思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

ひとつのことを極めることの有用性。

気になることは手当たりしだい、片っ端からやってみる。

それをモットーに生活しています。

どうも、あびこです。


と言いましても、疲れたときはなにも新しいことをしないし、誰にも会わない生活をしていますが。。

基本的に飽き性なので、少しでも自分に合わないなと感じたら辞めてしまいます。
惰性でダラダラ続けることができない。

どうせやってみるなら徹底的に

自分を追い込んで身を削りながらのスタイルは肌に合わないので、そこまでのストイックさはありません。
ですが、どうせ挑戦するならば誰にも負けたくないなという気持ちがあります。
昔からわりと頂点の人を目標にしてしまうクセがありまして…。
段階を踏んでいくほうがモチベーション維持ができるので、変に頑張りすぎないほうがいいのは間違いないですけどね。


「自分のほうが出来るんじゃないかな?」と思えることが大事


自分のほうが得意そう、向いてそう。
あの人が出来てるなら自分にも出来るはず。

この感覚は大切。

自分と能力値が変わらないと感じる人が出来ていたら、たいがいのことは自分にも出来ること。

難しそうに見えるけど、やっている人がいるわけだし、自分も挑戦してみるかと気軽に始めていいと思いますね。

ひとつのことを頑張ると、他にも役立つ

なにか1つのことに精通していくと、他の分野においてもそれなりの成果を上げていけるようになります。

勉強のコツや型が身につくといいますか…。
受験勉強と同じですね。

トライアンドエラーを繰り返していくなかで肌感覚で学べていきます。

リターンはすぐには得られないと理解しておく


いくら努力していてもダメな時はダメ。
上手くいく時は勝手に上手くいく。

これを頭に入れておいたほうがいいかと思う。

すぐに目に見えて成果は出てこない。
受験勉強だって、毎日の積み重ねでちょっとずつ覚えていったことを思い出してほしい。

少しうまくいかなかっただけで、諦めてしまうのはもったいないなと感じますね。

おわり

延々と続けられるな…と思えるものに出会えたのなら、それはすごく幸福なことだと思います。

どうやったら上達していけるかなと考えたり、失敗の原因を分析したり、ひとつのことを続けることで学べることは沢山あります。

無理して続ける必要はないし色んなことに手を出していっていいけど、他の人が追いつけないくらいに、のめり込むことの価値は計り知れないなと感じますね。

興味のないことは避けていけ。

いかに楽をして生きていくか。


無駄を減らして効率的に。
無駄を愛してはいるけれども、自分のお金と時間を奪うだけの無駄は好きでないです。誰でも時間とお金を搾取されることには抵抗があるでしょうが、我慢が効く人が大多数。

これくらいは仕方のないこと。
大人の対応をするべき。


嫌いな相手とでも付き合う。
義理の集まりに参加する。
断れなくて仕事を引き受ける。
意味もなく奢る。
興味のないことにお金を遣う。

これらを徹底的に避けるようにしてます。

嫌いな相手とでも付き合う

精神がすごくすり減ります。何度会っても、どれだけ会話をしても。苦手な相手は克服できないものですよ。無理が生じますし、ストレスを感じてしまうもの。
苦手な相手とのコミュニケーションについては、ひろゆきさんの『論破力 (朝日新書)』を読んでおけば、それなりに対処できるようにはなりますが。

義理の集まりに参加する

全然行きたくもないし、どうでもいいと本当は思っている。それならば参加しなくていいんですよ。場の空気を読むとか、世間体を気にして行動する必要なんてないです。行きたくないのなら行かなくて良い。それだけのこと。

断れなくて仕事を引き受ける

仕事は美徳であり、働くことは尊いことという精神が宿っているため、休むことに異常に罪悪感を覚えてしまう人の多いこと。
これは神道の教えであり、日本人の心に染み渡っているわけです。

反して、西洋では、労働はそもそも罰であるという思想がある。

西洋思想の源とされる古代ギリシャでは、ポリスの貴族や自由市民は、農業、手工業、家事などの労働を奴隷たち(戦争に敗れて捕虜になった異国人や債務破綻者など)に担わせた。そこには「労働は神が人間に科した罰」いう前提がある。労働を卑しいものと見なした貴族や市民は、戦闘を除けばもっぱら政治や芸術などの精神活動に明け暮れた。

キリスタイル教の神話でも、人間が知恵を得たこと(原罪)に対する罰として労働を与えている。

自分は、労働が罰にしか感じないため、極力避けようとしていますね…。
思い切って断ったり、あまり働かないキャラを定着させてしまえば、余計な期待をもたれることなくていいと思います。

意味もなく奢る

おごることに関しては、徹底的に避けてます。先輩だから後輩にお金をすぐに出すっておかしいと思いますね。相手が出してくれるというのならおごってもらっていいとは思いますが。
あの人はケチだって思われたところで死ぬわけでないですし、たまにお金を出せば評価も上がりますし、いいことばかりですよ。

興味のないことにお金を遣う

これは完全に避けるべき。
自分の中における優先順位をはっきりさせましょう。
1年という期間だけでも、順位はどんどん変わっていくのではないでしょうか。
順位が下がって、お金を遣いたくないなと感じたらやめてしまう。あれもこれもと、何にでもお金を費やすべきでない。
好きなことだけにお金を遣いましょう。

おわり

とにかく興味のないことは避けていけ。
自分にとって大切なことを優先しろ。

それだけを伝えたい。

とにかく読んだ本の数を伸ばすことに躍起になっていた時期が過ぎた。

なにかを学びたければ、ひたすらに数をこなすこと。
まずは質よりも量だ。

そう考え、とにかく空いた時間があれば本を読み続け、図書館にも足しげく通い続けてきた。
2015~2017年あたりが1番本を読んでいた頃だと思う。
難しくて少しも理解できない本でも、最後まで読み終えようと必死だった。どうにかして理解しようと、覚えようと。
気になった言葉はメモを取っていつでも見返せるようにしていた。
読書に対する熱意があった。

本を読むペースを上げるために。

読む量を増やすために、速読を学んだ。
同時に10冊ほどの本を並行して読んだりした。
様々な読書法を駆使してきた。
読んだ本は、読書管理サイトで記録していた。

量の時代が終わった。

今は落ち着いた。
本を読む量はあの頃の異常さはなくなった。(ひと月に30冊~50冊を目標にしていた。)

今は過去に読んだ本で好きだったものを読み直してみたり、途中で読むのをやめたり、そもそも積ん読のままにしてしまう本もあったりと、緩やかな読書へと変わった。

量の時代が終わった。

映画も量を増やした。

映画鑑賞にしても、一時的に1日1本のペースで観ることを続けた。
名作と言われているのに、それを観ずに生きることは恥であり、人としての品位を落とすとか考えて、鑑賞しまくった。
読書と同様、量をこなすことだけを考えて、1.5~2倍速にて鑑賞した。

今は落ち着いた。

ある程度の量を観たことで、気持ちが整理されたようだ。

気になることは量をつめこむ

何か気になるモノが見つかれば、とにかく量をこなすことはおススメしたい。
過去を振り返ってみて、そう感じた。

いきなり質にはいけない。
良いものも悪いものも知ったうえでしか話せない。

知識量も増えるし、ちょっとした引用が使えたり、会話に小ネタもはさめる。

すべてを覚えておく必要はない。
いまはGoogleで検索しさえすれば、ほとんどの情報は見つかる。
ただし、検索するためには言葉を知っておかねばならない。
情報を引き出すためのフックが必要だ。

過ぎた景色

毎日のように通っていた図書館のことが忘れられない。
リュックの中に10冊の本を詰め込んで歩いた坂道を。
夕暮れの空を見上げ、その日の献立を考えながら歩いた帰り道を。
朝から図書館を訪れ、昼には市役所の食堂で定食を食べたことを。
隣町まで電車で行き、通っていた図書館のことも。

あの頃があるからこそ今の自分があり、あの頃を懐かしみながら、かつて読んだ本を手に取り、考えてみる。

普通になってほしくない。

どうも、あびこです。

人は簡単に普通になっていってしまうなという話。

久々に知り合いに会うと、だいたい普通になってしまっていてなんだか寂しくなります。

ぼくは変な人が好きなので、そのまま人と違うところがあって突き抜けていてほしいと思っているのですが、普通な感覚の持ち主になってしまっている場合がほとんど。

フラットでなく、シャープに

尖り続けて欲しいです。
なんでそんなことに詳しいのだろうとか、人とは違うことに全力で生きてる人はとても魅力的で楽しいと感じてしまいます。
均衡の取れた人よりも。

人生アガリ。

就職したから人生アガリ。
彼女ができたから人生アガリ。
結婚したから人生アガリ。
子どもが生まれたから人生アガリ。
家を買ったから人生アガリ。


その人にとっての最終目標(?)に到達した途端にアガリ状態になってしまう人がわりと周りにいまして、寂しさを感じてしまいます。

目の前のことにしか興味がなくなり、ムダなことには関心を示さなくなるというか。

そう簡単に終わらないでほしい。いつまでも何も知らない人であってほしい。

普通になるスイッチがあふれていて

とにかく世の中には普通になるポイントがたくさんあって、簡単に量産型になれてしまう。話が劇的につまらない人になれてしまう。
向上心を持て、野心を持て、成長し続けろという啓発ではなく、普通になって欲しくないという話。


おわり。

孤独との付き合い方。

どうも、あびこです。

人はひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいくしかない、という話です。多分。

世間的にみればどうでもよいことに熱中し、普通の人たちが興味を持つことや反応を示すことには少しも心の針が動かされない生き方を選択していると、ズレが強く出てくる。

そのズレを修正する必要もなく、どんどん突き進めばよい。そもそも人に理解してもらおうとする選択は誤り。人は理解し合う必要もなく、その違いを感じながら過ごせばよい。

その違いやズレが孤独感を生み出す場合もあり、その寂しさを埋める意味で、インターネットの世界で顔も知らない相手と繋がることが重要であるとの話はこれまでに幾度も語られてきた。
しかしそこもまた、結局は孤独を強く生み出す装置にしかならないのではと感じる。

似た性質の人たちが集まれば、個の主張を強くせざえるを得なくなってくる。
その場においての"普通"となるから。

結局はマイノリティになってしまい、その場での新たなマジョリティは孤独を覚えてしまうのだ。

人はひとりではいきていけず、どこかに心の拠り所を求め、自分の言葉を受け止めてくれる相手を探し続ける。

それが恋人であり配偶者というものに集約されてしまう場合が多数だろうが、"絶対に理解し合える存在であるはず"という呪いが強く苦しめることとなる。
いくら家族となろうともそのズレの修正は難しく、あくまでも他人であることは紛れもない事実であるのだ。

人はどこまでいこうとも結局は孤独であり、自分を自分で認めて生きるしかない。
己の孤独を理解し、支えることができるのは自分自身以外の何者でもない。

知らないことを恥じて生きている。

自分が知らないことを相手が知っていると、悔しいというか勉強不足だなと反省させられる想いがある。

自分の場合は分野として、本と映画に偏っている。分野は人それぞれでいい。

急いで読まなければとか、知っておかないといけないという言わば強迫観念に近いものが心に湧いてくる。
単純に、興味が出る、だけなのだが。

昔の学生は互いを高めあう関係性があり、本の話を頻繁にし、あれを読んだとかこれを知っているか、という風に確認しあっていたそうな。
そこでもし読んでいなくとも、読んだと受け答え、次に会うまでに急いで読み終えていたとか。

知らないことが恥である。

この感覚は大切であると思う。

知ったかぶりをして、分かった風な顔をして無学を恥じずに生きろということではない。

より学んでいこうという欲求。

自分の知らない世界がまだまだ広がっていて、そこには素晴らしい価値のあるモノが存在していることを考えるべきだと言いたい。

そして、その未知の領域を広げていくためには、コソコソと調べて学ぶ知的好奇心が旺盛である必要がある。

無知を恥じずに開き直るのでなく、無知を恥じつつ相手に教えを請うことも大切。
だが、何も自分では手をつけずに端から相手に全てを委ねてしまうことは問題がある。


世の中にはスゴいと思える人物であふれかえっている。
その人たちのようになれないのであれば、せめてその人たちが通過した文化を知りたいと思う。
そこで、人の勧める本や映画は極力消化していき、また、自分でも良きモノを見つけ出そうとしているのだ。

人生を無駄にするための10の方法が面白かったので感想を書いた。

どうも、あびこです。

ちきりんさんの人生を無駄にするための10の方法、いいなって思いました。
人生を無駄にするための10の方法 - Chikirinの日記

感じたことを軽く。

1.やればできるとわかっていることばかりする

ゲームでいえば、すでにクリアしているステージを繰り返し遊ぶようなもの。
本命はその次のステージなのでしたら、さっさと行くべきです。時間がもったいないので…。

2.会えばどんな話になるか、(会う前から)わかっているような人ばかりと会う

これは最高に無駄だなって思う。
時間とお金を遣って久々に会っても、結局はまた同じ話ばかりでってのはちょっと。。
もう会わないほうがいいですね、このような関係の場合は。

3.楽しいとも思えないことを、お金や義務感や惰性のために続ける

成長がえられそうだとか、何か学びがありそうだと思えるのから続けていいとは思います。ただ何となくダラダラ継続しているだけでしたらやめたほうがいいですが。
少しも面白くないスマホゲーを時間潰しのためだけにやり続けるとかもコレかと。


4.将来のために我慢する

基本的に未来のことなど考えなくていいですよ。今、楽しいかどうか、興味を持てているかどうかだけを考えてみては。
なんでも先延ばしにし過ぎるとタイミングを逃してしまい、実行したくても出来なくなる恐れがありますので。
そもそも、人はいつ死ぬか分からないので我慢は禁物。後悔のないように。

5.いかに昔がよかったか、みんなで語り合う

過去の話を出して、ちょっと場を盛り上げたり、少し懐かしむくらいはいいですが、延々と過去の素晴らしさを語るのはヤバイですね。ようは現在が受け入れられてない状況なわけですし。
昔はよかったなんて言い続けても、面倒な大人だなと思われて若者にも嫌われますよ。

6.自分の環境を嘆く

俺はこんなところで留まり続けるような人間じゃない。
今の自分の現状は、環境が悪いんだ、となにもかもを外部のせいにしてしまっては、何の解決にもならないですね。
変えられるのは自分自身だけなので…。

7.恵まれている人を攻撃する

生産性がないうえに孤立しかしない。
攻撃するよりも、その人の羨ましいと思える部分を自分もマネできないかなと考えてみるべきでして。
敵対するよりも味方についたほうがいい。

8.「スゴイですね!」「さすがですね!」と言ってくれる人ばかりの環境で長く働く

どんどん井の中の蛙になっていく場所ですね。
全然すごくないし、視野が狭まる。
今のままの自分でいいんだと、努力を怠る。互いに、すごいすごいと褒め合い続けて成長が止まります。

9.一緒にいてイライラする人から離れない

イライラする相手と無理に過ごす必要はないですね。
精神衛生上よくないですし、ストレスが強くかかる。
さっさと距離を取るべきですし、そんな相手と過ごすのは時間の無駄でしかない。
合わない相手とは、死ぬまで合わないものなのです。

10.社会や政治や会社など「自分以外の誰かが問題を解決すべきである」、と一生懸命に主張する

誰かが変えてくれることを望むのではく、自分が変えていけということで。
ただ、その力がある人はごく一部なので、期待しなきゃいいんじゃないですかね。



自分なりに思ったことを述べてみました。



あとはこれを読んでください、と書いてありました。

未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる

未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる