思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

ブログ継続のコツは「今、ここ」に注目すること。


脳科学者、茂木健一郎のツイートを今朝は読んでいた。

「継続の秘訣は、常に今、ここに没入すること」というテーマでつぶやかれていた。



何かを成し得るためには、長期間の不断の努力が必要となり、そのためには、うまい具合にフロー状態を保つことが求められる。経験の積み重ねは、己の自信を構築する反面、足かせになる可能性が高い。

これをブログ継続に当てはめていきたい。

【目次】

過去記事のまぐれ当たりは気にしない

ブログを書いていると、予期せぬタイミングで記事がヒットすることがある。思わぬ反響を産めた時に「よし!この流れでブログを成長させていくぞ!」と意気込む。
その心意気自体は大切であり、継続のモチベーションになる。
ただ、必要以上にその幸運を引きずり続けることはよくない。新たに記事を作成する際に、その記事との比較を無意識の内にしてしまう。
うまく書けたと思ったのに、全く反響が無かったりすると、あの時はあんなにブックマークやコメントが付いたのに!と焦る。

その状況回避のコツとしては、1記事、1記事を楽しむということだろうか。
まさに、「今、ここ」だけに注目するということだ。

運営期間、記事数も気にしない

僕はブログを2年以上やっているし、記事数も900個位になっている。
その割には全然アクセスが無いし、読者数も少ない。だけれども、そんなことばかり考えていたりするとブログを書くことが楽しくなくなる。
これだけ今まで頑張ってきたんだなと、自信に繋げることが出来ればいいが、上記のように「これだけやっているのに、全然ダメだ」みたいな状態に陥るのは、もったいない。

毎回、初めて記事を投稿するような気持ちで、書いていくことが大切だ。


うまく書けない日もあると割り切る。


文書力は日々上達していけるかといえば、そうでもない。

今日はいい感じだぞと、気分がのってあっという間に書き上げてしまう時がある。
逆に、少し書いては消して、書いては消してを繰り返し、終いには保存せずに閉じてしまうこともある。

文書はナマ物というか、その時の自分の精神状態や環境に物凄く影響を受ける

特に疲れている時には書けなくなる。思考力が停滞しているからだろう。自分の場合は夜に書くのが難しい。1日に起きた出来事の情報が脳内に蓄積され、ワークメモリが一杯になってしまっている感じがする。
ワークメモリが埋まってしまったパソコンと同じように動作が重くなる。ちょっとした簡単な作業でも、うまく起動出来なくなる。自分の脳を再起動させる意味で、さっさと寝てしまったほうがよい。

こんな感じに、文書を作ることは様々な影響を受けやすいので、うまく書けない時があっても割り切ろう。そして、うまく出来なかった記事の時に限って反響があったりするからよく分からない。

おわり

夢中になってやっている内に経験値は溜まる。時間や我を忘れて没頭することが大切だ。大切だ、と言うとそれを意識しなければならないような感じになってしまうが、フロー状態を利用するのが、何かを成し得るためには1番効率が良い


「今、ここ」を意識して、過去とか未来とかあまり気にしないで、生きていこう。



おまけ

ちょっと前にプロブロガーのかん吉さんの本を買ったのだが、結構良かった。
ブログ内容をまとめ直したと言う感じだったけれど、すごく読みやすいし、ためになった。ブログ継続のモチベーションアップのためには、こういう本を読むのも良い。

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1人でお金を遣うことが苦手だ。

僕はあまりお金を遣わない。

お金を遣うことが苦手な理由は、お金が無ければ何も楽しみを見出せない、つまらない人間だと、自分を認識させてしまう気がするからかもしれない。


基本的に、自分が楽しいと感じる瞬間は、あまりお金の掛かっていないイベントや体験をしている時のことが多い。

どうしてもお金を遣ったうえでの娯楽となると、損得感情が働いてしまう。
「あれだけ支払ったのに、こんなもんか」とか、「お金を無駄にしたかもしれない」とか、そんなことばかり考えてしまう。


【目次】

誰かのために遣うお金は惜しくない

誰かのプレゼントのためにお金を遣う時や、食事をおごる、などといった行為の時にはそんな感情は産まれない。
喜んでもらえたり、感謝されたりすると、「日頃、くだらないことでお金を遣わずに貯めといて良かった」と凄く感じる。
他人のために遣うお金は気分が悪くならないが、世の中のくだらない消費システムに摑まされている時に腹ただしくなる

小屋暮らしの寝太郎さんも、似たような感じのことを呟いていた。

稼ぐ方法よりも、遣わない方法

いかに稼ぐかに注目するよりも、どう遣わないかを、一円単位で考えられる習慣を身につけるほうが生きやすくなる。

遣わない生き方は、金で解決するよりも頭を遣うし、情報を集めたり調べる必要も出てくる。それをただの面倒な作業と思ってしまえば、それまでのことになるのだけれども、自分はどちらかと言えば、生きる知恵が身に付いっている感じがして楽しい
身の回りの物や契約などを、どこまで減らしていくかについても考えはじめる。

ゆとりのある生活

遣うお金を減らせば、身を削って働き詰めになる必要もないし、心にゆとりも出てくる。

節約という言葉を遣うと、貧乏とか、辛い生活、みたいな印象を以前は持っていたが、今は違う。

世間一般で常識とされている、価値観や考え方に左右されず、自分ベースで生活するための知恵という感じだ。

彼女と2年同棲してみて感じたことまとめ。

結婚するなら、同棲を1度してみるのは悪くないと考えている。
実際に自分自身、約2年間ほど行った。


1年目の時にも同棲のことを書いた。
彼女と1年同棲してみて感じたことまとめ。 - 思考拡張日記。


「同棲すると相手に幻滅して結婚までたどり着けなくなる」とか「結婚生活に新鮮味が失われて楽しくなくなる」とか、耳にする。

そういったことは実際にあるだろうし、自分も全く衝突が無かった訳ではない。やはり他人同士が一緒に暮らすとなると、それまでの生活習慣の違いから、うまくいかない部分も多少は出てくる。また、結婚してから初めて一緒に暮らす人よりは、フレッシュさに欠けるだろう。

しかしながらそれでも、同棲しておくメリットはあると考えている。

親と暮らせて家賃の掛からない生活を送れているのなら、無理して同棲をしなくてもよいが、それぞれが一人暮らしをしているような状況であったりするのならば、同棲してみてもいいのではないだろうか。


さて、具体的にどの様なメリットがあると考えられるかについて話そう。


【目次】

相手を深く知れる

当たり前のことではあるが、毎日顔を付き合わせて暮らしていれば、相手がどんな人であるかがよく分かる。
週に1、2回程度、会うだけでは、見えない部分は多々ある。
会っている間の数時間ならば、うまく取り繕うことは出来る。しかし、一緒に暮らしていれば、そんな四六時中、良い顔を作り続けることは困難になる。

まあ、手っ取り早く言ってしまえば相手の弱点というか、ダメな部分が見える。
ダメな所を知ることにより、どんな人であるかがよく分かる。

接触効果で距離が縮む

たまに会うよりも、一緒に暮らすことで接触回数は圧倒的に増える。そして、増えたことにより、親密度は急速に高まる。

単純接触効果とは、認知心理学の一つであり、人は、何かしらの対象物と繰り返し接することで、警戒心が薄れ、好意度が増していくという法則のこと。

短時間で遊べる

離れて生活していると、ちょっとした隙ま時間を利用したデートなんてものも難しい。しかし、同じ屋根の下にいれば、近所をぶらぶら散歩するだけのことでも出来るし仕事終わりの数時間で、遊べたりする。


他には

それ以外に言えるのは、費用の面。家賃は折半すれば半額になるし、水光熱費だって、2人になれば2倍になるというわけでもないので、随分とお金が浮く。

あとは、結婚後に別れたくなる可能性が低くなるということだろう。
別れるのならば、既に同棲期間に別れるはずだ。無駄が無くなるという言い方はちょっと違うかもしれないが、離婚に至るよりは全然マシだ。

同棲も結婚も協力ゲーム

どちらかだけが頑張り過ぎたり、片方だけに仕事や家事を押し付けるのでなく、うまい具合に2人で生活やお金を回していこう。人生をやっていくためのチームなので、それぞれの苦手分野などを補完し合いながら生きていこう。

おわり

結婚の前に絶対、同棲をしたほうがいいとまでは言わないが、するのは結構いい。
結婚した上で一緒に暮らすのとはまた違った楽しみがあると思う。
同棲をしなければよかったという人もいるだろうが、そういう人は結婚する前に別れることが出来てよかったと思う。
もう結婚してしまったから、嫌だけど離婚も嫌だし頑張って一緒に暮らそう、となるよりも幸せだ。




同棲一年目の時に書いた記事

ブログを900記事ほど書いて、感じたこと。

「ブログを毎日書かなければ」みたいな使命感の元に更新していたのだが、随分と気軽に書けるようになった。

なったといっても、具体的に自分の中でどれほどの変化があったのかを調べるのは難しい。

【目次】

自分のブログの書き方

日常のなかから何か少し自分の中で引っかかるモノを引っ張りだしてきて、文章化していく作業でブログを書いている

周囲の誰かが何気なく発した一言、街中の広告で見たワンフレーズ、Twitterのタイムラインで読んだツイート、本を読んでいた気になった言葉。

そういったところから、言葉を少しずつ増やしていき、だいたい1,000文字ほどの文章を作るように心掛けている。

「1,000文字にしよう」と最初から決めているわけでなく、書いている内に気分が乗ってくるとそれくらいになっている、という感じだ。

なので、そんなに思うところが無いことや、なんとなくで書いている場合は、そこまで伸ばせずに500-600文字で終わる。



調べて、書く作業は難しい

何かを調べて、それを自分の言葉で書いていくという作業が、1番求められる能力だと、ジャーナリストの立花隆氏が述べていた。

調べるには、複数の文献を比較したり、頭の中で整理する作業を要するので酷く労力を求められる。
特に自分にあまり馴染みの無い分野についてだと、骨が折れる。
書評ですら内容の要約にかなり労を要するので、情報をまとめ直す作業がどれほど面倒なものであるかが分かる。

自分の場合は正直なところ、手抜きなずるい方針でブログを書いている。
読んだ本の内容をほとんど思い出せなかったりすることが多く、雰囲気しか掴めない。
なので、漠然とした抽象論に終始してしまう。

人間の頭だけで、きっちりとした数値や用語を幾ジャンルも取り揃えておくことは難解であるし、正直なところ、具体的な知識を求めるのならば、その一次情報に自分で触れるほうがいいと考えている。

ただ、漠然とした文章でも、それなりに何か思うところが自分の中に無いと書けない。



ブログを書くと、自分の意見を持てるようになる


日々、ブログ上に、思ったことや感じたことを残す作業をしていると、思考は多少クリアになるし、そこそこに自分の意見を述べられるようになる。

日常生活のなかで、意見を求められた時に何も出てこないということが無くなる。
ブログを書く時に「どうやったら話を広げられるか」とか、「この事象をどういう切り口から捉えていこうか」と常に考えていることが役立つ。


ブログってのは、たくさんのアクセスがあって広告収入を得てナンボみたいな世界観があるが、もっと大切なことを学べる素晴らしいツールだと考えている。

コミュ障の僕が、会社に4年ほど勤めて感じたこと。

「自分のしたいことを仕事にしなければ」とか「適性はどうなのだろうか」といったことで、就職活動中の学生は悩み続ける。

自分自身、就活中にずいぶんと苦労した。苦労したというのは、それまでの人生において、自分がどんな仕事をしたいと考えたことが無かったという面においてだ。
全く想像したことが無かったし、そもそも普通に企業に就職したいとか思ったことが無かった。


【目次】

働くことが怖かった

特別なことを出来るとか思っていたわけではないが、なにも考えずにボーッと生きてきた自分なんかに務まる仕事があると思えなかった。

他人とコミュニケーションを取ることが本当に苦手だったし、責任を負うということが無理だった。バイトとかでも、少し難しい作業は誰かにやってもらっていたし、分からない時は適当にヘラヘラしていたら手助けが来た。
また、1番楽なポジションに回してもらったりして生きながらえてきたので、働くことが恐ろしかったのだ。

楽なポジションづくりのコツ

楽なポジションに回してもらうには、とにかくダメな奴を演じておくことがコツである。
まず、極度の緊張状態にあることを周囲に伝わるくらいの顔、声、表情を作る。問題にならない位のヘマや勘違いミスを繰り返したりしていると、だんだんと簡単な業務を与えてもらえるようになる。

ただ、一歩間違うと「なんだこいついい加減にしろよ」と思わせてしまう可能性もある。
それを避けるポイントとしては、低姿勢を続けることである。素直に謝り、決して逆ギレするような横柄な態度をしてはならない。また、腐ることなく、なんか一応は一生懸命に真面目にやっている感を出すことが求められる。
そうしていると、責められることなく、「なんだか許して貰えるキャラクター」を確立できる。

社会人になってからは、なかなかそのポジションを作ることは難しい。やはりそれなりに責任がついて回るので、ミスを繰り返したりすると居場所がなくなる。

嫌われない人間になることが大切

低姿勢で素直に謝って、あとは他人の話に耳を傾ける習性を身につけておくと、嫌われることはない。働くうえで嫌われないというのは、とても大事なことだ。

謝ったり、お礼を言うことをやっていれば、どうにか生きていける。

自分は謝罪が遅れたことで、結構命取りな感じになった時期もあって、死にそうだったけど、いまはどうにか回復してきた。

仕事はなんでもいいからやってみる

何年か働いてみて思ったこととしては、仕事は何でもいいんじゃないかなということ。

どうしても〇〇の仕事じゃなければ、働きたくない!と強い意志を持って、職業選択をすることもいいが、ある程度の柔軟性を兼ね備えたほうが楽である。
就きたい職に就けなかった時に、メンタルをやられてしまう可能性もあるし、今後の人生をどう生きていけばいいんだと、人生の目的すら見失ってしまうこともある。

生きていく上で必要最小限の費用が手に入ればいいや、くらいに考えて仕事を選んだほうがいい。

また、したいことが何もないって場合は、とにかくハード過ぎず、自分でも務まりそうな業務内容や業界を無難に選択するようにしたらよい。

自分探し的な、自己分析にはまって、適した仕事は何だろうかと考え続けるよりも、とりあえず働いてみることで、なんだか先に進める。

富と名声と権力が欲しい!とかそんな強い欲望でもない限りは、無難な人生を送りながら、自分の好きなこと、したいことを、個人的にやっていくスタイルが1番幸せなのではないだろうか。

TRYWIMAXを申し込んでみた。

引っ越しを機に、ポケットWi-Fi導入を検討してみることにした。

これまでは固定回線を引いていたのだが、またすぐに引っ越しをしなければならない可能性があるので、固定は解約した。

ポケットWi-Fiは回線が遅いとか不安定とかの噂を耳にしたことがあったので、利用するかどうか悩んでいたのだが、実際に使用している人たちの話とかをTwitterや掲示板できいてみた結果、わりとアリな感じだった。

機器が届いた


Try WiMAXレンタル|UQ WiMAX|超高速モバイルインターネットWiMAX2+


trywimaxってのを一昨日頼んで、今日届いだ。

UQコミュニケーションズが提供している、15日間、ポケットWi-Fi機器を無料で利用出来るサービスである。

15日間といっても返却して、向こう届いて完了なので、実質は10日間くらいだろうか。
期日を過ぎると罰金として2万ほど徴収される。少し過ぎても、もう返却しましたと電話で伝えておけば、大めに見てもらえるようだ。まあ、なんだか心配なので、期日に届くように返すつもりだけど。

Wi-Fiが無いと、なにも出来ない

今はWi-Fiが当たり前のインフラとなってしまい、無いと動画も見れないし、のんびりネットに入り浸ることが出来ない。
速度制限を恐れながらネットを利用するのは嫌だ。

出かけ先のカフェとか、マックや図書館で野良Wi-Fiを拾って繋げばよくはあるが、やはり自宅の布団に潜り込んでネットをするのが1番楽しい。

trywimaxを使ってみて、いい感じだったらそのまま申し込もうかな。

無駄遣いからの、卒業。

今週のお題「卒業」

無駄遣いからの卒業。

大学生時の自分は、貯金は常にゼロ円だった。バイド代が振り込まれて、数万円の金額が表示されればすぐに、全額引き下ろしていた。クレジットカードを持っていなかったので、お金は全て財布に入れていた。今思えば、一気に全部引き出す必要はなかったのではとは思っている。


とにかく物を買い続けた


洋服、漫画本、CD、飲み会費用、デート費用に全てを出し切っていた。

下北沢の安い古着屋で、大量にTシャツとか買っていた。

フィギュアとか沢山飾り、物に溢れた部屋で過ごしていた。


お金を遣わないでいると、不安になるような感じに近かった。1日に何か1つ買わなければ気が済まないような状態にあった。
買うものが特にない時は、ゲームセンターに行って何千円分もUFOキャッチャーをしたり、メダルゲームに注ぎ込んでいた。


お金ばかりを遣うことに疲れた


だが、次第にそんな生活に疲れてきた。

疲れてきたというより、貯金が常にゼロ円という暮らしぶりでは不味いのではと考えるようになった。

まともに貯金が初めて出来たのは就職してからだ。
それまでに一度たりとも10万を超える金額が銀行口座に入ったことがなかったので、とても嬉しかった。いつもよりゼロが一桁多い!と喜んだ。

なんだか、せっかくお金が増えたわけだしこのまま増やしていきたいみたいな思いが出てきた。また、物を買う行為にも嫌気がさしきていた。

買っても買っても終わりがない

何か1つ物を買うと、それに付随して別の物を買いたくなってくる。

1枚Tシャツを買っただけなのに、これに合うカーディガンが欲しいとか、ズボンも欲しいとか、リュックもとか、どんどん次から次へと欲しい物が数珠繋ぎに出てくる。

流行も追っかけたりしていると、キリがない。もうこれはダサいから着られないとか言い続け、次々と着なくなった洋服が部屋に山積みになった。


無駄遣いを卒業したら、心が穏やかになった

今はあの頃の自分が嘘のようなほどに物欲が削がれ切ってしまった。

特に欲しい物が本当になにもない。

たまに本が欲しくなる程度で、あとは食べ物ぐらいだろうか。


お金を遣うことと、様々な物を所有することで自己表現を行なっていたかつての生活はひどく疲れた。
お金を多く遣わなくても楽しめる生活に気が付けて今は幸せだ。