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思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

1人で映画を観るのが苦手だ。

【目次】

1人じゃどうしても映画を観る気になれない。

映画は自分にとっては、あくまでコミュニケーションツールであり、誰かと一緒でなければどうしても観る気になれない。


映画は時間が掛かる

映画一本まるまる観るとなると、どうしても2時間近く掛かってしまう。

本のように途中で一旦観るのを止めるということもしにくい。
一本の映画を細切れに観る人もいるのかもしれないが、自分としては観始めたのならば最後まで一気にいかなければならない気がしている。

受動的というところが苦手である

映画は受動的である。自分から観る速度を変えることもできなければ、一旦止めて自分の想像の世界に想いを馳せることも難しい。自宅でDVDを観る場合であれば、一時停止したり出来るがそこまでしようとは思わない。
あまり気分が乗らなくなってきても、強制的に最後まで運んでくれるのが映画なのだ。

議論を交わしたい派

自分は映画を観たあとは割と、あのシーンはどういう意味があったのかとか、オチがちょっと。。とか、何か言いたくなる。
なので1人で観るより、複数人で観るほうが好きだ。


攻殼機動隊の草薙素子のように

「本当に観たい映画は、一人で見に行くことにしているの」

なんてカッコのいいことを言える日は来そうにない。

生まれては消えていく、多量のコンテンツたち。

【目次】

3日前のネタがもう“古い”時代 - orangestarの雑記

どんどんと、コンテンツとか話題の消費速度って上がって行ってるし、(もし、適宜流行の話題について行こうとするならば、だけれども)情報を提供する側も、それに合わせた速度が要求される。何か話題になるような出来事があったら、その6時間後には、もうそれに対する文章なり記事なりを投下しないと、見てもらえない。3日あいたら、「なぜ今更その話を…」って思われるし1週間もたてば「そういえばそんな話題もあったな…」みたいな感じ。

みんなが、コンテンツや話題をものすごい速度で後ろに放り投げるようになるのも時代の流れかもしれない。

ネット社会の流転の速度

インターネット上の情報は、なんでもない一般市民が随時コンテンツを提供できる空間であるから、そのクオリティを問われることなく、多量に生産していくことが可能だ。
それが故に、流行るスピードも廃れるスピードも、とにかく速い。
幾らでも語れるテーマが存在するので、1つの物に固執する必要性がないからだ。
必要性がないというよりも、より新しい面白テーマを発掘して、それに関しての発信者となりたいがために次々と新しい物に飛びついていくのだ。

誰もが注目を集めたいインターネット世界

現実社会において注目を集めたいとなれば、ある程度の地位とか名誉とか、資産が要されてくる。
もし何もなければそれこそ罪を犯して捕まるでもしなければならない。
だが、ネット上では地位も学歴も資格も何も要らない。
なんの努力もなく有名になることだって可能な世界だ。
その偶然を狙って、常に新しいコンテンツを発見し続け、少しでも時間が経過したモノに対しては「今更そんなものを。。」と蹴落としていくスタイルでいく。


知らなくてもいい情報の集まり

拾い集めても仕方のない、完全なる無駄の集合体である情報によってネットの世界の半分は形成されている。
無駄が人生を豊かにするとは言うが、豊かにするかどうかも分からないレベルの無駄ほうが多い。
だからこそ3日も経てば記憶から完全に抜け落ちてしまうし、忘れたところで人生に何の影響もない。


おわり。

人生に必要な3つのモノ。暇と好奇心とお金。

【目次】

人生に必要なものは、暇と好奇心、そして少しばかりの金

なんの本に書いてあった言葉か忘れてしまったが、スマホのメモに残してあった。
この三要素があれば確かに面白く生きていけるなと感じた。


暇が無いと何もできない

暇という状態はとにかく重要。
暇は、なにか作ったり、新しいことに挑戦するモチベーションを作ってくれる。
なるべく労働時間を減らして、自由に動ける時間を増やすようにすることが大切だ。

好奇心を無くすと生活が灰色になる

暇と同じくらい重要なのが好奇心。
気になる力、知りたいと思う力。
これがなければ、ただ淡々とした同じ様な日々を延々と過ごすことになる。
感動することも無くなるし、驚くことも無くなる。
感情の起伏が薄い人間になっていく。

お金は少しあればいい

お金は沢山じゃなくていい。
それよりも暇や好奇心があることのほうが何倍も大事だ。
暇と好奇心で、お金を掛けなくても過ごせるアイデアを発見していけるはずだ。
お金を多く遣う生活は、考える力を放棄していることに繋がってくる。
なんでもお金で解決しようという考えではダメだ。


おわり。

君は探索能力を鍛えているか?

【目次】

こんにちは。

今日は探索能力についての話をします。


まず、探索能力とはなんでしょうか?

探索能力について


大学1年生の歩き方 先輩たちが教える転ばぬ先の12のステップ』のなかに出てきた言葉です。


文中に出てきたワードを用いて端的に説明しますと、

自分なりになんとかする力。

今この瞬間と向き合うためのもの。

です。


これだけを書きますと、あまり分からないかもしれませんね。

もっと理解しやすいように言い換えますね。


いま、考えて行動しろ!


となります。

探索能力とは頭を遣うこと


なんとなくぼーっとした日々を送っている人もいるのではないでしょうか?


例えば、休日に何をしたらいいか分からない。
ただ家で寝転がってテレビを観たりゲームをしていると日が暮れてくる。
ご飯を食べて寝たら、翌日は仕事だ。


このような漠然とした日常を過ごしていませんでしょうか?

考えて、今この瞬間を大切にしよう

探索能力をビルドアップさせていくには、何に対してもこれはどういうことなのだろうか?
もっと良くする方法はないか?
など、考え続けることが大切です。

そこで肝心なのは、決して結論を出すことに重要性を置かないことです。

あくまで、その思考のプロセスが大事です。

習慣化させよう!

最初はなかなか思うように考えることが出来ないと思います。

それは仕方のないことです。

これまでに頭を遣うことをやっていなかったから、出来るわけがないのです。

私もうまく出来ませんでした。。

それでも、諦めずに考えてみることが大切です。


大学1年生の歩き方 先輩たちが教える転ばぬ先の12のステップ

大学1年生の歩き方 先輩たちが教える転ばぬ先の12のステップ

ブログを途中で辞めるのはもったいない。

【目次】


僕よりも圧倒的にブログの才能・適性があるなと感じる人が、途中で辞めてしまうのを見るともったいないなと感じる。


もったいないと感じる理由は、このままいけば稼げるようになるのにというものからでなく、多くの人に記事を読んでもらえ、反響もあるブロガーになるのにという思いからである。


文章作りは簡単ではない

文章を書くことは基本的には面倒な作業でしかない。
時間ばかりが掛かり、まともな内容を書いていこうと思えば情報収集も必要となってくる。
とにかく手間暇がやたらと掛かるモノであることには間違いない。

達成感はある

自己満足の世界にはなってしまうが、上手く書けた時は気持ちがいい。
頭のなかにモヤモヤと出てきたことを、言語化していくことは最初はうまくいかない。
だが、繰り返していくなかで少しずつ書けるようになってくる。
そこに達成感はある。


誰にでも出来ることを、誰にでも出来ないくらいに続ける


ブログを書いていく作業自体は誰にでも出来る。
思ったことをエッセイ風に書いていけばそれで1つの記事として完成していく。
だが、それを何年も継続していけるかどうかになると話は変わってくる。誰にでも出来ることではない。
情熱の継続も難しいだろうし、書くネタが無くなるということもある。
生活環境が変化していくなかで、ブログを書く時間が全然取れなくなる可能性もある。
それでも続けることが出来たならば、
誰にでも出来ることを、誰にでも出来ないくらいに続けたことになるだろう。


ブログを少し書いたからといって何か大きな変化がすぐさまに起きることもないけれども、書かない人生よりは楽しいなと感じている。


おわり。

スカスカの文章のほうが好まれると思う。

【目次】

短いメール文書で済ませてしまう傾向の人は、その連絡相手に興味が無いとか、何か話題を提供するのが苦手だとか、文書作成能力が著しく低いだとか、諸々の理由があるものだと思っていた。

だが、それだけではなく、それがその人のコミュニケーションの取り方なのではという見解もここに追加して考えてみることにした。

意味が分かればそれでいい

よくあるのは「おけ」だけで終わらせること。「はい」だの「いいね」という一言返答。

これだけで充分に話の伝達が成立してしまっているのならば、そのような一見適当に思える返信でもいいんじゃないだろうか。

「もっとなんか書けよ!」みたいなのは、正直なところ受け取りての勝手であり、知ったことではない。

高齢化に伴う長文化傾向

歳を食っていけばいくほどに、長文を作成して自分語りを延々とする傾向にあったり、謎の詳細プロフィールを書いてあったりする。
よくmixi時代にそういう人を見た。

そいういうおっさんとかに、「はい」の一言で返してみたい。

文章コミュニケーションは簡潔に

あれこれ書き綴られていて、結局何が言いたいんだとなるよりは、一瞬で理解に至れるほどの短い文でいい。
中身の無いことを、まるで実に立派な話であるかのように細工するよりも潔さがある。



おわり。

島という狭い国家『風のまつり』椎名誠 著 講談社

風のまつり (講談社文庫)

風のまつり (講談社文庫)


あらすじ

謎の女が島にいた。図鑑の撮影で訪れただけのカメラマン・神田六平を、南の島の人々は怪しんで、あれこれと勘繰る。台風が近づき、選挙に沸く島で、六平の身辺は一触即発となる。ほのかな恋情を胸に、年に1日だけの「風のまつり」を見た六平は、その静かで激しい光景に呆然とする。

ムラ社会特有の閉鎖的空間のドロドロさを感じ取れる作品だった。

互いを監視し合い、常に疑う人々。
特に部外者への警戒は恐ろしほどである。

限られた人間と土地で成立している場所はどこだって、そういう陰険な部分が出てくるのだろう。


会社という組織も実に、ムラのようなものであるなと如実に感じている。

常にたがいの動向を逐一チェックしあい、変なしきたりやルールが多数あったりということはよくある。


昨今、都会に暮らすよりも田舎のほうが断然良いというロハス思考的なものに流されている風潮がある。


ノンビリと自然に囲まれて、あくせく働かずに自給自足の生活を送る。

確かにそういう部分はあるのではあろうが、それが全てという訳ではない。


老後は田舎で暮らそうかなと考えている人もいるだろうが、この『風のまつり (講談社文庫)』や
シニアこそ都会に住もう 田舎暮らしは不安がいっぱい』を読んでもらいたい。



島や村では外の世界を見る機会がなく、その狭い空間が生活の全てになってしまうために、広い視野を持てなくなるのであろう。