思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

ブログ継続のコツについて。1000回目の更新を目前に考えた。



もうじきこのブログも1000回目の更新を迎える。

正直なところその数を目標に掲げていたわけでもなく、書きたい時に書くを繰り返しているとそこに辿り着いたという感じだ。

文書の構成力や表現力などのテクニックが磨かれたという実感はないが、何を書くかあまり悩まずに更新出来るようにはなれた。


今回は、ブログを継続して書けるためには何が必要かについて考えてみたい。

書くことが好き

まずは、書くことを楽しめるというのが最重要課題だと思う。


お金を稼ぐためにブログを書くを目標にするのもいいかもしれないが、なかなかそれだけの為に書けるものではない気がしている。

それよりも、自分の書いた言葉を誰かに伝えたいという強い欲求を持っていること。

自分が何を思いながら行動しているのか、周囲の出来事をどの様に捉えているのか、それらを言語化し、客観視したいという思い。

こういったものが必要になる。


有名ブロガーに惑わされない

月に1万円以上稼げなければそのブログを更新する意味がないだとか、何万PV以上得られなければいけないだとか、そういった有名ブロガーの言葉は無視していい。

他人を真似たり、それによってマネタイズすることはいいけれども、それに終始してはならない。

初めから上手く出来るわけがないし、雑な内容で構わないから自分の言葉で伝えることを重要視するのがいいんじゃないだろうか。

記事のクオリティにごたわり過ぎない

必要最低限の文章ルールは身に付けておかなければならないが、常にベストパフォーマンスを発揮出来るわけはない。
質に固執し過ぎるよりも、更新頻度を重要視したほうがいいんじゃないだろうか。
伝えたいことが多くある時やほとんどない時と色々あるのだから、その時の自分の気持ちを素直に書けばいい。
記事レベルに異常にこだわりを持っているブロガーほど、消えていってしまう。
ブログは継続することだけに意味があると思っている。

他人のブログを読み過ぎない

これも重要だと思う。
人はどうしても他人と比較して劣等感を抱いてしまったり、自分に無いものばかりに目を向けてしまいがちだ。
ブログ更新モチベーションアップのために、読むのはいいが、読むことでやる気が削がれてしまうのであれば読まない方がいい。
自分はほぼ読まない。気に入った人のブログは読むが、自分から積極的に読んでいこうとはしない。


これからも続けていく

今後もブログは続けていきたい。
twitterで書くことも好きだが、1年前の今日自分が何をツイートしたかを遡ってみたりすることは面倒だし、ブログの様にまとまった文章を残せるわけでも無い。
ブログのことを積み上げ式の資産だとか言うつもりも無い。書くことで劇的に人生が変わっただとか、安定した収入を得られましたとかも全然無いけれども、少なくとも欲求は満たせている。

自分の書いた言葉を誰かに伝えたいという欲求。
これがブログ更新の原動力だ。

やる気になった人間を邪魔してはならないし、やる気がない時に無理に動かしてもダメ。


他人に発破をかけることの無意味さみたいなものを感じる。

やりたい時にやらせなければパフォーマンスは発揮出来ないし、そもそも適性のないことならば無理強いをしたとろこでどうしようもない。

誰に何が適しているのかはやってみなければ分からないが、やりたいという衝動をまず持てないのならば、適性が無いというのは明白だと思う。

うまく出来なくても繰り返しトライしたり自分なりに新しい戦略を建ててみたり、と試行錯誤ができることをやらせるのが一番いい。

明らかに死んだ魚のような目になることを任せてみても良くはならない。

ただ、世の中には全く興味のないことでも、それなりのレベルにクリアしていく気力を保てる層が一定数いる。
これは本当に尊敬に値する。

どうやったらそういうモチベーションを維持できるのか疑問だ。
ただ、この層の人間たちは維持出来ているという事実にまず気付いてすらいない場合が多く見受けられる。変に知恵を働かせないことがコツなのかもしれない。


興味の持てるものに出会えた人間の邪魔をせずに思う存分に楽しませることの大切さ、みたいなものを考えるようになった。

余計なアドバイスをしたり、必要ともしていないのに手を勝手に加えたりするようなことは決してしてはならないと思う。
これは子育てにも通じるんじゃないだろうか。

自分に適した場所を探し求め、移動していく。

同じもの・同じ表現でも、場所を変えていけば評価は変わっていくし、レスポンスの有無も切り替わる。

今の自分に出来ることや分かることが全て失敗だった、ダメだ、と投げ出したくなることも人生のなかではよくある。だが、全て否定に回してしまうのは実にもったいない。


どんどん移動していくことで道は拓けていく。

合わない環境はどこまでいっても合わないし、自分に適した場所を見つけられれば苦労もなく自分の力を発揮できたりする。
また、評価も受けやすい。

評価されるかどうか、理解して貰えるかどうか、仲間を見つけられるかどうか等は、自分にとって良い感じの居場所を見つけられるかどうかがポイントである。

自分に適するように場を変化させていくという手法もあるが、それはどうしても難しい。
過去からのシキタリだとかルールが存続していたり、個人の努力ではどうにもならないものもある。
なんかそこでやった感を出そうとしても、結局は根本的な解決には繋がりにくいし、所詮は定まり切った環境で不自由なまま自由を夢見続けるだけのことになる。
フィールド内を自由に散策できることを売りにしている箱庭型ゲームの様なものだ。
組み立てられたプログラム内で自由が演出されているに過ぎない。
そのことに気付かずに、一生を終えるパターンは沢山あるのだけれども。


自分には何があっているのかなとか、これなら上手くいきそうだなとかそういうモノを見つけられれば、あとはフィールドを移動していけばいい。
一箇所に留まり続け、踏ん張る努力をするよりも良い結果を産む可能性は高い。

やるべきことが沢山ある。

毎日生きているだけで、新規のやらなきゃいけないことが随時更新されていく。

一切何の予定も無いというか、しなければならないことは何も無いみたいな状況が続けばどれだけ幸せなのだろうかと考えてしまう。

あれもやらなきゃこれもやらなきゃ、みたいに頭のなかだけで漠然と思考していると、なんだか凄い大変な気がしてくる。
なので、小さなメモ用紙などに全て書き出す習慣を付けている。
書き出したタスクに優先順位を付けて、どれからやるのが1番効率的かを考えていく。
優先度は高いが作業負担が著しく高い場合は、次点の要件を繰り上げしなるべく少ない労力で解決可能な物から潰すようにしている。

クリアしてしまえば、メモ用紙に書いたその項目を塗り潰してしまう。

その"塗り潰す"瞬間がたまらなく気持ちがいい。

そうやって1つ1つ片していき、最終的に現時点でやるべき全ての行程を完了していく。

ついに終わったぞー!となっても、生きているとまた続々と何かしらの新規案件が増えていくので、本当に無限ループだなと感じてしまう。

やってもやらなくてもいい事に対しては、なるべく労力を割きたくないので、避けるようにしている。

自分の場合は、人付き合いを減らしてしまう。
人付き合いは、金銭的な拘束のみならず、時間的な拘束力も強いので、自分の精神力ではとてもまかないきれない。

もし仮に仕事をしていなければ人と会う余裕を持てそうではあるが、今すぐに仕事を辞めることは現実的ではないので、実行不可である。

もっと、やらなきゃいけないリストを減らした生活をしたいな。

他人と合わせて損をすることについて。

誰かに何かを合わせるって凄く損をしてしまう場合が多い。
効率的なやり方があったり得をする手順や手法がっても、相手がしたいようするのを傍観せざるを得ない状況だとかになると、時間とかお金を棄てるようなイベントが発生する。

ああ本当にもったいないとか、なんとも言えないモヤモヤ感が強まったりするのだけれども、そういうのをある程度は許容できるようにならなければ、他者との交流とか無理なのだろう。


何もかもを自分でしたい症候群になったのも、そのモヤモヤから抜け出したいがためである。また、少しでも自分で出来ることを増やしておくと、他人に任せざるを得ない状況に陥る可能性が低くなる。
自炊スキルなんてのも重宝出来る。
コンビニや外食産業に頼らずに、栄養価の高い食事を安価で摂ることが可能となるからだ。

精神的な安定を手にすることが自分の人生においては何よりも優先事項となっている。

毎度うまくいくとは限らないが、納得のいく日々を過ごしたいなと思う。

引っ越した。

新しい街へと引っ越した。


とても遠くへ移動したわけではなく同県内なのだけれども、街の雰囲気とか住人の層とか随分違うので、気持ちには大きな変化が出た。

引っ越しに掛かる労力はそれなりなもので費用含めて負担は大きいけれども、何もかもをリセットしてしまう様な感じにはなるので良いと思えた。


以前住んでいたところは職場からは電車で1時間近く掛かる場所だった。
今回も同様に1時間くらいは掛かるところにした。

職場と自宅は絶対的に距離が近い方がいいとかほとんどの人に言われたけれども、職場から自宅へと向かう電車の中で心がリセットされていく感覚があるので、どうしても遠方を選択してしまう。

早く片付けとか済ませて生活を再構築していきたい。

常に最善の選択をすることにこだわり過ぎない


もっといいやり方があったとか、随分と遠回りをしたり無駄な時間を過ごしてしまったと悲観してしまうことが度々ある。

そうなる度に、自分はバカだなとか周囲の人間に惑わされた所為で損をしてしまったとイラつくことがあったりする。

だが、そんなに毎度うまい具合に生きていける訳がないと考えるようになった。


ベストパフォーマンスを常に維持出来ない

そもそも心身共に絶頂期を迎え続けることなんて不可能だ。
過ごして嫌なことがあればすぐに気持ちは低迷してしまうし、キライな相手に会えば心をかき乱されたり不安定になったりする。

また、睡眠を充分に確保出来なければ頭は働かせられないし、疲弊している時だといつもは出来る単純な作業でさえままならくなる。

自分への合格ラインを低く見積もる

様々な要因によって、日々、活動クオリティは変動しているので多少の失敗は仕方がないし上手くいく場合ばかりではないので、あまり自分を責め過ぎないほうがいい。
また、「もっとうまく出来るはず」の精神は他人にも強要しがちなものなので、周囲の人間をも責めがちである。
人間は失敗をよくするし、上手くいく場合もたまたまパフォーマンスが良かっただけだと認識しておこう。

質より量で考える

一つ一つのクオリティに拘るばかりに、先に進めなくなる人は多い。
とりあえず問題無いレベルまでに仕上がってしまえば、次のことに取り組むほうが効率的だし効果的だと思う。
総合値で必要な数値を稼ぎ出すほうが簡単だ。
何事も、努力が足らなかった、と精神論で考えてしまいがちなので、自分では気付かないだけで実は苦手分野だったということは多い。

苦手なものはどこまでいっても苦手という場合がほとんどなので、ストレス無く出来ることから片付けていくべきだ。


人間はダメな時はダメで、常にベストは尽くせないと考えておこう。
そう思うようにすれば、少しは気が楽になる。