知らないことを恥じて生きている。
自分が知らないことを相手が知っていると、悔しいというか勉強不足だなと反省させられる想いがある。
自分の場合は分野として、本と映画に偏っている。分野は人それぞれでいい。
急いで読まなければとか、知っておかないといけないという言わば強迫観念に近いものが心に湧いてくる。
単純に、興味が出る、だけなのだが。
昔の学生は互いを高めあう関係性があり、本の話を頻繁にし、あれを読んだとかこれを知っているか、という風に確認しあっていたそうな。
そこでもし読んでいなくとも、読んだと受け答え、次に会うまでに急いで読み終えていたとか。
知らないことが恥である。
この感覚は大切であると思う。
知ったかぶりをして、分かった風な顔をして無学を恥じずに生きろということではない。
より学んでいこうという欲求。
自分の知らない世界がまだまだ広がっていて、そこには素晴らしい価値のあるモノが存在していることを考えるべきだと言いたい。
そして、その未知の領域を広げていくためには、コソコソと調べて学ぶ知的好奇心が旺盛である必要がある。
無知を恥じずに開き直るのでなく、無知を恥じつつ相手に教えを請うことも大切。
だが、何も自分では手をつけずに端から相手に全てを委ねてしまうことは問題がある。
世の中にはスゴいと思える人物であふれかえっている。
その人たちのようになれないのであれば、せめてその人たちが通過した文化を知りたいと思う。
そこで、人の勧める本や映画は極力消化していき、また、自分でも良きモノを見つけ出そうとしているのだ。