思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

お金を遣いたくないから、遊びの誘いを主に断ってます。

職場の人や学生時代の友人から遊びの誘いを受けた時、よほど興味のある事でなければ大抵は断っている。

なぜならば、お金を遣いたくないからである。


【目次】

お金を遣うと働かなければならない

旅行、飲み会、その他の外出に付き合ってばかりいると、瞬く間に手持ちの銭は底をつき、貯蓄がスッカラカンとなる。
そうなれば、自ずと必要以上の労働を自己に課せなければならなくなる。

それは誠に避けたい事態。
休日を返上してまで働くとロクなことはない。
身体はだるくなるし、頭はボンヤリする。
お金が僅かばかり増えたところで、まかなえない程のダメージが蓄積される。

常に他者と関わり続けねばならないのか?

内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、何もわかっていない - シロクマの屑籠
はてなブログを頻繁に更新されている精神科医のシロクマさんのエントリがはてブで人気が出ていたので読んだ。
これを読んでいると、とにかくコミュニケーションしなければならず、あまり交流を積極的に行わない人間はダメであるかのような印象を受けた。
無理にでも話せ、交流しろと言っているように感じた。
精神科医にしては結構エグいことを押し付けてくるなという気持ちになった。

「あいつらは、内容の無いことばかり喋っている」と言って、学校や職場の同僚を馬鹿にする人は多い。思春期にありがちなセリフかと思いきや、年配の人が、同じようなことを喋っているのを見て驚くこともある。ほとんどの場合、このセリフは人望が無い人の口から出てくる。

自分は馬鹿にしていることはないが、休憩時間などは自分の好きなように過ごしたいと思っているので、1人で本を読んでいることが多い。それがはたから見れば、馬鹿にしている様子になる場合もあるのだろうか。

「内容の無いコミュニケーション」「空っぽのコミュニケーション」を馬鹿にしている人は、何もわかっていない、と言える。職場で最適なパフォーマンスを発揮し、チームワークを発揮していきたいなら、むしろ、挨拶や世間話を楽しんでいる人をリスペクトして、その才能、その振る舞いを見習うぐらいのほうが良いのだと思う。

1人でいることは間違いである。なんでもいいから会話に参加し続けねば、人間では無いくらいに言っている感が強い。


繋がり続けることを強いられると、お金は無くなる


お金を遣いたくないという話に戻ろう。
自分はもっと交流し続けねばならないのか?と強く思うようになると、全くもって興味の無いことにでも参加せざるを得ない状況に陥ってくる。そして、そのための費用を稼ぐために働かねばならなくなる。
そして、働くことによって心身ともに消耗されていく。イケダハヤトにまだ消耗しているの?と言われても仕方がない。

遊ぶために労働を増やすのでなく、労働しないために遊ばない

僕は、労働しないために遊ばない道を選択する。
そうは言っても、遣いたい時にはどんどん遣っていくので、何にでも出し渋っているわけではない。
これは必要経費だと思える事態のみに遣っている。そのために、少しでも躊躇したくなることに遣えるお金が無いだけの話だ。

頭を麻痺させていけば、いくらでもお金を遣ってしまう。

これは本当に遣っていいことなのだろうか。単なる浪費では無いのだろうか?

そう真剣に考えることで、お金の真価が理解できてくる。



おわり。

好奇心を持てば、生きる力が産まれてくる。


人生を楽しいと思えるかどうかは、お金の多寡とは関係のない部分で作用していると感じる。

沢山稼いでいれば必ず幸福という訳でもなく、貧しい生活を送っていると不幸であるというわけでもない。
幾ら収入が減ろうとも、生活の工夫次第で生き延びることは出来る。

では、人生を楽しいと思えなくなる基準はどこにあるのであろうか。

好奇心を失うと、不幸になる

僕が思うには、「面白いと思う力」「驚く力」を失った時に不幸になる。


表情が乏しくなり、何かを知りたいとか、経験してみたいとかの欲求が減っていく。
一言でいえば、生きる力が不足している状態だ。
これが不幸を招く。

楽しく生きるためには、好奇心が不可欠である。
心を貧しくしてはいけない。


心が貧しくなってきた人は、『全国版 あの日のエロ本自販機探訪記』を読んで、巡ってみたりしてください。

ブログは日記を書くだけでは稼げません。収入には繋がらない。

僕はかれこれ2年以上はブログを何となく更新し続けている。

書く内容は具体性に乏しく、ほぼ日記状態。そんなブログで900回以上は更新してきた。

それだけ書けば少しは文章力が上がるのかといえば、よく分からない。
以前よりは、すぐに言葉が出てくるようになった気はするが、それが文章力と呼べるのかは微妙なところだ。




ブログをどうせするならば、お金にしたい。収益化させ、少しでも生活の足しにしたいと思っている人は多いだろう。



さて、そこで発生するジレンマがある。
お金を欲しいけれども、アフィリエイトに特化した方向に走るべきか否かということ。
自分はエッセイのような記事を書いていきたいなと思った場合、稼げるのか?

稼げません

結論としては、お金にならない。
何か特別な経験を持っているなり、日常を過ごしているのであれば、日記スタイルでも目を惹くものがあり収益化しやすいかもしれない。
だが、ごくごく普通の日々を過ごしているのであれば難しいところである。

お金が欲しければ、法則に乗っかるしかない

法則とは、アフィリエイトブロガーたちが実践しているブログの運営方法を真似ることである。


下記リンクの書籍が参考になる。

ゼロから学べるブログ運営×集客×マネタイズ 人気ブロガー養成講座

必ず結果が出るブログ運営テクニック100 プロ・ブロガーが教える“俺メディア"の極意

完全ひとりビジネスを始めるための本 自宅にこもったまま安定して稼ぎたい!

ブログ飯 個性を収入に変える生き方

プロ・ブロガーの 必ず結果が出るアクセスアップ テクニック100 ファンにも検索エンジンにも好かれるブログ運営の極意

副業ブログで月に35万稼げるアフィリエイト

どれも実際に読んでみた。

これらの本のなかに書いてあることを忠実に実践していけばお金になっていく。

ただ、自分の書きたいことと一致するかは別ではあるが。
しかし、そんなワガママを言っているとお金にならないので割り切ることが肝心だ。


とにかく、日記を書いていくだけでは儲からないということだけを覚えておいて欲しい。

【食事事情】大人になると味覚が変わった。

年齢の変化に伴って、自分の味覚が変わっていっている。

好きだった物に興味が無くなり、ほとほとに食べる気力が湧いてこない。

食べられない程に苦手となったわけでは無いが、すすんで食べようという気にはならない。

【目次】

カレーが好きでなくなった

老若男女、誰もが愛しているはずのメニュー、カレーライス。
これがあまり好きでなくなってしまった。
かつては、秋葉原にあるマンモスカレーという名の大盛り1kgカレーを黙々と食べる位であったのに。

香辛料がなんだか自分の身体に合わなくなったのと、辛味の刺激が喉と胃に良くなく、またなんとなく頭痛がするようになった。身体が弱ってきたのだろうか。

昔はカレーならば毎日でも食べたいなと、常々思っていたのだが、今は欲しいとつゆも思わずというあんばいだ。

ラーメンも好きでなくなった

かねてより、ラーメンに関しては好きという感情を抱いたことは無かったのだが、誘われれば食べたし、美味しいと一応は感じたりしていた。だが、今は出来ることならば食べたくないなーと思っている。
脂っこいし、麺の感じもあまり好きでない。
学生時代は異様にラーメン好きが周囲にいたので、2日にいっぺん位の頻度で、何処かしらのラーメン屋に連れられていた。
その影響ですごく肥ったりした。

卵、豆腐、納豆、味噌、野菜

今はなにが好きなのかと言えば、卵、豆腐、納豆、味噌、野菜だ。
だいたいは食事にこれらが登場してくる。
豆腐、味噌、野菜はみそ汁を作れば完全に摂取できる。

豆腐だけなら、炊きたてのご飯の上に乗せて、しょう油や麺つゆを掛けて食べるのが美味しい。
ついでに天かすが有れば、サクサク感が出て最高になる。

要は今は家ご飯が好きになったということである。家ご飯との言葉は、なんだか語呂が悪いが、飯(メシ)との言葉が嫌いだからである。
例えば、美味しいと言わずに、美味い(うまい)という女性とはまずお付き合いは考えられない。ああ、これはダメだなと興味がすぐ様に消え失せる。見てくれも大切だが、言葉を1つ1つ丁寧に使うような人に惹かれる。

オヤツはバナナ

基本的にオヤツはバナナを好んでいる。
バナナは一房100円ほどで購入して出来てしまうし腹持ち良く、栄養価も高い。
出掛ける際には、一本は持ち歩くようにしている。
ただ、ケースなどに入れず、そのままか袋に入れているだけなので、カバンの中が少しバナナ臭くなる。嫌な臭いじゃないから構わないが。

昔から変わらないのは、生クリームだけ

昔から味覚が変わらずに、好んでいるものは生クリームである。
クレープなど、生クリームだけ入っていれば満足だ。
アイスクリームは苦手である。そもそも冷たい物が好きでない。アイスクリームが溶けてきた時に異様な甘さになる。すぐさま虫歯になりそうなほどに。冷たさで誤魔化していた甘味が本来の姿を現してくる。あれはとても食べられた物じゃない。身体に悪い。
生クリームは好きなくせに、そんなことを思ってしまう。

加齢の恐怖から逃れる思考について。


僕はかつて、歳を取ることが恐怖だった。


どんどん老いていって枯れていく。あらゆる身体能力は衰えていき、残るものは何もない。人生の選択の幅も狭まれていく。若い頃に夢は実現しなければ、大人になってからどの様な転機が訪れようか。訪れるはずがない。

と言う具合に、とにかくネガティヴ思考を抱えていた。
いま自分は30歳を迎える直前なのだが、以前ならば「もう人生は終わった」位に考えていただろう。

だが、そんな心配も不要になった。不要になっというよりも、そんな取るに足らぬツマラヌことでクヨクヨする暇が無くなったのだ。


【目次】

新しい興味を作っていく

年齢のことなんて気にならなくどころか、むしろ、「人生が幾ら永くても全然足りない!!」と常に今だけを見て生きる考え方がある。

それが、「どんどん新しい興味を作っていく」という生き方だ。

何かの分野において精通しようと思えば、どんどん掘り下げていくことが可能である。たった1つの分野でも内部を細分化していけば、ジャンルとしては無限の拡がりを見せてくる。それを日々追求しながら、自己学習を繰り返しているとあっという間に時間が過ぎていく。
役立つとか役立たないとか、
それがお金になるとかならないだ、とかの算段は一切この場合は必要ない。
何が重要であるかといえば「楽しいか、楽しくないか?」だけである。

人生の楽しみを増やしていく

興味のあるモノを増やしていけばいくほどに、人生は楽しくなるし、彩り鮮やかとなる。まさに人生バラ色といった具合に。
面白みさを加速させる手立てとしては、「なるべく周囲の人間が絶対に興味を持たないであろう分野に詳しくなっていく」ことが挙げられる。


例えば、イングランドのショーン・エリスという男がロッキー山脈に単身で乗り込み、約9ヶ月の歳月をかけて野生の狼の群れに仲間に入れてもらった話など、知ったところで何になろう。
これは『狼の群れと暮らした男』というノンフィクション作品の話だ。
どの様なプロセスを経て仲間に入れてもらったのか、そもそもなぜ野生の狼と暮らそうと思ったのか、なぜ2年間も狼からもらった食べ物のみで生き延びることが出来たのか、などの無駄知識を仕入れることが出来る。
これを読めば更に狼の生態について詳しく学習しきたくなり、動物園にてひたすらに狼の観察を続けたり、専門書を漁り始めるかもしれない。

その様なことが人生を楽しくしていくと考えている。

ここにもやはり、役立つかどうかでなく、楽しいかどうかだけの考え方が必要となる。
そもそもこの本に登場する、狼と暮らしたショーン・エリス自身も楽しいどうかしか考えていない。一般的な考えでいけば、「噛み殺されて食べられてしまう」と考えるはずだ。

年齢のことなんて、忘れてしまっていい

幾つになったからコレくらいのことは常識とし身につけておくべきだ。
コレくらいは持っておくべきだ。
こういった世間の常識に縛られた生き方は捨ててしまったほうがいい。

「家を買ったほうがいい」
「車を買ったほうがいい」

こんなものを信じなくていい。

楽しくなるなら買えばいいけれども、自分に不幸を招く結果となりそうならば必要ない。

年齢を気にしなくなると、誰とでも仲良くなれる

自分はあまりに相手の年齢を気にせず、気が合えばどんどん仲良くなるように心がけている。心がけていると言うよりも、「面白い人物だな」と感じた相手とは積極的にコミュニケーションを図っているだけである。
そんな時に、「年齢のことなんて気にする必要は一切無いのだな」としみじみと思うのである。

年齢制限を作らない

自分で年齢制限を設けるのはもったいない。
興味があれば今すぐ始めればいいし、気に入らなくなったらやめてしまえばいい。

そんなことを気にしている程に、人生は暇ではない。思いっきり楽しむために人生はある。
思い込みの壁を全部取っ払い、楽しいことだけを追求していこう。

人生が辛い、つまらない時の対処法。

人生がどうしようもない位に辛くなったり、行き詰ったりすることがある。

仕事でめちゃめちゃ失敗したり、人間関係が崩壊したり、誰かに死ぬほど嫌われたりとか、とにかく色々。


もうダメだ、人生終了だ。
全てから逃げたい。
それくらいに絶望したりした時、いつも思うことがある。

それでも生きていくしかない

どんなに最悪な事態になろうが、どれだけボロボロになろうが、選択肢は1つしかない。

「それでも生きていくしかないんだよな」

この一言がいつも頭の中に浮かんでくる。

頭の中だけでなく、実際に口にしてみたりもする。
少し演技っぽい口調で言ってみたりすることで、何かの主人公になったような気持ちになる。

生きていればなんとかなる

とにかく生を繋いでいけば、なんとかなる。なんともならない様に一度は思えたりしても、生きていたら明日は来るし、明後日も来る。
ただひたすらに苦難を耐えるしかない。
もちろん逃げてもいい。どんな手段を使ってでも、生き延びることが大切だ。


どんなにダメでも、それでも生きるしかないんだよなと、一種の諦めの様であり何かを悟ったかのような表現が心を少し救ってくれる。

「これをして何になる?」は、野暮な問いだと思う。

何かを始める時に、損得感情だけで判断してしまうのは実にもったいない。

「これをやれば、すぐにお金に繋がるか?」とか「幾ら損をしたとか」とか、そんなことばかりを考えていては動けなくなる。


【目次】

お金を稼ぐことを第一のモチベーションにすると、辛くなる


早く稼がねば、と焦れば焦るほどに人生は辛くなるし楽しいことが減っていく。
一定の額を安定的に稼げるようになれば、楽しくなるのかもしれないが、それでもお金だけを目標にするとキツくなると思う。


学びを愉しむ、ゆとりを持つ

「知らなかったことを知る」
「出来なかったことが、出来るようになる」
こういったことを純粋に喜べる感覚を持っておくことが大切だ。

子どもの頃は、喜びが全ての原動力だったはずだ。
それは大人でも同じはずである。
しかし、「お金を稼ぐことが大切」というイメージが刷り込まれてしまっているがために、すぐに損得判断を行なってしまうようになる。
だか、それでは物事を短期的にしか見られなくなる。

1番理想的な流れとしては、「寝食を忘れるほどに没頭していて気が付いたら、それが少なからず収入になってきた」という感じだろうか。

お金では幸福の尺度は測れない

お金をたくさん持っていれば、常に幸福だとは限らない。
何かを持っていれば、それで人生が良くなるなんてことはない。
それよりも自分の中に知識とか経験とかを沢山持っておくことのほうが、人生は豊かになる。
自分は少なくとも、そう考えて生きている。
何を幸せと感じながら生きるかは人それぞれではあるが、銭勘定ばかりしないほうが生きやすいし楽しい。