思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

パソコンを触らなくなった。

最近、パソコンの調子がイマイチなのでほとんど起動させてない。
もう一カ月以上まともに使用してないのではないだろうか。

どうせ利用法としては、文書を作ることだけなので、もはやスマホ1つでも事足りることには足りる。
フリック入力ならば、正直なところパソコンのキーボード入力に劣らない速度が出せる気がしている。

はてなブログを書くのにも、スマホのアプリがなかなかに優秀であるから不都合はない。

たまにキーボードを打ちたくなる

ただ、時たまキーボードのガチャガチャとした入力音と手触りが恋しくなる。

大学時代は夜な夜なパソコンにかじりついて、明け方まで遊んでいた。
一晩中、ガチャガチャ言わせて過ごしていた。

もうそのような生活に戻ることは生涯ないだろう。

いま現在の過ごし方としては、中心軸が"読書"という行為に集約されてしまっている。
ネットの利用は、読んだ本のリストを整理したり、読みたい本の書評を読んだり、著者の情報を調べたり、関連書を探っていくといったことばかり。他には、本を読み終えたあとに、自分の中にモヤモヤと出てきた感情を言語化する作業くらいなもんだ。

スマホ1つで事足りる

スカイプで友だちと通話しながらゲームをしたり、ネット配信動画を見ながらコメントを打ち込んだり、自分も配信したり、くだらない画像や動画を収集したりという、一連の遊びとは別れを告げた。


今は片手に収まるスマホ1つで自分のインターネット事情が済んでしまうのは、なんだか寂しくもある。

スーパーの弁当が、好き。

Netflix野武士のグルメお題「ひとり飯」

ひとり飯。ソロ飯。

外でご飯を食べる時は安さしか追求しない。
基本的にはスーパーで弁当とバナナを一房買うよにしている。
スーパーに行けば、だいたい本日の特価品みたいな弁当が安く売られているので、それを選択する。
炭水化物オンリーでなく、肉とか魚とか野菜が入っている弁当をなるべく選択するようにはしている。
ただ、基本的には、食に一切のこだわりが無く、安くて少しは栄養が取れそうな食事ならば何でも良いと思っている。

バナナはデザートとして最強だ。
腹持ちが良い上に、量に対して値段が安い。最近は幾種類ものバナナが売られているが、一番安価なやつを買う。

そして、駅前のベンチとか、図書館の外の休憩スペースとかで食べている。
外でぼーっと景色を見ながら弁当を食べる時が何だがすごく幸せだ。

たまに店で食べる時は、牛丼屋に入る。
ここでもこだわりが無いので、1番安いシンプルな丼を選択する。

前はハンバーガー屋に行って100円のバーガーを買ったり、パン屋でアンパンを買って食べたりが多かったのだけれども、それを食事一回にカウントするのはなんだか、身体に良くない気がしてやめた。

やっぱり1人で外で食べるならば、スーパーの弁当が1番好きかな。



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カフェは、自分の存在を消せる空間。

カフェにおいての試験・資格勉強、読書、仕事の作業などが、なぜ自宅よりもはかどるのか?という議題に対しての、明確な答えを持てないまま、ずっときていた。

そんななか、たまたま、本日読んだ『人が集まる「つなぎ場」のつくり方 都市型茶室「6次元」の発想とは』のなかに、腑に落ちる解答が載っていた。


【目次】

カフェは、自己の存在を消すことができる

読んだあとに、メモを取ったわけではないので、正確な文章を記憶はしていないのだが、上記のようなことが書かれてあった。
これは盲点であった。そうか、自分を消せるから落ち着くのか。
周囲の人間の雑音、カフェのBGM、などの要素により、自分までもがそのノイズの中の一部となる。それにより、焦点を、作業の対象物に向け続けることが可能となるのだ。


自宅は自己を意識してしまう


自宅であれば、自己を強く意識してしまう。あれこれと自分にまつわることを考え続けるうちに悩みや心配がふつふつと湧き上がってきたりする。
自分だけの世界に入り込み過ぎることによって、効率性は低下していく。


これまでは「なんとなく少々騒がしいほうが集中出来る」くらいのことしか考えていなかった。

他には、「誘惑が少ない」とかも挙げられる。
自宅であれば、漫画を読んだり、寝転んだりと、どこまでも堕落してしまう。
また、家事という無限に出来る作業が存在するので、何かをやり始めてしまえば、どんどん時間が経過していく。掃除したり、不要物をネットで出品したり、ご飯の準備をしたりなど。


大勢のなかの1人という、居心地の良さ

多数の人間か存在する空間に身を置くほうが、気が休まるというのは分かる。
仲間同士で集まる時も、サシで集まるよりも、複数人のほうが気が楽だ。
だが、あまりにも長時間、乱雑な場に居続けると段々とシンドくなってくる。
そんな時は家に帰って1人でゆっくりしたりして、一旦リセットする感じがいいのだろう。


自分の存在を消したり、意識したりの繰り返しで生活する


集団のなかに身を置き、自己意識を薄め、日常の風景の一部に過ぎないと思ってみたり、1人の空間で精神世界に潜り込んでみたりの繰り返しで生きていくのが良いのだろう。


なんだか、少し話がずれてきてしまったが、カフェがなぜ落ち着くのかが分かって良かった。


人が集まる「つなぎ場」のつくり方 都市型茶室「6次元」の発想とは

人が集まる「つなぎ場」のつくり方 都市型茶室「6次元」の発想とは

時間>>>>>>>>お金、ですね。

不本意な付き合いにお金と時間を略奪されることが嫌で嫌で仕方がない。


【目次】

時間は随時、減衰していく

少しも望んでいないことで、待たされたり、他人の時間を奪うことをなんとも感じないような人々の気持ちがさっぱりと分からない。

お金は遣えば減る。
遣わなければ減らない。

だが、時間はどうだろうか。
遣わなくとも、遣おうとも、逐一減っていくのだ。
どこで何をして何を考えて過ごそうとも、一刻、一刻、魂は削られていく。

そのことを深く理解して欲しい。

暇つぶしの意味

もはや、"暇つぶし"という言葉の意味が分からない。潰そうとしなくとも、どんどん無くなっていく時間を如何に自分のことに有効に使おうかとばかり考え続けている。

寝るのも惜しいし、ゲームをするのも惜しいし、酒を飲んで脳を麻痺させて本を読めなくし、思考を妨げることにも強い抵抗を覚える。

我慢ならない

別段、効率主義というわけでなく、無駄なこと、非効率なことを沢山してきた人生であるが、それが故に、自分が欲してない行為に、自分の残りの人生時間を割くことが我慢ならない。
他人にどう思われようとも、一切気にならないし、自分が望んでないことにお金と時間を遣うことが、腹ただしくて仕方がない。

みそ汁とお米さえあれば、食事は完璧。『一汁一菜でよいという提案』を読んだ。

先日、購読した『一汁一菜でよいという提案』がとても良かった。



どういう本であるかを一言でいえば、「みそ汁作って、コメを炊け!」という内容。

みそ汁に具材をたっぷり入れて、あとはコメさえ用意すれば、おかずなんて要らないし、それで栄養も充分取れるとの話であった。

昨年から割とそれを自分は実践していたので、「やはりそうか」と改めて納得させて頂けた。

【目次】

自炊は頑張り過ぎないことが大切

自炊はとにかく頑張り過ぎないことが大切だ。何品もおかずを用意していたら、どれだけ時間があっても足りない。


自炊をし過ぎですよ、という話に関してはphaさんのこのエントリーをお勧めする。読んでみて。
日本人は家事をしすぎじゃないか問題 - phaの日記

記事内からの引用文

昭和の時代ならともかく、核家族で共働きが当たり前になってる現代の社会で家事を自分たちだけでガチでやろうとすると普通に死ぬので、適当に手を抜いたり外注しながらやっていきましょう。

味噌は万能

それにして、味噌というものはとにかく万能過ぎてヤバイ。

コメだけでは味気ないと感じる時には、味噌を塗って食べましょうと『一汁一菜でよいという提案』のなかに書いてあったので試してみたところ、実に美味しい。
焼きおにぎりとか味噌塗ってたりするので、炊いただけのコメに塗っても美味しいに決まっているのだが、試してみなければ分からない。

味噌をトーストに塗ってみた

因みに本日は、コメがもう無かったので、トーストに塗ってみることにした。

8枚切りの食パンに味噌を塗り広げ、その上にマヨネーズを重ねて塗っていく。
そして、それを3分ほどトースターで焼く。
これがまたとても美味しい。
明太マヨ的な味わいになっている。

味噌マヨトーストを食べ、大根と豆腐の入ったみそ汁を飲む。味噌ざんまい。


一汁一菜でよいという提案

一汁一菜でよいという提案

因みに、重要なエッセンスについては、ネット上に記事が存在するので、それを読んでみてから、本を買うかどうか検討するといいと思う。自分はそうした。
下記の自分のツイート内に記事リンクがあるので、そこから飛んで欲しい。

黙って続けることでしか、人生はうまくいかない。

少しばかり継続した努力が何かに身を結ばないからといって、すぐにやる気を失ったり、投げ出してしまうのは勿体無いと感じる。

【目次】

他人の成功例は当てにならない

何かを習得するのに、どれくらいの時間が必要だとか、どの様な手法、工夫が求められるだとかは、その時、その時により異なり、個人差が激しいものなので、正直なところ他人の成功例などは、ほとんど参考にならない。

なのに、他人の成功体験を耳にして、
「自分は同じ様なやり方をたどっているはずなのに、なぜ上手くいかないのだろうか。きっと才がないのだろう。無念」
と、取りやめてしまう人が多い。

水木しげる先生の生産量はすごい

最近、水木しげる先生の漫画を頻繁に読んでいるのだが、とにかく作品の数が膨大で、どれもが長編であり、その生産力に驚かされる。
どの作品も一切手を抜かず、一コマ一コマの書き込みが素晴らしく、芸術作品としても評価は高い。

その時、はたと気付いたのだ。

画力もさながら、これほどまでに数多くの作品を世に出してきたからこそ、水木しげる先生は世界的な漫画家、妖怪研究家になられたのだろうと。

たまに文章を作って、それで食べていけたらいいのにな、とか考えながら、ほとんど文章を書いていない自分なんかは全然活動をしていないに等しい。
フリーペーパーを製作し、それを道端で配布して、どうにかこうにか文章を読んでもらえる仕組みを構築していく、とかでなく、何処にいても好きな時に、ちょっとスマホで文字を打つだけで、世の中に文章を発信出来る。それほどに敷居が低くなっているのだから、とにかくもっと書いていくべきなのだろう。本気で文章で食べたいとか考えてるいるのならば、あれこれ悩む暇も無いくらいに書いていくしかない。

悩む暇はない

世の中というのは、あまり悩む暇を与えないように作られている。

何かをしたいと考えている間に、その状態に近付けるように、何か今できることを一つでも始めてしまえば良い。

やるしかない

やるか、やらないか、だけであるこの世界。

時間は意識せずに、過去を切り捨て、今自分が何をしたいか、どう過ごしたいかだけを考えて、生活しよう。

暗記しない生活法

最近、頭が回らない。

めっぽう記憶力が低下している。
年を重ねるごとに、記憶量が逓減しているのでしょう、と言いたいところだが、記憶というものは、繰り返しにより定着させていくだけのモノなので、それは言い訳に過ぎない。
つまり、覚えていないということは、覚える気がない、ということになる。
いや、まさにそうなのである。なるべく記憶したくないので、覚えないで済む方法ばかり考えている。
で、覚えないで済む方法は何かと言えば、メモを書くことに尽きる。

【目次】

何でもメモを取る

何でも紙に書き残し、それを写真に収める。または、スマホのメモ機能に使って管理していく。覚える努力を避けたいし、自分のワーキングメモリーの使用率を少しでも下げたいとばかり考えている。

今できることは、今やる

あと、覚えないで済む方法としては、今すぐに出来ることは、やってしまうというのも大事である。すぐさま片付けてしまえば、暗記をする必要がなくなる。即刻、頭の中から消してしまえる。大変に便利だ。
面倒だから後回しにしよう、と考えると、更にだるいことになる。

まとめ

覚えないで済む方法は、2つしかない。

  1. 外部機能に頼る(メモを書く)
  2. すぐにやる

とても単純なことだが、これを実践するだけで、頭を遣う必要がなくなる。
何でもかんでも覚えようとするのは間違った努力であり、そんなことを評価するのはバカな社会だなと感じる。