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思考拡張日記。

読者と料理とネットが趣味です。

信じられないほどの不幸ーー『四丁目の夕日』 著:山野一

書評 本の話


あらすじ

大学受験を目指し勉学に励む主人公別所たけし、そんな彼の人生は母の事故から始まる連鎖反応的な不幸により無間地獄へと堕ちていく……。

国内を代表するサブカルチャー文化を生みだした漫画雑誌『ガロ』にて連載されていた、山野一氏の代表作品です。
山野一氏は、同じく漫画家であった、ねこぢる、と結婚されていました。

【目次】

感想

全てを破壊する

人生の意味とか目標とか、全てをぶち壊すような漫画でした。

理想や他人との差別化などは全て幻想であり、常に私は見えない敵と闘い続けているだけなのではと感じました。

自己価値を求めて、もがく人生

少しでも崇高な人生にしよう、自分の存在価値を高めようと、無理にでも他者に「個人の意義」を押し付け、人類のちっぽけな一部ではなく、何者にも代え難い、「特別な個」であることを認識してもらいたく考えています。いわゆる承認欲求でしょうか。

承認欲求に残りの人生を費やし、大切な物を棄て、偽りの人生を進むことの虚しさをヒシヒシと感じさせる作品でありました。

世界は虚構に過ぎない

この作品の手荒な表現・ストーリー構成は、一見、粗雑な印象を与えてしまう可能性が高いです。しかし、その影に、世の中に大した物は無く、どんなに悲痛な事象であろうとも、それほどに重要性を占めておらず、"虚構"であるに過ぎないことを表しています。


ーでは、私はどうしたらよいのでしょう?

生き続けるしかない

運命は定まっているものでも、自分で切り開くものでもありません。様々な要素が複雑に絡み合い、たまたま出来上がった世界に過ぎません。

ただ、受け入れていくしかないのではないでしょうか。


絶望するのでもなく、変に期待を寄せ過ぎるのでもなく、ただ目の前に起きたことを観察することしか出来ません。

それは、"無力"の一言で片付けられてしまうでしょう。

確かに、無力と言ってしまえば無力なのです。ですが、何も出来ない訳ではありません。変化は起こすことは出来ます。それが、必ず良い結果、理想とする未来、を構築してくれるかは別として、変えることは出来るのです。

四丁目の夕日 (扶桑社文庫)

四丁目の夕日 (扶桑社文庫)

「ありがとうございます」は、役に立つ。

生活 日記

他人から褒められた時の対応を、皆はどうしているのだろうか。

自分は、あまり素直になれず、「いえいえ、そんなことはないです。本当にダメなんです」みたいな感じに全力で否定するスタイルを昔はとっていた。

「ありがとうございます。嬉しいです」みたいに肯定的に受け止めて、感謝することを苦手としていた。

【目次】

素直に「ありがとうございます」と、言えなかった

なぜ、不得手だったかといえば、相手のその言葉がもしかすると、お世辞の可能性だってあるし、本心である可能性は低い。
また、すぐに喜ぶということは、余程自分に自信があるんだなと思われてしまうようで、素直になれなかった。

だけれども他人の好意というのは、変に否定なんかせずに喜んでしまえば良い。
何事も考え過ぎるのはダメだ。
喜ぶほうが、言った側としても嬉しくなる。互いに気持ちの良い関係性になるほうがいいに決まっている。

怒られた場合も「ありがとうございます」と言おう

逆に怒られた場合の話もついでにしよう。

叱られた際には、申し訳ございませんの謝罪も当然だけれども、それに加えて、「ありがとうございます」のセリフもあるとよい。
教えて貰わなければ気付けなかった、とか、自分の為を思って言ってくれて申し訳ない、みたいな感謝の念を表しておけば、すごく人生が楽になる。
自分は、この考え方というか、生き方ですごく楽になれた。
必要以上に関係性が悪化することがなくなったし、逆上してしまうことなんて全くない。

逆ギレは百害あって一利なし

逆上は、「なんでそこまで言われなきゃいけないんだ」みたいな気持ちが積み重なって起きてしまう。何を言われてもヘラヘラしている奴、みたいに思われてしまうことは良くないのだろうけれども、逆ギレしたところで良いことは無い。
基本的に、叱られる時は相手が目上である場合が多いし、ドラマの様に啖呵を切ったところで、現実は事態が悪化するだけだ。

素直に感謝しよう

まとめるならば、褒められた時には素直にありがとうございますと言い、叱られた時には、ごめんなさい、教えて頂いてありがとうございます、と言えばいい。

なんかどちらにせよ、感謝ばかりしていて、日本語ラップのようだ。

描いたら即シェア「pixiv sketch」が便利。

インターネット

絵を描くコストが本当に低下してきているなと強く感じる。

先日、

pixiv Sketch

pixiv Sketch

  • pixiv Inc.
  • エンターテインメント
  • 無料

「pixiv sketch」というアプリをダウンロードした。

絵を簡単にアップロード出来るだけでなく、アプリ内で絵を描くことが可能。

日々のお絵描きをもっとお手軽に

とホームページで謳われているが、本当にその通りになっている。

pixiv Sketch - お絵かきコミュニケーションアプリ

きちんとした絵だけではなく、落書きや描き途中の絵も気軽にシェアできる場所

【目次】

スマホ1つで下書きから、アップロードまで可能

画像を読み込んで背景にすることも出来れば、画像をトレースして自分で描き直すこともできる。

かつては有料のイラストソフトを購入しなければ出来ず、パソコンは必須であった作業が全て、スマートフォン1つで操作可能となったのである。

お絵描きソフトだけでなく、スキャナー、ペンダフといったモノも揃える必要があり、デジタル上で絵を描くことは敷居が高いというか、それなりの手間を要していた。

絵を描く敷居が劇的に下がった

モノもお金も掛からない時代になったなと痛感させられる。

手間暇が掛からずに、ちょっと絵を描いて共有出来るようになれば、絵を他人に見せる機会も増え、またそれと同時に他人の絵を目にする機会も増える。
かつての描き手を目指した人々よりも、現代の若者たちは環境に恵まれ、上達のスピードも早いのだろうなと思わされる。

絵でコミュニケーションしよう

自分が10代の学生の頃は部屋のなかで1人描いていたのに、今では1つのコミュニケーション手段として成立している。

落書きレベルでいいので、絵を描くことが好きな人は使ってみると楽しいアプリだ。

1人で全てをしようというのは、間違い。

生活 インターネット

最近、主体的に情報を取りに行くという行為に疲れてきた。

主体的・能動的に行動することは、すごくエネルギーがいる。
黙ってじっとしていても、良質な情報が入ってくる環境を構築出来たらいいのになと考えている。分業をすべきなのだろう。

【目次】

情報の分業

分業はとても便利だ。自分の得意なことや好きなことのみに力を注げばよいので、負荷が少ない。
「全部1人でやってしまおう」という、発想は現代には合わないと考える。
そうなるとそこで求められるのが、コミュニケーション能力。人間関係を構築しておくことで、他人に考えてもらえるし、やってもらえる。
しかし、ここでまた矛盾が発生。
コミュニケーション能力を使い、分業をしてもらえる関係性を築くまでの精神的コストが掛かる。そうなると結局はエネルギーを要することとなる。主体的にならざるを得ないというスタート地点に戻ってしまう。どうしたものやら。

周囲に人間をおく

1番良いのは、周囲に人を置いておくということ。それが理想。
それならば、じっとしていても、自動的に情報が入ってくる。オートメーション化が、負荷のない理想的な環境である。
様々なタイプのキュレーターを置いておけば、情報に偏りがなく、一定の思想に囚われることのない生活が送れそうだ。

ネットで情報を集める

1人で情報を集めるのにはインターネットが有効なのだけれども、ネットほど情報に偏りが生まれる場所は他にない。

ネットは見たい物しか見ず、見たくない物は目に入らないようにする事が出来る。
例えば、twitterのブロックやミュート機能。少しでも不快に感じると、そうやって視覚的に取り除くことが可能だ。
また、ネットは自分のなかにあるキーワードでしか検索出来ないので、広がりが少ない。
ネット上には膨大な情報があるといっても、日頃仕入れている情報は似通ったものなのではないだろうか。

周囲に人間をおくのには、シェアハウスが1番

ここで少し話が戻るが、周囲に人を置いておくことは、どうしたら可能なのだろうか。現実的手段としては、シェアハウスのような複数の他人との共同生活がまず1番に考えられる。
あとはコミュニティに複数属すことだろう。
シェアハウスはかなり向き不向きがあるとは思う。うまく活用出来れば、最高の環境であることは間違いない。

疲れが全然取れない。

日記

最近ずっと疲れている。

何をしても集中出来ないし、頭が働かない。

本を読んでも文字をなぞっているだけで、うまく読み込めないし、そもそも読み込む気力が足りない。

【目次】

会話が出来ない

誰かと一緒にいても、会話にうまく参加できない(する気が出てこない)ので、そもそも何の話をしているのかも分からないことが多い。

複数人でいるときは、相づちすら打たずにぼーっとしている。無になりつつある。

本を読んで逃げてる

仕事がめちゃくちゃ忙しいというわけでもないし、どちらかといえば、なるべく働かないでいいよう、仕事から逃げる選択をしている。
休日出勤は入れられないようにしているし、最低限の協力しかしていない。

職場でも面倒な会話に巻き込まれないように、ひたすら本を読んでいる。
スマホをいじっていると遊んでるだけだなと思われて、面倒な事に巻き込まれやすい。だけれども、なんだか小難しそうなタイトルのハードカバー本を広げているだけで、若干距離を取ってもらえる。ありがたい。

ここのところずっと、連休がないのが原因なのだろうか。自分の平均睡眠時間が6時間未満くらいなのが良くないのだろうか。

ブログも書けない

そんな感じだから、ブログにしても書きたい気持ちが湧いてこない。
文章を作るのは、ある程度元気が必要である。
気持ちに左右されてしまうようでは、いつまで経っても文章が上達しない気もするが仕方がない。

久々にゲストハウスに泊まりたいとか、なんかオフ会に行きたい、とたまに思うけど、こんなに疲れていては、行ってもうまく交流出来ない。

30歳になるとこんなにもショボくれてくるのだろうか。

夜は早く帰りたい。

生活

最近、夜に外にいるとスゴく家に帰りたくて仕方がなくなる。

学生の頃は夜まで遊ぶのにも全然付き合っていたのだが、夜は普通に寝たいと思うようになった。

1日の全ての活動エネルギーを消費し終えた精神状態で、何も生産的な行動を起こせるはずがない。
まあ、べつに利益だけを追求している訳ではないが、明日が控えているのに、無理に今日を引き延ばして行動することの無意味さを考えてしまう。

【目次】

体力がない


僕はとにかく体力が少なくて、個人的資質というかエネルギーステータスの振り分けが難しい。
読書をするにしても意欲的に他者と交流するにしても早期決戦というか、早めに片付けてしまうように気を付けている。

長時間コミュニケーションの難しさ

長引くと凄くダレるし、うまく他人に気を遣え無くなってくる。その場にいるのだが、精神だけがもう何処かへ行ってしまう。長時間コミュニケーションが出来るような人間にはなれない。

集中力の持続時間を伸ばしていく方法はあるのだろうか。疲れてしまえば気力は衰えてくるし、頭も働かなくなる。

睡眠するしかないのでしょう。

僕の世界を広げた、ガラケー。

インターネット 生活

特別お題「おもいでのケータイ」

思い出のケータイは、高校三年生の終わりの頃に買ってもらったドコモのガラケー(FOMA f702id)だろうか。


それまではパケット制限契約をしていて、着うたを数曲ダウンロードしただけで、その月の使用上限額を使い終わってしまっていた。新しい月が始まって1日目にして、使用不可になったこともある。
また、自宅にはネットに繋がったパソコンも無かったので、完全にオフラインの生活をしていた。
よってネットの話とか何も分からなかったし、学校の人間としか繋がりを持っていなかった。


【目次】

勉強はしていなかった

そんな感じの生活を送っていたわりには、勉強に励めていたかといえば、全くそんなことはなかった。どちらかといえば、落ちこぼれていた。漫画ばかり読んでいたし、なんか下手くそなイラストを描く練習したり、小説もどきばかりを書いて生きていた。
地元ではそこそこ有名な進学校に通っていて、周りの人間は医学部にどんどん受かる位に優秀だったのだけれども、自分は浪人した上に、二流の冴えない大学へ入った。

浪人時はモバゲーばかりしていた

浪人中は勉強そっちのけでネットの世界に入り浸っていた。
今思い返せば、1番勉強に集中する必要のある時期に、そんな刺激的なオモチャを持ってしまったことは失敗だったと思う。
ネットを通じて知らない人間とメールのやり取りをしたり、当時流行っていたモバゲータウンのSNS内で交流することが楽しくて仕方がなかった。何が面白いのか今思えば分からないモバゲーのブラウザゲーばかりやっていた。どうにか順位トップの中に食い込めないかばかり考えていた。そんな暇があれば、勉強をして模試のトップ順位を目指せよとしか思えない。

ネットで初めて女性と話した

僕が通っていた学校はほぼ男子校みたいな所だったので、女性とのマトモな会話なんてのも、ネットを介してが初めてだった。
それまでは女性なんてのは全く違う生き物としか考えておらず、同性と接する時とは異なる対応をしなければならないと思っていたがそんな事は無かった。
普通に好きな音楽の話をしたり映画や漫画やゲームの話が出来た。
男も女も、そもそも性の区分の前に、人間という同じ生命体なのだから、大きな違いがある訳がない。

東京へ行く決意をした

ネットで色んな人たちと会話をして楽しんでいくうちに、大体のひとが東京近辺に住んでいるということが分かった。
自分は地方在住だったので、ネットの知り合いたちと遊ぶには、どうにかして東京に行かねばと思い、都内の大学を目指すことにした。

だが、浪人中も予備校の友達とラーメンを食べにフラフラしたり、ゲーセンで遊んだり、マックなどのファーストフード店でダラダラしていたので、またしても勉強をしていない。
家に帰ってもケータイで遊んでばかりで、カバンを一度も開くことなく、翌日の授業を迎える。

これでヤバイと、数科目で受験出来る私立に受験を絞り、ひたすらに英単語帳とか、イディオム集とか、数学の過去問だけを繰り返し解いた。それが良かったのか、受かった大学の試験はほぼ満点で行けた。

実際にネットの知り合いと遊んでみた

そんな感じで東京に出てきて、ネットで知り合っていた人たちと遊んだりしてみた。
どの人とも長期的な付き合いは出来ず、数回で終わった人や、一回きりの人もいた。
だけれども、ネットからリアルへの経験を沢山したお陰で、ネットへの抵抗というか、恐れは少なくなった。
当時はまだまだ、ネットから会うのは危険だとか、恐ろしいみたいな風潮が強く残っていたので、割と早い段階でそんな事は無いというのを感じられた。
まあ、ネットの痛ましい事件とかも度々あるし、ヤバイ時はヤバイのだが、そんなリスクはどんな物にでも付きまとうものなので、仕方がない。

ネットで価値観が広がった

大学に入ってからも、ネットを使ってオフ会に参加したり、バンドを組んだり、ニートの知り合いたちとネトゲを徹夜で楽しんで遊んでいたり、ネットラジオ放送をやってみたりした。

その経験は、貴重なものだったなと思っている。世の中には色んな人間がいて、今の自分の周囲の環境だけでは知ることの出来ない世界が広がっているのだなと実感した。

これからも、ネットで生きる

全てのきっかけは、高校卒業時に入手したドコモのガラケーである。

今もこうやってブログを書いたりtwitterを頻繁に使ったりなど、ネットに生きている。

僕は今年でもう30歳だ。


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