思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

これまでに見てきたものを文章にすること。

幼い頃から観てきた映画のことなどを思い返してみる。
そこに自分が見てきた景観や記憶のワンシーン、ワンフレーズなどを足していく。
すっかりと何もかも忘れ去ってしまったと思うていたが、敢えて立ち止まり振り返ることで、ここまでに至るのに沢山の経験を重ねてきたのだなという事実を知る。

ぼんやりと生きてきて、特段、何かしらの思い出を振り返ることもなく、ただ毎日を消化するだけの日常を送っている。
忙しく働きながら、自宅には寝るために帰り、本当にしたいことや、見たいこと、理解していきたいことなど、そういったものを改めて見つめなおしてみる機会を得ることもなく、年月だけが過ぎていく。
それはとてつもなく、もったいないことだなという感覚がある。
なるべくは文章として残していき、どんな人生を歩んできたかを個人的に振り返るようにしていくと、思いもよらない発見があるのではないだろうか。

布団の中で目を閉じ、過去を回想していると、断片的に何の脈絡もなく、様々なシーンが蘇ってくる。
本当に何でもないような退屈な言葉が、ずっと心に響いていたり、誰もが記憶していないような一瞬の出来ごとを繰り返し脳内で再生してしまったりする。

それらを繋げていけば、なにかしら小説ができるのではとか考えたりするが、それを言葉に落とし込むまでに記憶を再生して表現していく力は不足している。
何度も繰り返し、言語化することを挑戦していけば出来そうではあるが、脳裏に浮かんではすぐに消えてしまうものばかりだ。

1人で見た景観よりも、誰か他人と見たものが強く印象付けられている。
ということは、多くの人間たちと関わりは持つべきであり、そこからしか何かしら見えるものが無いのではないだろうかと考える。

膨大な情報を上手く処理していき、それを適切なアウトプットが出来る人間は本当に偉大だなと感じる。

ぼくが得意な7つのこと。



自分の少しは使えそうな特性を考えてみる。

役立ちそうな7つの特性

人前で話すことに、それ程抵抗感がない

かねてより誰かに注目されることや目立つことは憧れがあった。だが、実際に人目に晒される状況になると、頭が真っ白になって何を話せばいいか分からなくなるし逃げ出したくなっていた。
今はそんなこともなくなり、急に何か話さなければならない状況になっても焦ることなく、適当にその場で言葉を見繕って繋ぐことは出来るようになった。
目立つことだけは本当に無理、絶対に嫌だみたいな人は多い。
なので、人前で話すことが出来るってのは役立つかなと思っている。


長時間机に向かっていることに慣れている

自分が通っていた学校は進学校だった。
朝から晩まで勉強しかしないみたいな連中に囲まれて生活していた。周囲の人間はほとんどが医者になったんだけど、自分は落ちこぼれだったし全然稼げそうにもない仕事に就いた。
たしかに勉強は出来なかったけど、とりあえず机に向かう、みたいな勉強をダラダラでもし続ける耐性は身についた。
勉強はメリハリが大事とか、ながら勉強は何も身にならないみたいな意見は沢山あるけれども、何かを学ぼうと思った時にやる気があまり無くても少しは勉強を進めていく力ってのは役立つものなんじゃないかなと考えている。


本を読むことに慣れている

何時間でも本を読み続けることが出来る。
飽きたり、脳がほとんど活動していない状態になったりはするが、それでも読み続けることは出来る。ある程度まとまった量の文章を抵抗なく読むことが出来る力というのは、何かと便利なものだと思う。
勉強するにしても、調べものをするにしても文章を読み続ける必要性がある。
小さ頃から本はまあまあ読んできて良かったなと感じている。


知らない人とでも話せる

その場でたまたま出くわした、見ず知らずの相手とでも普通に会話が出来る。というか、知らない人間との接触のほうが楽しいというか刺激的で、自分には合っている。
長期的な関係性ってのは色々と不都合が多くなってきたりで面倒なので、その場でその瞬間面白ければそれでいいや、みたいな気持ちが強い。
知っている人間同士のコミュニティじゃないとキツイみたいな人は多いので、知らない人間同士のコミュニティが好きなのも役立つ特性の1つかなという印象がある。


食にこだわりが無い

全然グルメじゃないし、味噌汁と白米があればそれで満足する体質なので、食事事情で悩むことが少ない。
最低限必要な栄養素を確保できて、体調を崩してしまわない食生活を実現できればそれで良しと考えている。
高いお金出して外食を続けるような生活者にならなくて助かった。


新しいことに興味を持てる

人間は習慣に支配される生き物で、変化に富んだ生活を避けようとする。
生活のすべてが同じ繰り返しになってくる可能性は高い。
自分の知らないことを知るためには、調べたり、馴染みの無い場所に出迎いたり、知らない人間と交流する必要性が出てくる。
それらを面倒だと考える人は多いが、自分は面白いと思える。
なので、1度も経験をしたことの無いことに興味がずっと向き続けている。
少しでも気になったらなるべくは調べるようにしている。
その習慣があるか無いかは結構重要な特性かなと感じている。


文章を作ることが好き

最後に、文章を書くことについて。
Twitterやブログで書き続けていると、書く度に頭の中が整理されていく感覚がある。
文章を書かない人は、どうやって気持ちをまとめているのかなと思う。
そもそも自分がどんな人間かあまり自覚が持てないんじゃないか位に考えてしまう。
別にどんなに下手でもいいので、書いてみると役立つ。

おわり

ここまでに書いてきた7つの特性はどれも、自分の人生のなかで使い勝手が良いなと思っているものばかりだ。
スキルと呼ぶにはおこがましく、どれもたいしたことでは無いけれども便利なものばかりだ。
ちょっと周囲の人間よりも、出来ているかもと感じることを書き出してみるといいかもしれない。

実家の年末を思い出した。

年末の大掃除を実家ではやっていた。

1年間の汚れを全部取り払うという家族総出でのイベントは嫌いでは無かった。
なんか一体感があるというか、皆で分担して作業していく光景が割と面白かった。

もうその光景も遥か昔のことであり、そんな日がまた訪れることは無い。

父が屋根にあがり、窓を外側から拭いていく姿。
祖母が、和室の障子を貼り直していく姿。

居間では年の瀬の特番がテレビから流れていて、食卓には色々と少し豪勢な昼食が並んでいる。

父は単身赴任で、自分が小学校低学年の頃より全国を転々としている。
母は自営で仕事を行なっていて、日々忙しくある。

年末年始は、唯一ゆっくりと全員が揃っていたと思う。

もう10年以上前の話だな。

目上の人の話はとりあえず聞いてみることが、上手に生きるコツ。

最近、自分でも大人になったと思うことがある。

それは、素直に目上の人間の意見とか話を聞けるようになったこと。(表面上は…。)

以前は何でも反発してしまうというか、反抗的な態度を取りがちで、もっと良いやり方は幾らでもあるし、効率的じゃなくて本当にバカ、とかそれくらいのことを思っていたりした。

だけども、そんな風に抵抗してみたところで、自分の立ち位置を危うくするだけだし、損しかないなということを理解してきた。

決まったルールとかシキタリが無駄に感じたりしても、とりあえずそれに乗っかっておくことで変に目を付けられたりしないし、面倒ごとに巻き込まれなくなる。
とにかく組織で長く生きていくためには、余計なことはせず荒波を立てないということが本当に大事だなと理解してきた。

それは会社に染まってしまっているとか、飼い慣らされた結果なんじゃないの?みたいなことを思われてしまいそうだが、利用可能なものは何でも利用していこうの精神である。

変におべっかを使う必要もなく、ヨイショをしろというわけでなく、素直さを演じておけば、得することが色々とあるという話である。

まあ生きていると、色々と理不尽な目にもトコトン合うし、死ぬほど嫌いな人間とも付き合わなきゃいけない瞬間も多々ある。
完全に1人で仕事が出来る環境であれば、そんなことは無いのだろうけれども…。

別に素直なフリをすることで、自我が失われてしまうことはないので、演技派になっていくべきだ。
そもそも、ちょっと違うことを演じるだけで自分を見失うようであれば、その程度しか自分を持っていなかったんじゃないのかという厳しい見方もある。

若いうちは反発しがちだけども、意見を柔軟に取り込んでいくことをやっていってみよう。

最近、家ばかりにいる。


「用もないのに外出をしても仕方がないな」という気持ちを常に最優先事項として生活するようになった。

その結果、見事に外出をしなくなった。

休日はほぼ自宅にこもって過ごすスタイルが定着してきた。

食料はある程度の品をひと通り買っておけば、幾らでも食材の使い回しが効く。野菜でも肉でも何でも余れば冷凍しておけばよい。冷凍庫が大きい冷蔵庫を買っておいたのは正解だった。まあその冷蔵庫を選んだのは自分では無いのだが…。

本を読んだり、映画を観たり、ネットをしているだけで無限に時間が過ぎていく。
退屈なんて感情が訪れることが本当にあるのだろうか。誰にも合わなくても平気だし、なんか色々と考えたりしているだけですぐに日が暮れてしまう。

まあ本当はそれだけではいけないことは理解している。
だけども、外に出ることで寒さに震えたり、人混みを歩くことで病原菌を移されたり、車に跳ねられたり、自転車に轢かれかねない。

別にどうしてもという理由を挙げられ無いのならば、家の中にいるのがいいのではないか。
お金も遣わないで済むし。

あらゆることを考慮していくと、家にいるという選択をしてしまう。

30歳で亡くなられた有名人 まとめ。

この肉体との付き合いも30年になります。

30年間も生きていると、あらゆる世の中の摂理が分かっていたり、生きていくために必要な知識・情報を一通り学べているものであろうと考えていました。

しかし、そうではありませんでした。
意欲的に学びの姿勢を保ち続けねば、たいした人間には成れないものなのだなということを知りました。

そんないい加減な状態でも、大きな病や事故に合うこともなく生きてこれました。
これは実に有り難いことだなと感じております。

世の中には30歳で、亡くなってしまった人間も大勢いるはずです。
ちなみに国内の30歳男性の死亡率は0.65です。40歳になると1.09になります。

さて、導入の話が長くなってしまいました。
ここから先は、30歳で亡くなられた有名人をまとめます。



30歳で亡くなった人々

英国アイドル歌手 アンディ・ギブ


1988年3月10日(30歳没)


彼が30歳である1988年3月、新しいアルバムの制作作業に入った頃、胸の痛みを訴えてジョン・ラドクリフ病院に入院。
そして1988年3月10日、ウイルス感染による心筋炎でわずか30歳で逝去。

シンガー・ソングライター  ジム・クロウチ


   
1973年9月20日 (30歳没)

1973年夏の全米チャートでトップに輝いた直後、バンドメンバーやスタッフと共に巡業中の飛行機事故で他界。

プロレスラー ジャイアント落合

2003年8月8日(30歳没)

プロ野球中日ドラゴンズ元監督である落合博満の甥。

2003年7月28日本格的なプロレスデビューを目指して、出稽古をしていたWJプロレスの道場で、ロープワークの練習中(佐々木健介のシゴキにより)に倒れて意識不明の重体になり、昭和大学病院に緊急入院。開頭手術を受けるも、8月8日午後4時30分、急性硬膜下血腫により死去。

芸人 ワンツーギャンゴ 今井 辰紀


2011年5月20日(満30歳没)

2011年5月20日、急病(詳細不明)により急逝。享年30。ブログは死去の前日まで更新されており、その日は「アレルギー性の蕁麻疹が再発したので動物性蛋白質が摂れない」などの話を綴り、「なんかネガティブなブログですいません。これが俺のリアルだ !! 」の一文で締め括られていた。

タレント 羽生未来

2005年2月22日(30歳没)

2002年9月、脳腫瘍と診断を受けて入院。手術とリハビリによって一時退院。しかし2005年に肺癌と診断され再入院し、同年2月、東京都の病院で死去した。30歳没。

サッカー選手 今藤幸治



2003年4月17日(30歳没)

脳腫瘍への罹患が発覚、1998年シーズン途中でガンバ大阪を退団。4度の手術とリハビリを繰り返すも、2003年4月、30歳の若さで他界した。

大相撲力士 剣晃敏志


1998年3月10日(30歳没)

1998年3月、汎血球減少症による肺出血のため、大阪狭山市の病院で逝去。30歳没。

レーシング・ドライバー マルセル・エンゲルス


エンゲルスは6月17日(日)、母国ドイツの公道、アンラター通り(通称K17)でオートバイを運転中に事故に遭い亡くなったという。享年30歳。

総合格闘家 宮下トモヤ

2011年12月31日(30歳没)


2010年11月、縦隔に腫瘍(性腺外胚細胞腫瘍 非セミノーマ)が見つかり、治療のため入院。

腫瘍摘出の手術は成功したものの、2011年5月には急性巨核芽球性白血病も発覚し、同年12月31日午後6時10分に亡くなった。30歳没。

韓国サッカー選手 チョン・ジョングァン

2011年5月30日(30歳没)

プロサッカーの八百長に加わった容疑で検察から逮捕令状が発給されたチャレンジリーグ(K-3リーグ)ソウルユナイテッド所属のチョン・ジョングァン選手(30)が「勝負操作に加わったことを恥ずかしく思う」として自殺した。

30日午後1時40分ごろ、ソウル江南区新沙洞(カンナムグ・シンサドン)Pホテルのある客室で、チョン選手が首をつって死亡しているのをホテルの職員が発見し、警察に申告した。

漫画家 山崎あつし

2006年12月23日 (30歳没)

作品内容は性描写を含む、いわゆる18禁作品がほとんど

2006年12月2日、愛車でドライブ中に事故を起こし、意識不明の重体となり入院。回復しないまま23日に死去。享年30。

自分は生きている

突如として明日死んでいるかもしれないし、まだまだずっと生き続けるかもしれないです。それは誰にも分からないものです。
自分と同年でこの世を去ってしまった人々のことを知ると、何とも形容しがたい気持ちになります。



おわり。

東京には生きるエネルギーがある。

昨日、久方ぶりに池袋を訪れました。
都心のエネルギーみたいなものに触れて、なんとも言えない心持ちとなりました。

自分は神奈川に住んでいるのですが、やはり東京はちょっと違うなという印象を受けました。

多種多様な人間がいて各個人の主張がとにかく強い、そして、尖って生きている。そう感じました。

ここに住んでいたら、人間はどんな状態になっても生きているし、まだまだ大丈夫だと感じることが出来、やっていけそうだなという気持ちになれました。

自分が住んでいる地域ははっきりと言って普通の人々ばかりであります。平均化された生活習慣に、飼いならされている感じがあります。

特殊な生き方や、面白いことを追求し続けたいみたいなエネルギーを保持していくことが望みならば、やはり都心に住むのがいいのではと考えました。

今はインターネットの発達により、何処に住んでいても変わらないとよく言われます
。ですが、それは少し違うのではないかと感じます。

バーチャルの世界を一度通して見るのと、実際に自分がその場にいて五感を通じて触れていくのでは理解度がまるで異なります。

リアルでの体験だと、世の中にはこんなにも多種多様な人間がいて生活しているのかということを深く理解できます。
自分はダメだとか落ち込んでいる暇などがあれば、その雑多な人間模様のなかに入っていくことがいいのではと思います。

人間は環境に支配される生き物であり、その環境にどんどん順応していってしまいます。
それは、自分では気付かない速度での変化なので自意識を伴わないことのほうが多くあります。

自分の感覚を鋭利にさせ、常に思考を変化させながら生きていきたいと思うならば、変わった人間が多く集まる場所に身を置き続けることがいいのではと感じました。