人は知らず知らずのうちに、他人をコントロールしているのではないだろうか。
昨日、『消された一家』を読みながらフトそんな事を考えた。
この本は実際に北九州市で起きた殺人事件について書かれたルポルタージュものである。
事件の内容としては、監禁し、マインドコントロールにより家族同様で殺しあわせたという凶悪かつ残忍なもの。なかなかに読むに耐え難い内容だった。
僕は、そういうジャンルについてある程度耐性があるので、大丈夫だったが、途中で気分が悪くなって読めなくなると思う。
事件の詳細について詳しく知りたい人はウィキペディアでみて。
で、今回、記事を書こうと思った理由としては、本を読んだ後に、
人は無意識の内に他人をコントロールしてしまっている場合があるのではと思ったからだ。
この事件では、意図的に操っているのだが、本人に自覚が無くても、結果的には操ってしまっている場合ってのは多々あると思う。
そして、そういう影響を受けやすいのは子どもだ。
世間を知らないが故に、何でも純粋に信じてしまう。
■親は子をコントロールしている。
まず、一番小規模な単位から話をはじめると、親っていうのは影響力が大きい。
小さな子どもにとって、親ってのは絶対的な存在であって、全ての価値判断基準を親に委ねざるを得ない。
親が駄目と言えば駄目だし、いいよと言えばよくなる。
子どもにとって身近な大人は親だけだし、その分影響力も絶大だ。
成長と共に人は心身共に変化していくが、それでも尚、小さい頃に言われた事、教えられたことは、身体に染み付いていて、その人物を形成している大きな要因な一つとなっているだろう。
なので、親は子どもをコントロールしているという事実に、自覚を持つべきだ。
そのことを踏まえたうえで、行動を取るべきだと思う。
■教師もコントロールしている。
次に、考えられるのは学校の教師だ。
子どもが最初に接する大人は、親であり、そしてそれに次ぐのが、教師である。
家庭というコミュニティから、学校というコミュニティに活動の幅が広がっていく。
そこで出会うのが、教師という大人。
これもまた、子どもの人格形成の大きな一端を担う。
子どもにとって学校は社会の全てである。いや、世界の全てである。
学校でうまくいかなくて自殺してしまう子が出るのはなんら不思議な話ではない。
世界のすべてなのだから、そこで失敗すれば、もう他に生きる道は無いと思ってしまうのだ。
そして、その世界で頂点に立っている、教師たち。
この人たちも、コントロールしているという自覚を持つべきだ。
■おしまい。
今回は子どもに的を絞って話をすすめたが、大人だって簡単に操られてしまう。
冒頭で述べた事件では、大人たちが次々に騙されて、意のままにされていく。
相手の為を思ってしているつもりのことがコントロールだって場合もある。
それが受けての捉え方の問題といってしまえば、それまでの話となるだろうが、事実そういうこともある。
特に、影響力を持っている人物は、そのことを強く自覚してもらいたいと思う。
あなたも無意識の内に誰かを操っていないだろうか。
相手の為を思ってとか言っているが、それが実は自分の為であったりして。。。