思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

日記ではなく、役立つ記事を書けというけれど。


どこのブログ解説サイトを見ても、日記スタイルは良くないと書かれてある。

芸能人ならまだしも、何処の誰か分からない一般の人間の日記なんて好きこのんで読む人はいないという話。


それは事実であるが、テンプレート化されたブログタイトルばかりが続くブログってのは、なんだか味気なく、退屈だ。


【目次】

お役立ち情報を探したい時と、エッセイ的なものを読みたい時がある


何処かへ出かけるのに情報得るための検索であれば、お役立ち情報でいいと思う。
公式サイトでは出ていない、利用者しか分かり得ない部分の知識を補える。


だが、それよりも読み物的な、エッセイ的なものを求めたくなる時がある。

どちらかといえば、そういうブログを読んでいる時のほうが、ブログを読んでいる感が強い。
情報提供のみのサイトを見ている時はあまりそこに個人を意識していない。ただ、広大なネットの海から、知りたいことを引っ張ってきただけの感覚である。

考えさせられらブログが好き

食レポとか、レビュー記事ばかりを作り続けるブログはどうしてもアフィリエイト感が強く出る。また、どのサイトも同じ様に見えてしまう。
それより、なんか日々色々考えて生きているんだなとか、何でもない日常から面白いモノを産み出す視点、感性を持っている人に惹かれる。そしてそういうブログが好きだ。

他人と比較しても意味がない

ブログはそれぞの個性を大切にすべきだし、他のブログと自分のを比べ続けても意味はない。ノウハウ的な部分、デザインなどを参考にしたりする上での比較はいいと思うが、それ以外はあまり気にしなくていいいいと思う。気にし過ぎる人は、一層のこと他人のブログは一切読まないとかでもいいのではないだろうか。

時間がもったいなくて、他人に会えない。


人と会う時間がもったいないと感じてしまう。


誰かと休日を過ごすことへの抵抗感が強い。

「その間に何冊の本が読めるな」とか、「このお金で何日分の食費が賄えるな」とか、そんな浅ましいことをつい考えてしまう。

こんなことを言い続けていると、誰からも休日に誘ってもらえるなくなるとは思うけれども。


【目次】

そもそも長時間、他人といることが窮屈になる

長時間、誰かと、特に少人数とかで共に行動することがきつい。
付き合っている相手とか、気の合う友だちとかならいいけれども。
最初の数時間はいいが、ある瞬間を超えると途端に電池が切れたように嫌になる。

もうそのあとは、(早く帰りたい)しか自分の中で出てこない。
ダラダラと意味もなく話すのが好きな人々とだと、帰るタイミングを見失ったりで大変だ。


飲み会とかも、すぐに帰りたくなる

飲み会に意味を求めるのが間違った行為とは分かってはいるが「延々といつまで同じ様な議題を繰り返しているんだ」とか「なんでそんな下らない話を聞かされ続けねばならないのだ」とか考えてしまう。
そうなると、もう話なんて頭に入ってこない。「へえー」とか「ほー」とかで片付けてしまう。




平等に時間は流れているが

人類に渡された時間は平等で、誰もが皆、同じように年齢を重ねて老いていく。ならば、少しでも差をつけたいというか、何かを学びたいなという気持ちがでてくる。

人と会うことで学べたり、知る世界も沢山あるのは理解している。また、個人では生み出せない力みたいなのものを、人間が集まることで発揮出来るのも分かっている。



個人の時間が鍵

だけれども、そういうのは個の力をそれぞれ蓄えた上で成立することである。個人それぞれが努力というか、自己の世界を深めておかないと、意味がないんじゃないかなと感じている。

なので漠然と集まるとか、意味もなくお金を浪費しながら酒を飲んでダラダラする、みたいな行為がどうしても出来ない。

1人の時間に作ったエネルギーみたいなものを、集まった時に他人と交換し合うような感覚が好きだ。なので、個人の時間が全ての鍵かなと思っている。


インターネットのおかげで、集まることも必要なくなった

個人から集合へと思っていたが、今はインターネットのおかげで、場所を用意する必要性すらなくなってしまった。
SNSやLINEなどを利用すれば、幾らでも無限に交流が可能なので、わざわざ会う必要性が少ない。
会わなければ成立しないイベントも多々あることは分かってはいるが、大半はネット上で済ませてしまうだろう。

ネットの使用料金だけ払っていれば、移動時間もコストもゼロ円で済んでしまうので、とにかく便利である。

データの共有も簡単に出来るし、ネットがあれば本当に何でも可能だなと思う。


どうせ死ぬなら最大限に、自分の時間を遣いたい

どうせいつかは死ぬ。
それは不可避な現象で、必ずその瞬間は訪れる。

ならば、自分のしたいことをどんどんやって、好きに時間を遣うほうがいい。
僕は、お金よりも時間のほうが何倍も大切だと考えているので、とにかく時間を奪われることだけは避けるように生きてきた。


仕事が終わった瞬間に職場を去りたいし、断れる仕事は全て断ってしまいたい。
無理して働いてお金を貯めるよりも、自分の好きなように時間を過ごして、心に豊かさを作りながら、工夫して少ない支出で楽しめる環境を作っていく。そんな生き方が好きだ。


自分の世界を他人に話せるようになれる

そうやって自分の生き方をマネジメントしながら、少し変わった過ごし方をしていると、自分なりの価値観とか思想が出来てくる。偏見といってしまえば、それまでなのだが、独自のものごとの捉え方とか、見方が構築されていく。
そうなると、他人に自分の意見とか考えを伝えるのが得意になってくる。また、それが楽しくなる。



面白い人たちと繋がれてくる


そうなると、同様に、自分の世界を持った人たちと出会えてくる。
そちょっと変わった人とか、面白い人とのネットワークみたいなのが出来上がり始める。そういった関係性は人生を豊かにしてくれる。
自分がこれまでに持っていなかった情報を貰えることが多いし、また、あまり考えてもみたことがないような視点からの話を聞かせてもらえたりする。


個人の時間をマネジメント出来る人は、必要以上に他人から時間を奪わない

個人の時間の価値をよく知っている人間は、集まったりしてもアッサリと解散する。損切りというか、切り上げ時をよく理解している感じがある。
逆に、個人の時間の価値・意味を分かってない人は意識なく、他人から平気で時間を奪う。時間泥棒といってもいいくらいに。

あっさり、ちょっとずつの関係

あっさりしていて、ちょっとずつ関わっていくような繋がりというのが、1番精神的負担が少なくて良い。
そして、そういう関係のほうが長続きしたりする。
関係性が悪化する可能性も低いし、イライラすることも無い。
そしてまた、時間がもったいないと思われることもないだろう。

新しいことを始めるために必要なこと。


いつかは、◯◯をしたい

こう言っているだけで年月だけが経って、いつまでも実行に移せないことがあるのではないだろうか。

自分も含め、これまでに◯◯したいんだよね、と言い続けているだけの人をたくさん見てきた。
そして、そういう人ほど始めることはない。
言ったことすら忘れてしまっているのではと感じることがよくある。
飽きてしまったり、興味を失ってしまっているのなら、別にそれでいいのだが、もし本当にしたいのなら、何でもいいから始めてみるべきだと思う。


【目次】

まずは自分べ調べてみる

ちょっと調べたり、やり方を考えてみるだけで、以外と簡単に始められることが世の中には多い。

ただ、その調べる手間を面倒がったり、自分のなかでの優先順位が低いだけの可能性がある。

また、どうせするなら失敗なく、効率的にやっていきたい。という思いがそこにはある。


失敗=時間の無駄、であり、成功だけを重ねていきたいと考えているのではないだろうか。



失敗も前進

最初からうまくいくわけがなく、失敗のなかで数多くのことを学んでいく。
自分なりのやり方を見つけ出せたり、原因を解析、分析していくことで、ダメだった理由が分かってくる。それが次の時に生きてくる。
なので、失敗を恐れる必要はない。
立ち止まっているわけでも、後退しているわけでもなく、常に前進できている。



他人は助けてくれない

周囲に◯◯をしたいんだよね、と言い続けることで、助けを無意識に求めているのでは、と考えている。

だけれども、よっぽどの偶然がない限り、それを他人が補助してくれることはない。
あるとしても、自分の思っていた形やこととは違う場合が多い。

誰かに言うことを、第一歩と考えるのもいいが言っている間に、どんな些細なことでもいいから始めた方が早い。
そしてその方が、よっぽど自分の目指すべき状態、状況に近くなる。
それこそが大事な、第一歩となれる。


宣言することで、逃げられなくすることはあまり出来ない。

他人に◯◯したいとか、◯◯を始める、と言うことで、途中で辞めにくくする状況を作り出すやり方もある。
だけど、案外それも長続きしない。
まず、言われた相手が忘れてしまう場合も多いし、そもそもちょっと誰かに言ったところで、たいした拘束力もない。
余計なことはせず、黙って実行したほうがいいと感じる。
また、本当にしたいのならば誰かに言う前にはじめている。



出来ることから始めてみる


最初から完璧に出来るわけがない。

知識に多数の穴があり、出来る部分と、出来ない部分が出てくるはずだ。
ならば、出来るところから始めてみよう。
なんとなく取っつきやすかったり、少し調べたら頭に情報が入ってくるようなところは、自分が出来る部分になりやすい。
そこから徐々に出来ない部分を減らしていく作戦だ。
効率性を求めたいのならば、この手順が1番いい。



質問するときは、丸投げせずに自分の考えを伝える

自分が学びたいことに対して、知識を待っている相手に質問をするときは、丸投げではいけない。

どうしたらいいですか?とだけ聞くのは簡単だ。
だけど、それじゃあ、あまり上達が見込めない。

質問するなら、
「コレコレがこういう事態にあるんですけど、この場合はどうしたらいいのですかね?自分はこう考えているのですが。。」

という感じに、自分はどう思っているか、どこまで理解しているかを伝えよう。

それによって、相手もアドバイスしやすくなるし、何よりも本気度を伝えることが出来る。
相手も、本気なんだなと思うことで、教え方に自然に熱が入る。

まとめ


まずは自分で調べてみる

今は手軽にネットで情報が得られるので、したいことについて調べてみよう。
調べられるようなことを誰かに訊ねているようではダメだ。



失敗も前進

失敗なく、全てうまくいかない。
効率性ばかり追い求めていると、逆に時間が掛かる。
何もしないでダメになるより、やってみてダメな方がいい。



他人は助けてくれない

みんな自分のことで精一杯なんだから、都合良く助けてくれることなんて滅多にない。
他人の能力ばかりをあてにしていてはダメだ。自分に出来ることは自分でやっていかないと、いつまでも始められない。


宣言することで、逃げられなくすることはあまり出来ない

公的な文章で世の中に発表でもしない限りは、拘束力はない。政治家の公約ですら守られてないのだから、個人の宣言なんてどれほど意味のないものか分かるだろう。
周囲も、なんか言っていたなと何と無くでしか覚えていない。
言い続けるあいだに、始めるほうが早い。


出来ることから始めてみる

完璧を求めずに、分かる部分から始めてみる。クオリティにこだわったり、順序通りに進めようよすると、途中で力尽きて、辞めてしまう可能性が高くなる。
分からないことは、どんどん後回しでいい。


質問するときは、丸投げせずに自分の考えを伝える


質問するときには、自分の考えや、知識を伝えていくこと。
これで、相手に本気度が伝わるし、アドバイスもしやすくなる。
◯◯したいんですけど、どうしたらいいですか?みたいな、丸投げはやめよう。

【書評】森の奥地に小屋を作る ———『自作の小屋で暮らそう』 (高村友也 著 ちくま文庫)

誰にも文句を言われず好きなだけ寝ていられる。時間を気にせず好きなことが出来る。

これは永遠の夢なのではないだろうか。


そんなこと、定年退職後でないと実現不可だと、言われるだろう。


だが、それを今すぐ現実のモノとするために、たった10万円のコストで手に入れた男がいる。

その男は高村友也という。

彼は、東京大学哲学科卒業。慶應大学大学院哲学科博士課程単位修得後退学という、誰もが驚く学歴の持ち主だ。

これほどの頭脳を持った高村友也氏はその後、山梨の雑木林に10万円で小屋を建て、生活を始めた。

小屋の詳細は住宅のダウンサイジング:世界に広がる「スモールハウス・ムーブメント」とは何か : BIG ISSUE ONLINEで見れる。



なんのために始めたかといえば、好きなだけ寝て、時間を気にせずに好きなことをするためである。

月に何万も払って家を借りるのは正気じゃない!

横になって寝るだけなのに、月に何万円も払って部屋を借りるなんて正気の沙汰ではない

これが小屋暮らしの出発点だという。

屋根と壁さえあれば暖かく寝られるのに、日本では現代技術の粋を集めた超高級家屋しか売っておらず、それらを買うための借金によって最悪の場合おちおち寝ていられなくなる。

安全に寝られる場所を確保するために、お金を多く稼がねばならない現代社会のシステムに高村氏は疑問を抱いた。


そこから抜け出すために、自分なりの生存システムを構築していくことに決めた。
そのシステムのことを「Bライフ」と呼んでいる。


ベーシックに暮らす(Bライフ)

Bライフとは、安い土地でも買って適当に小屋でも建てて住んじゃおうという、言ってしまえばそれだけのライフスタイルだ。

「そこ」に帰ってくれば最低限の生活が保障されている。でも最低限だから維持費なんて全然かからない、そんな自分だけの安全地帯を、低予算で、しかも完全に独力で構築する。

Bライフとは高度な技術、また多くの資産を必要とはせず、むしろ真逆のスタイルを保持している。

雨風、外敵の侵入を防げる空間を確保し、時給千円で1日働けば、向こう3ヶ月分の米と味噌を買える生活だ。

Bライフの家計簿

毎月の生活費は2万円あれば充分だという。

(内訳

年に25万も稼げば、最低限生きていける。あとは稼げば稼ぐほど、自由に使えるお金が増える。1ヶ月間集中して働いて、残りの11ヶ月間寝ていてもいいし、何かちょっと特技がある人や、インターネットで小遣いを稼ぐのが得意な人は、それすら必要なくなるかもしれない。

「25万なんて、1ヶ月しか生き延びられない!」なんて言う人もいるかもしれない。

豊かな国、時代であえて低い生活水準を保つことで、周囲との間に局所的な貨幣価値の格差を生み出すのが、Bライフの旨みともいえる。

食費は月1万でまかなえる

月1万円の食費があれば生命史上まれに見る高水準の食事が摂れるし、安物のカセットコンロ1つあれば死なないどころか大抵のものは作れる。

たくさん金を稼いでなるべく栄養のあるものを食べれば何かいいことがあるという妄想さえ捨てればいいと述べる。


時間を忘れて眠る

寝たい時に寝て、起きたい時に起きる。この「自由な睡眠」が可能な時点で、上質な睡眠はほとんど保障されているようなものだ。どれだけ高級ベッドと高級枕に睡眠グッズなるものを揃えたとしても、自由な睡眠とは比べ物にならない。

家賃も生活費も最低限の金額で済むとなると、睡眠は自由になる。
何時に寝て、何時に起きなければという縛りは一切なくなり。もはや時計すら不要物となる。

分からないことが分かる

既製品の家屋に住むのでなく、一から住む場所を作ることで、自分が何を分かっているのかが分かるようになったという。

素性の知れないものに囲まれていると、自分が分かってないことがまるで分かっているかのような装いで迫ってきたり、分かっていることと分かっていないこととの境が分からなくなってしまったりする。

感想

なんと羨ましい生活なんだと心底思えた。
ただ、自作で小屋を建てる敷居が高いと感じるのは間違いない。
しかし、著者はこれまでに一切DIYの経験はなく初めての試みだったそうだ。
人間やってみれば何でも出来るということなのだろう。また、その労力が充分に報われるほどに幸せな日々が待っているということで力を出せたのかもしれない。

10万円で小屋を建てられるといったが、土地代などを諸々含めると初期費用としては計100万円が必要となってくる。
土地の見つけ方、契約方法、計画といった具体的な話も最終章に出てくる。
本気で小屋暮らしを検討している人にも役立つ実践的な書物となっている。

不透明な世界を、どう生きていくか


私たちは素性の知れない物に囲まれた生活に慣れきってしまった。

例えば、今手元にあるスマートフォンだってその中身については何も知らない。
どの様な仕組みで自分の指が画面を操作しているのかなんて、知らなくても生きていける。

そんな不透明な世界で、何の疑問も抱かずに生きていくことは、本当は不利なのかもしれない。
だが、仕組みに飼いならされ、「そういうものだ」と割り切って生きることで納得している。

多くの家賃を払い生活したり、高額な家を建て、ローン払いに苦しみながら働くことに疑問を抱かない。それでいいのだろか。


社会の抜け道ではないけれども、少しでも自分の頭で考える習慣を身につけ、当たり前と捉えられているシステムに対して疑問を持つことで、生きやすくなっていくのではないだろうか。



自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)

自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)

生きやすくなってもらいたいから、ブログを書いている。


僕がブログを書く目的はいくつかある。

その中でも1番に考えていることは、ブログを読んでもらうことで少しでも生きやすくなってもらえたらいいなということ。


【目次】

文章の力は素晴らしい

たった1つのフレーズや言葉に出会うことによって、人生が変わるような思いをすることがある。
そういった体験とまではいかなくても、辛い日常から解放されてくれるといいなと考えている。


僕は、いつも周囲の人間の目とか評価を気にして生きてきた。
また、世間一般で常識と考えられているルールにきつく縛られた生活を送ってきた。

周りの価値観に従わなければならないとか、親の言うこと考え方は絶対で自分なりの解釈を持つこと自体が許されない感じの十代とかを送ってきた。
その結果、頭を遣うことが無くなり、とにかく周りから気に入られるように動かなければとか、みんなが良いと言うものを良いと言えるようにならなければ、とかの思い込みを強く持っていた。

自分の好きなことや居心地のいいことを手放すのはつらい

他人に合わせることを続けることは、自分の価値観や人生観を封印する行為につながってくる。
誰にも理解してもらえないようなことは全てやめてしまい、世間の流行とかばかりを追うことに懸命になっていた。
好きなことや居心地のいいことが出来ない日々で、なんだか自分を見失ってきた。

本が救ってくれた

周囲の価値観に左右され続け、自分の軸なんてものは一切なく、浮遊しながら生き続けた。

買えと勧められたものは、とりあえず買い、ダメと言われたことは、やめてきた。

そんな時、本の世界に出会った。
読書は小学生の頃は熱心にしていたが、中高に少し、そしてそのあとは全くといっていいほどにしなかった。

様々なジャンルの本を読んでいくなかで、自分の価値観や人生観を大切に生きてもいいんだなということが分かってきた。


常識は一時的なもの

時代や場所によって、常識というものは全く異なる。

例えば、中世ヨーロッパで行われていた瀉血(しゃけつ)。
体内の悪い成分を外部に出す目的で、血を抜く医療が行われていた。
これには何の医療的根拠もなく、効果があるかどうかは定かではない。
今はほとんど行われていないが、当時は瀉血が頻繁に行われていた。

もっと有名なところで言えば、地動説か、天動説かの話も挙げられる。

天体が地球の周りを動いていると信じられ続けた。しかし、本当は地球のほうが回っているということが、今の常識となっている。

間違いないと確信していたことが、年月をかけて変化していく。

そう考えると、常識などに縛られて身動きが取れなくなっていることは酷く馬鹿げたことに思えてくる。


様々な価値観に触れていく

本を読むことで自分のなかで変化が得られたように、ブログを読むことでも得られたらいいなと感じる。
ここ最近は、本を読むより、ブログなどのネット上の文章を読む機会が増えた。
面白い考えやアイデア、行動をおこしている人々が沢山いて、飽きることがない。
また、自分の好きなことを好きなままでいいし、どんどん表現していくべきなのだな実感した。

気になることは徹底して調べたり、そこから自分なりの解釈が出てきたらそれを文章にしたりして、自分なりの価値観も出していく。


お金を稼ぐためとかよりも、そうやって自分の考え方とかを書いていき、それがどこかで誰かと繋がればいいなと思う。

お金が無くても、人生は楽しめる。


世のなか、けっこう無料で済ますことが出来る。

節約情報はネット上に無限にあるので探せば、自分が知りたい分野について学べるだろう。

自分はあまり恩恵を受けれてはいないのだけれど、日頃ありがたいなと思いながら過ごしていることについて、書いていきたい。


本は図書館やブックカフェで読む

以前は書籍は買う派と決め込んでいたので、全て買うようにしていた。
1ヶ月の間に3、4万円分は買っていたと思う。
「借りて読む本は血肉には、ならず自分の所有物にすることが、読書には必要だ」みたいな文章を何度か読んだことがあったので、健気に実践していた。
本棚から本が溢れかえり、床まで侵食し始めた。

「文豪的な部屋になってきて最高に気待ちがいい。俺って賢そう」
なんて初期の頃は喜んでいた。
だけれども次第に書籍購入代金が生活を圧迫しはじめた。

ダメだ、もう図書館とブックカフェに頼ろう。そう決めてからは、月に買う本の数は2、3へと減った。


借りて読んでも吸収量は変わらない

借りて読むと、返却期日が決まっているので、早く読み終えねばと、急かされて読書がはかどった。
また、買うまでには至らない本とか、買うにしては高過ぎるハードカバーの本も読めて、読書の幅が広がり、買っていた頃よりも読書にのめり込めていった。


カフェは集中できる

ブックカフェにおいても、同様のことがいえる。
あと2時間位しか滞在出来ないから、気になるタイトルは片っ端から持ってきて、読み尽くそう。と、焦ることで読書が進んだ。
また、自宅で読むよりも、集中もできた。
家だと、途中で飽きて寝転んだり、違うことを始めてしまう。しかし、カフェだと本を読むか、スマホを少し触るか位しかやることが無いので、やはり読書がはかどる。

お金を遣わなくても、べつに吸収量に変化はないなと感じた。

無料WiFiを活用してネットをする

以前より、街なかのネット環境が格段に良くなっている気がする。
何処にいても、たいてい回線を拾うことができる。
飲食店に入ってみて、WiFiサービスをやっているのか分からない場合は店員さんにきくといい。
お店の案内とかに書いてなくても、パスワードを教えてもらえる場合がけっこうある。
従業員用なのか、何なのか分からないが、利用させて貰えるものは利用したほうがいい。

水光熱費を抑えられる

すごくセコイ話になってくるのだけれども、図書館やカフェ、公共施設などで過ごすことで水光熱費を省ける。
電源を提供して、自由に充電可能なところもあり本当に便利。
無料でお茶や水を提供している場所は沢山あるし、暖房設備なども完備されてあるので、快適に過ごすことが出来る。
トイレも利用可能だし、困ることは何一つない。
家なんて本当に寝るスペースさえあれば全然生きていけるんだな、ということを思い知らされる。

友だちや恋人だって無料で見つかる

友だちや恋人を作るのには、お金を掛けた趣味や、参加費が高いイベントで交流しなければならない、みたいな先入観を持っている人たちがいる。
だけれどもネットを上手く使えば、それも無料で可能だ。
ネット上には様々なSNSサービスがあるので、そこから自分の興味ある分野について調べることで、交流会情報が見つかったり、オフ会の募集が見つかったりする。
参加費が数千円掛かる場合もあるが、自分の飲食代金だけでいいものとか、リーズナブルなやつも結構ある。
そういうのに参加して、友だちや恋人を作っていこう。

お金が無いと人生楽しめない、みたいな思い込みは捨てよう


上のは、このあいだ見つけたツイート。

生活と貯蓄、趣味、娯楽に費やすお金って、以外と少ない金額で確保出来る。




無料で人生を楽しむ方法、インフラは整ってきているので、そういうのを上手く活用しながら生活していこう。

仕事の話しか出来ない人間になってはダメだと思う。


仕事の話しか出来ない人って魅力が無いなって昔から思っている。


学生時代には勉強の話しか出来ない人が苦手だった。
どんな時でも勉強のことしか話さなかったりする人がいて、どうもうまく交流ができなかった。

今では、仕事のことしか話さない相手とうまく関わっていけない。

【目次】

仕事の知識を豊富に持っていることは良いことだけれども

自分の従事する仕事について、どんどん詳しくなっていくことは大切です、いわゆるスペシャリストとなる上では欠かせないことだとは理解している。

だが、そういう人に仕事以外のことの話題を振ったりしても、全然話しに乗ってこなかったり、また直ぐに仕事内容や職場のグチ、うわさ話などの話題へとかえっていく。

世界を狭めていくと、視野も閉じてくる

自分は新しいことに挑戦したり、誰かに教えてもらった面白そうなことは、やってみようの精神を持つように心掛けている。
世の中には知らないことが無限にあって、それを減らしていくことで、自分の幅が広がっていくのが楽しいからだ。
単純なことでいえば、オススメの本を読んだり映画を観たり、オススメのイベントや観光地へ出掛けてみたりということだ。

1つ1つを全て記憶に留めなくても、面白かったとか、良かったとか漠然とでも感じたことが、自分の中に蓄積されていく感覚がたまらなく気持ち良いし、楽しい。
まあ、なるべくは、記憶に留めれるように、ブログやTwitterやSNSに文章化して残そうとはしている。

周囲の人もそんな感じに、色々と新しいことをやってみながら生きているのかなと思っていたのだが、自分の職場ではそういう系の人が少ない。

ずっと同じ毎日というか、ほぼ職場と家の往復に終始している。みたいな話を聞くことが多い。
休日も職場の人間で集まって酒を飲んでいるか、家でテレビを観てたりで終わるみたいな。

仕事で嫌になる程、毎日顔をつき合わせている人々と集まって休日を過ごすのがよく分からない。

どんどん業界に染まっていくというか、視野が狭くなっていくんじゃないかと思う。
外の世界に一切関心が無くなっている人が本当に多い。


様々な価値観に触れる大切さ

「異業種交流会に出よう」とか「人脈を広げるための活動をしよう」を言いたい訳ではない。だが、日頃の自分の活動の場とは全くかけ離れた世界に生きている人たちと触れ合うことは、とても大切だと感じる。
職場の人間とずっとつるんでいるだけでは、見えてないモノやコトが見えてくる

会社に依存し過ぎないことを目指す生き方をしたいなら、仕事が終わったら直ぐに帰ろう

その日の仕事が終わり職場にいる必要性が無いのに、いつまでもウロウロと居続ける人が結構いる。
自分は1秒でも多く職場にいたくないし、さっさと自分の世界に戻りたくて仕方がない
自分なりのやるべきことや、したいことを多く抱えていると、終業と同時に職場を去りたくなるはずだ。

そして、それが会社への精神的依存から抜け出す一方に繋がると思う。

仕事以外の話が出来る人間になろう

経験を積み重ねて仕事に精通していくことはいい。だが、仕事を離れ、他の話に移った時に何も一切語れないような人になってしまってはダメだ。魅力に欠ける。
知らないことに対しては、素直に知らないと言え、教えを請う姿勢を持てるくらいにならなきゃダメだ。
長年働いていて、自分は何でも知っているし、どんな事でも出来る。そう思い、プライドがどんどん高くなり、誰かに何かを習うことに対する抵抗感が強くなってくる。
それでは人間的深みに欠け、成長がない。

相手が歳下だろう「すごいね。教えて欲しいんだけど」と言えるような人間になっていこう。