情報はお金を払うもの。タダに慣れてはいけない。
情報は無料が当たり前だという誤った認識がある。
インターネットを日頃利用していると、どんな系統のデータだろうと基本的に、タダで仕入れることが出来る。
時間を掛けて検索していけば、ある程度自分の知りたいことは集まってくる。
これは良いことだが、そのせいで情報は無料であることが当然だという考えが一般的になってしまう。
書籍は有料である
読みたければ書店にて買い求めるしかない。
しかし、図書館を利用すればお金を支払わずに読めてしまえる。
これは大変ありがたいことだ。
この恩恵は大いに活用すべきであり、どんどん借りて読んでいけばいいと思う。
しかし、図書館にすべての本が置いてあるわけもなく、買わなければならない場合が出てくる。
また、あったにはしても予約が何十件も入っていて、読める順番が回ってくるのが一年以上先ということがある。
この時に、自分の手元に本が届くまで、ただ待ち続けるのは時間の無駄だど感じる。
本来、本を読む行為には、情報の提供に対価を支払うことが必要である。
なのに、無料で読めてしまう環境に慣れきってしまい、「払うわけないだろう」と憤慨する。
払わないことを当然と考えない
本は買って読めについては、賛同できない。お金を遣うことなく読める状況が整っているのであれば活用すべきだと思っている。身銭を切らなければ、本を読んでも身に付かないの話は理解しがたい。
だが「払わないことが当然だ」とまで思うようになってはダメだ。
待つ時間の節約のためにも、読みたいモノであれば、お金を遣う。
自分の人生を取り戻す方法について。
自分の人生は自分で選択していかないと、濁っていく。
— アビさん (@abiabitarou) 2017年4月26日
周囲に合わせなきゃとか、親の言う通りにしなければとか、世間の常識に背いているだとか、そんなことを考えつづけると、息苦しくなることがある。
【目次】
誰のための人生か
かつての自分はいつも窒息していた。
周りとズレることが怖かったので、意見を揃えることを意識し続けていた。
自分の人生なのに、誰かの人生を生きているような感覚に陥っていた。
全て、誰かのせい
誰かの言う通りの一生を過ごすことは、苦痛ではあるが、ある意味ではとても楽だ。
責任の所在を、他人に押し付けてしまうことが可能であるからだ。
上手くいかなかったり、失敗してしまった際に、「〇〇の責任だ!」と簡単に転換してしまえるから。
だけれども、そんなことを繰り返していると、自分で考えたり行動を起こす気力が湧かなくなる。湧かなくなるというか、そもそも何をどうやって考えて生きたらいいのかすら、判別が付かなくなる。
自分を見失っていく
自分は何が好きで、どんなことをしている時が幸福であるかとか、どういう状況を苦痛と感じるかだとか、そんな単純なことすら不明瞭になる。
冒頭の自分のツイートのように、濁っていく感覚にある。
自己を喪失していると、簡単な誰かの言いなりになってしまったり、いいように操作されてしまう可能性が高い。
他人の評価に影響を受けやすい
人の言う、良し悪しに左右されやすい。
簡単なところで言えば
「あの人が彼のことを悪く言っていたら、彼は悪人に違いない。極力、交流はやめておこう」といった具合だ。
人の評価なんて、個人のバイアスが幾らでも掛かっているテーマなので、全くもってあてにならない。
だが、左右されてしまいやすい人は、そんなことも考えられなくなる。
人を除け者にするイジメだとか、集団での嫌がらせなどは、その場において影響力を持っている人物が、周囲をそそのかした結果から生じるものが多い。
いじめる側の全員が全員「あいつは、嫌な奴だな」と実感した上での、イジメ行為であることは少ない。
自分を持つ
自分の意見や意識を持つということは、難しいようであるが、要は「自分の直感に従う」という単純なことである。
なんとなく嫌だな思うことは避けるようにしたり、無理に誰かと行動するのでなく、1人がいいならば1人で動けば良いし、そういった、「自分の心地よい状態を常に確認しながら生きていく感じのこと」である。
それが、自分を持つことに繋がってくる。
なので、難しく考えたりするのでなく、「嫌なことは嫌といい、良いことは良い」と言えばいい。
それがなかなか、難しかったりするのだけれども、そういうことが大切だなと思うんですよね。
何もしない日々が、少し懐かしい。
何かをしても、何もしなくても平等に時間は流れていく。
ただじっと横になり、天井を見上げているだけでも1日は終わる。
大学1年の夏休み
今日は何もしなかった。
明日も、明後日も。
そんな生活を送ったのは、大学1年時の夏休みだっただろうか。
バイトを何もしない生活を送っていたので、自由なお金は持っていなかった。
親と暮らしていたので、食住は保証され、死ぬことはない。
ただ、遊び金が無いだけのこと。
オンラインゲーム
仕方があるまいと、やったことは、オンラインゲームのみ。
当時、あらゆる種類のネットゲームに手を出していた。少しずつプレイしてみて、1番しっくりくるのはどれか?と比較し続けていた。
その結果、2Dの横スクロールアクションゲームにたどり着いた。
うおーやり込むぞ!と、ひたすらに1日パソコンの前に張り付いてプレイしていた。
勤めていた会社が倒産して、無職になって暇なので、ネトゲを始めたという人とゲーム内で知り合った。
一緒に冒険を続ける日々。
その人はとんでもない中毒プレイヤーで、いつ寝ているのだろうかと言うくらいに、1日中オンライン状態になっていた。
付き合って遊んでいたら、1日で12時間くらい、ほぼ無休憩でやったりの生活になっていた。
その頃、中国のネットカフェでゲームのやり過ぎで死んだ人たちのニュースが流れていた。それを聞いた時は、そんなことあるのかよ、と思っていたが、身を持って経験した。確かに、死ぬ。頭痛と吐き気がやばかった。
もうこれ以上は無理だ!と思い、しばらくゲームを辞めて、ただ横になって漫画を読むような生活スタイルになった。
ケータイでmixiの日記を更新して、メッセージのやり取りをして、寝る。
そんな腐った日々。
その年の夏休みに遣ったお金は、ネトゲのキャラのコスチューム代金の2,000円のみだった。
大人になった今
社会人になった今は、そんな堕落の日々を過ごせない。
休みが来れば、少しでも有効活用しようと、何かしらのアクションを起こしてしまう。
人生に意味や、生き甲斐や、価値を見いだそうとしているようで、なんだか嫌な気持ちになる。
ただ、息をしているだけのような、天井を見上げて日、1日が過ぎていくような日々を、また過ごしたい気もする。
人生をゆるやかに、過ごしていく。
歳を重ねることが怖かった。
人間、いつかは必ず死ぬ。
これを避けて通る道はない。
シルベスタースタローン主演の『デモリションマン』みたく、氷漬けで未来まで肉体を保管して欲しいなと思ったりもした。あれは冷凍刑務所だったけど。デモリションマン [Blu-ray]
20歳をピークに肉体は成熟を迎え、あとは緩やかに細胞が死滅していき、衰退の一途を辿る。
思考力、記憶力、好奇心、外見的魅力、あらゆるものが劣化していくだけだと思っていた。
歳を取れば、経験は得られる
だが、歳を重ねれば重ねるほどに、あらゆる経験を積むことは出来る。
唯一、若い人に勝てるポイントだ。
机上の理論をただ並べていくのでなく、実際に自分の目と耳で見識を深めていく。
それによって人間力を高めていくことが可能となる。
好奇心は衰えない
子どもの頃は、何をするにしても初めてのことばかりで新鮮であるがために、感動出来る。大人は心を動かされることが滅多に無くなってくる。こういう風に言われてきた。
だが、それは慣れ親しんだ習慣のみに従事し、新たな挑戦を避けているだけの結果だと思う。
新規のことに取り組むには、それなりのパワーを要する。下調べが必要であったり、知らない人たちの中に飛び込む勇気もいるだろう。また、自分の知識の無さが周囲に知られることの、恐怖もあったりするかもしれない。だけれども、その経験が好奇心を育んでいく。
日々、変化していく
1カ月前に真剣に取り組んでいたこと、興味のあったこと。半年前に興味のあったこと。もっとさかのぼり、1年前に興味のあったこと。それらを振り返ってみると、今とは全く異なるものであったりすることが、よくある。
全て違うということは無いけれども、飽きたり、もうある程度、満足してしまったりしている。
飽き性だとか、継続力がない、とマイナスに言われるかもしれない。
だけど、どちらかと言えば「好奇心が強く、常に新しいことに挑戦したいと考えている」ことだと、僕は捉えている。
変化を受け入れられれば、歳を取ることは、怖くない。
今後、どのような方向に自分は進んでいくのかを楽しんでいけばいい。
「人はなかなか変わらない」とか、「もう、人生の先が見えた」とか、なんだかそんなあまり良くない感じの発言はせずに、楽しんで生きていけばいいと思う。
浮気を防止する方法は、可能性のあることを全て排除するに尽きる。
人間心が弱いもので少しでも気のある異性に言い寄られたりなどすれば、心が傾いてしまったり、一寸魔が差してしまうことは大いにあるであろう。
そのようなイベントにそもそも当たる確率は低くはあるが、もし仮に起きてしまった場合が厄介なのである。
そんな珍事はレアケースであると、自負しているがために、その1回をどうにか物にしようとの思考が働く可能性が高いのだ。
そんな下心を封じてしまうためには、どう動けばよいのか?
可能性を潰す
これに尽きる。
「危ないかもしれない」と少しでも感じる場には、出向かないことがよい。
人間は精神でどうにか制御をすることが、とても不得意な生物である。
それが為に、何事かをやらかしたのちに、「魔が差して」だの「たまたま」だのとの、不慮の事故に巻き込まれた不可抗力によるものであるとの証明を行おうとする。
精神が当てにならないのであれば、とにかく、浮気のありうる状況を避けるしかない。
あー、これはやばそうだね。という集まりやイベントに出向かない。(出会いを目的にしたもの)
なんかそういうサイトに登録しない(出会いに近いサイト)
物理的な解決が1番なのである。
ゼロは何倍しても増やせないものなので、限りなくゼロにしておこう。
自己学習の分野を作っておく
何か没頭できるものを作っておくというのも、素晴らしい手段となる。
学習といっても受験勉強や、資格勉強のことではない。
資格勉強や資格勉強は、何か目的があり、それを達成するため、半ば強制的にやっていることである。
そうではなく、楽しくて楽しくてやめることの出来ない何かを作っておくことがベストである。
自分の場合であれば、とにかく読書だ。
日々面白い本はないかと、読書に関する情報を発信しているサイトを覗いているし、本屋や図書館は毎日のように通っている。
少しでも空いた時間があれば本を開き、本文中に気になるワードが出てくれば、それに関する書物を検索してみたりする。また、気に入った著者の作品をひたすらに追いかけ続けることも行なう。エッセイ作家の椎名誠さんの本はもう、かれこれ50冊以上読んだのではないだろうか。
好きなことを追っていると、非生産的な時間を過ごせなくなる
自己学習には、終わりがない。
試験勉強や資格勉強においては、合格という明確なゴールが設定されている。
しかしながら、自分で開拓していく勉強は手法が無限に存在しているし、深めようと思えば何処までも深めることが可能だ。
浮気をするには、バレないような工作も必要であるし、会ったり連絡を取る時間も作らねばならない。また、お金も掛かる。そんなことをしていては、勉強が出来ない。
おわり
浮気をしないためのポイントは2つ。
- 可能性を潰す。
- 好きなことを追求していく。
である。以上。