは、本を読むことだろう。
旅をしたり、人にあったりも重要ではあるが、場所や時間を問わずに、地の果てまで一瞬にして連れて行ってくれるのは本しかありえない。
とにかくひたすらに毎日本を読み続けている僕が言うのだから間違いない。

文章の書き時は、いつ頃かについて。

【目次】

最近、頭の中にパッと浮かんだことをすぐに書くことが無くなった。

まだ書き時ではないなと、躊躇するようになったのだ。
すぐさまに勢いで以前は書いていたのだが、頭のなかであれこれと思考を巡らせているうちに、まだまとまりが無いなと判断を下し、とりあえず放置する方向に舵を切る。

下調べをしているわけでは無い

そのように機が熟するのを待つタイプになったのではあるが、決して資料を集めたりという真面目なことはしていない。
情報を集めるという行為に面白みを覚えられないタチなので、やる気になれないのだ。
ただ、ぼんやりと考え続けるだけである。

書く回数が減る

書くまでのスパンを長く取るようになった結果、文章を書く回数が減ってきた。
ただ、量は質をりょうがすると言われる。
たくさん書いていれば、それだけ書けるものが増えてくる。自分の中で作れるモノの数が増えていく。
そのことは実感しているのだが、まだ書きたいと思っていないことを無理に吐き出したところで仕方がない。

お金を貰って書いているわけではないから好きにしたら良い

仕事であれば締め切りがあり、また求められれば書かざるを得なくなる。
しかし、あくまで個人的に日記を書いているだけのことなので、自分の書きたいタイミングで自分の好きなことを書いていけばいいだけのことである。
だが、それではなかなか読んで貰えない可能性は高まってくる。難しいところだ。

5月で、30歳を迎えました。

【目次】

気が付けば30歳を迎えた。
この肉体と付き合い始めてもう30年もの歳月が過ぎたとは本当に驚きだ。

成人式が10年前なのだ。
これで本格的に大人の仲間入りなのだなと思ってからそんなに経ってしまったのか。
(成人式には参加していないので何の思い出もないが)


いつまでも子どもの心を持っていたい

三十路になったからといって、特段に変化があるわけでなく相変わらずの日々を過ごすと思う。
ただ、1つ心がけておきたいことがある。
それは、いつまでも童心を大切にするということ。

自分の面白い・楽しいと感じることには全力で向かい、それを素直に喜んでいきたい。

仕事関連のことだけにのみ目が向くようになっては視野が狭まれていく。
もっと広い目を持ち続けることを常としようと決めている。


経験を増やしていく

ただ生きながらえていくのでなく、色々と考えてみたり、未経験のことをじっくりと自己の体内に取り込んでいく生き方をしたいと思っている。


もっと知らない人たちと交流したり、行ったことの無い場所を訪れたい。

自由な発想を持ち続ける

何の本に書いてあったのかすっかり忘れてしまったが、次の言葉が好きだ。

いつもいる場所でなんとなく植え付けられてしまった「固定化された常識や当たり前という呪縛」から少しでも距離を置ければ旅は成功。

働いていると職場の環境に影響されきってしまい、仕事場以外の世界を見ることが下手になっていく。
新しいことを挑戦したり、新たな価値観を受け入れることが困難となってくる。
固定化されきってしまった人生とならないように自分なりの工夫をしていきたい。

1年1年の濃度を高める

漠然と生活していたらあっという間に1年が経過してしまった。そうならないように気を付けていきたい。
自分の時間をフルに活用していけば、幾らでも学びを増やしていくことは可能だ。
自分にとっての学習の場は基本的には書物である。これからも読書を繰り返していき、濃い人生を送っていきたい。

他人を信用し過ぎると疲れるのでやめましょう。


【目次】

コントロール出来るのは、自分自身のみであるという事実を改めて深く認識したうえで生きるのがベストだと感じる。

他者との共通項を喜び過ぎることなかれ


あの人とはこういう点が似ている。
この人とはこういう部分が共感できる。

人間は孤独な生き物であるがゆえ、ついつい少しでも似た部分を持つ相手を見つけた途端に一気に距離を縮めようとしがちである。だが、少しでも違う部分が見えてくると、騙されただのと訳のわからないことをつぶやき始める。
それを防止する唯一の手立てとしては、喜び過ぎないというのが第一に挙げられる。

生きたプロセスは全員異なる

何を見て何を感じて育ったかは、1人1人全く違うものである。
それを改めて考えて見てほしい。
大枠で分類してみれば、ある程度の共通項か出てくるかもしれないが、細部までカテゴライズしていけば必ず相違点が浮かび上がってくるものである。
なぜならば、それまでの経験が異なるからである。
全て同じモノを見て生きてきたわけではない。

相手に自己の価値観や意見を押し付けるのは争いしか生み出さない

自分の考えや意見を押し付けて、それに無理に従わせようとしたところで争いしか生み出さない。憎しみしか生まれない。
なかなかその事実に辿り着けずに不毛な闘いを繰り返す人類が多すぎる。
分かっていても出来ないという人も多数いるだろうが、分かっていても出来ないというのは言い訳に過ぎない。

とりあえず口をつぐみましょう

問題は口を開くことにある。
余計なことを口走ってしまいそうになるならば、とにかく黙っていましょうに尽きる。口は災いの元でしかなく、しゃべりすぎることにより人間的な魅力が増すことは皆無である。
よく喋る人が異性にまずモテることはない。よく喋る人は基本的にウザがられて終わることが多い。相手の話をしっかりと聞け、それに応対出来る能力を持つもののみが好印象を抱いてもらえる。
雑談力を鍛えろ系の本は本当にくだらないし、逆にそれに影響を受けて悪化する人もいるのではと感じる。

自分本位に生きましょう

他人の顔色ばかり伺いながら生きることはめちゃくちゃにしんどい。しんどいというか、何のために生きているのかが不明になったり、とにかくストレスがガンガンに溜まってくる。
すべてから解放されるためにはどうしたらいいのか。

誰にも期待せず、望みもせず、自分を見て生きる。
自己の世界を救ってくれるのは、自分だけだと理解すること。

これだけのことだ。

「この人ならば信用出来る!」という人物に巡り会うことがあれば奇跡。

なので、あとはしっかりと自分の足で立って前に進むしかない。
王子様が来てくれるじゃないけれども、誰かがうまい具合に自分の人生を転がしてくれるなんてことは妄想の産物でしかない。


期待し合う人間たち

人は誰しもが、他人に期待ばかりしながら生きているので自分から能動的に何かを生み出そうと出来ない。
そういう願望が、アニメやゲームや映画の世界で大いに反映されている。

平々凡々な人生を歩んでいた主人公が何かしらの珍事に巻き込まれて救世主になる系の物語だ。

受け身な人が多すぎる

とにかく受け身体質な人が世の中には多すぎる。
期待ばかりしている。信用ばかりしているのだ。自分が見たいものしか見ずに過ごし、勝手に疲れている。ご苦労な人生だ。

受け身でいることは、ずるい。
自分が始めたわけではないから責任はそこにないと、言い訳が可能である。

受け身から脱するには

受動的人間から抜け出すには、少しで気になることは始めてみる。参加してみる。これが大切だ。

ただ何でも手当たり次第に積極性を持てばいいというわけでもない。
自分が興味関心があることだけに、注力すべきである。
あとは、周囲で面白い話を持ち寄ってくるタイプの人間がもしいるならば、それについて行ってみるというのも手である。
そういう人は貴重な人材なので便乗していこう。

職場の苦手な先輩との距離の取り方について。


「人間、話せば分かり合える」

これは誠に幻想であり、どうやっても理解し合えない間柄というものは確実に存在します。

プライベートでの関係性ならば、別に会わなければいいだけの話なので問題はありません。

しかしながら、同じ会社内にいる人物が苦手だと少々厄介になります。




嫌いな先輩とは、最小限のコミュニケーションで済ませる


まず、苦手・嫌いな相手とは必要最小限の交流に留めることが大切です。
関わっているうちに好きになるかもしれないとか、実はいい人かもしれないと期待を込めてみても、大抵はそうはいかないことが多いものです。
苦手なひとはどこまでいっても苦手である。
こう割り切って付き合っていきましょう。

挨拶だけは必ずする

なるべく関わらないようにするといっても、同じ職場内にいる限りは顔を合わせざるを得ません。
仕事上関わらざるを得ないことはあるはずなので、完全に無視をすることなど出来ません。
とにかく挨拶だけはしておきましょう。
挨拶をされて「コイツ挨拶してきたぞ」と不愉快に感じるひとはいません。
そもそも先輩に挨拶をしなければ、態度の悪い奴だと周囲に言いふらされる可能性が高くあります。


君子危うきに近寄らず

君子危うきに近寄らずとは、教養があり徳がある者は、自分の行動を慎むものだから、危険なところには近づかないという意味の言葉です。

危険なところとは、苦手な先輩の近くです。
近くにいるだけで、何かと批判を飛ばしてくる人物もいますので、まず物理的に距離を取ることが肝心です。


人間は、見た目は似ていても1人ずつ、まったく異なる生物である

海外の人と日本人の自分とを比較した場合には、文化や考え方の違いに多く気が付くことでしょう。しかし、同じ日本人同士だとそれほど大きな違いがあるとは思わなかったりします。
ですが、事実としては1人、1人驚くほどに考え方や感じ方が異なります。
中にはいったいどういう所で育ったらその様になるのかと不思議に思ってしまう様な人もいます。
なので、自分の感じ方を基準に相手を判断していくことは避けるべきです。
苦手と感じる相手は、違う星の人くらいに思っておくほうが良いです。

まとめ

ここまでに話してきたことを簡単にまとめたいと思います。

苦手な先輩との関わりで1番大切なのは、挨拶を必ずすること。

そして、必要以上のコミュニケーションを取らないこと。

これらに尽きます。

これ以上でもこれ以下でもありません。

八方美人になる必要はありません。
誰からも好かれるように生きることは大変なことであり、又、そのようなことは実現出来ません。
自分の良いと思った相手とだけ深く交流していってください。

子どもは親を見ている。

病院の待合室で、小さな子どもが母親に抱かれながら膝の上でiPhoneでゲームだかアニメを観ていた。

それを向かいのソファー席から見ている別の小さい男の子がいた。
その子は父親と来ているのだが、父親はゲームに夢中になって子どもの方には見向きもしない。
男の子は母親の膝の上にいる子をじっと見ている。
そして、隣に座ってゲームをしている父親を見上げる。
父親の袖を掴んで引っ張り、ペッタリとくっつくように座り直した姿が、とてもいじらしくなんだか胸が痛んだ。

自分にもし子どもが出来た時にも、ついスマホに夢中になったり本を読みふけり、子どもの方を見ない時間が結構出てきそうだ。
だがそんな時にも、子どもが自分を必要としている感じが伝わってきた時にはきちんと見てあげられるようにしたいと感じた。