思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

休日に出かけることも、仕事と考えて行動してみることの必要性について。

人に会う、出掛けてイベントに参加する、展覧会に行く、などの行為も仕事のうちだと思うようにしていけば、行動力がアップしていくんじゃないかと考えている。

「なんで休みの日に何処かに行かなきゃいけないんだよ、家でひたすら1人でじっとしていたいんだよ」という気持ちが最近はめちゃくちゃ強かった。

家にいるあいだも、任天堂Switchで『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド - Switch
延々とプレイしているだけで、まともに本も読んでないし映画も観てない。
本や小物を売ってお金にするとかも出来なかった、面倒で。
これまでに身につけたいなと思っていた習慣とかが抜け落ちてしまった感がある。
かろうじて自炊だけはコンスタントに継続していたけど。
「ブログすらもすごいだるくて、更新する気になれない」という感じになっていた。
まあ、ゼルダが本当に面白くて、というか面白過ぎて他のことを何もしたくなくなる位の名作というのが原因ではある。
外に出る必要もないくらいに、やることが沢山あるゲームでヤバい。


頭が全然働かないというか、言葉が全然作れなかった。Twitterでひとこと何かをつぶやくだけでも無理だった、ほとんど。

なんだか疲れていたのかもしれないが、たいして最近は労働も沢山しているわけではないので、よく原因は分からない。


何もしないってのも良いことだし、そんな期間もいるにはいるけど、動き出さないといつまでもその状態が続いてしまう可能性はある。

休みの日に知らない人間たちと交流したり、イベント参加などすることは、自分に変化を与えるための仕事だと考えていくようにしたい。なるべくは。

そして、そこで見たことや感じたことを言語化していき、記録に残していく。
昨日読んだ、しみけんの『AV男優しみけん ?光り輝くクズでありたい』のなかで、しみけんはめちゃくちゃメモ魔だということを知った。
どんなことでも全部書き残していくようにしているらしい。せっかく面白いことがあっても、忘れてしまってはもったいないと、メモを取り続けているとのこと。
それこそ、その時間に2、3時間は費やしているレベルだとか。すごい。

人間は忘れるように出来ているし、どんどん記憶から抜け落ちていくので、それくらいの勢いで書き残していくのがいいのかもしれない。自分ももっと書くべきなんだろう。
だけど、どうせ書くならネットに載せて公開していくほうが良いなとか思う。ノートとかに1人で書いても、なんだかつまらない。
誰かに見てもらっているという感覚があるほうがモチベーションにも繋がるし、きちんとした文章にしようという気持ちが湧いてくる。ただ、具体的な名称だとか、リアルの知り合いに見られるとマズイ内容は書けなくなってしまうので、書く内容に制約が出てしまうけど。

色々やって、それを記録に残して、自分の行動ログを更新していくかな。
どんどん知らない世界とかに足を踏み入れていきたい。

記憶力が弱いので、なるべく記録を残しながら生きていくのがいいんだろうなと思っている。


自分は本当にとことん記憶力が弱いなと感じる。

どこで何をしたとかすぐに忘れるし、何を考えたのか思ったのか、何をしようとしていたか、あらゆることが頭から抜け落ちていく。

自分の頭は信用ならないので克明に記録を残していかなければならない。

全てを覚えておく必要なんてなくて、忘れていても、ふとした瞬間に蘇ってくることもあるし、身体が覚えているというか、無意識のうちに血肉になっていることもある。

だけれども、そういえばこんな体験をしたんだよなとか、こんなに感動していたんだなとか、こんなことに興味が強くあったんだなとか、過去の自分が別人かのように思えてくることは多々あるので、それを文書として読み返すことは楽しい。

自分はあまり書かないのだけれども、何かについて調べて自分なりにその情報を再編成しておくことも、勉強になったりする。
そこにはすっかり忘れ去ってしまった知識とか情報が詰め込まれていたりして、役立つ。

まあ、あまり自分の書いた文章を見返してみることはなくて、結構投げっぱなしな場合が多いのだけど。
書き終えたことは自分のなかで終わってしまったことになる場合がよくあるので、興味を失ってしまうのだろう。
似たようなことばかりぐるぐる考えているから、読む気がしないってのもあるけど。

些細なことでもいいし、過去のことでこれは書いておいたほうがよかったなと思えることが見つかれば、それを文章にしてしまっておくのがいいのかもしれない。
そのまま日記として脚色せずに書いてもいいけど、小説風に仕立てて、アレンジを加えておくほうが、自分の妄想も上手い具合に盛り込めて、良い文章になったりする場合もよくある。
あとは、恥を捨てやすいというか、これはフィクションなんだから自分とは関係ないんだよと思えることがすごい気楽だったりする。

ゆっくりと過去を掘り起こしてみると、それこそ無限に出てくる。
断片的な話題が多くなるけど、それを上手い具合に組み合わせていければ、そこそこ長い一本の小説になっていくんだろうな。

映画『Room ルーム』感想。 ネタバレあり。

ルームという映画を観た。
ルーム(字幕版)


17歳の時に知らない男に拉致されて、そいつの自宅の庭にある納屋に7年もの間監禁され続けていた女性の物語。

男からレイプされ、男の子を1人身ごもった。
そしてその男児、ジャックを納屋の中で女性は育てることにする。

映画としては、既にジャックが5歳になるところから始まるので、赤ちゃんの頃のシーンとかが出てくるわけではない。


食べ物などの物資は、男が定期的に納屋の中へ持ってくるが、望めば何でも渡してくれるわけではない。
また、非常に暴力的であり、いつ2人は殺されてしまうとも限らない。

そんな状況から脱するために、とある計画を企てる。

高熱を出し、嘔吐を繰り返してしまうほどにジャックがひどに病状にあるとの演技を行い、病院に連れて行ってもらおうと考える。ジャックにはメモ用紙を持たせ外の人間に宛てたメッセージを託す。

だが、1度目はその計画は失敗する。
男は、強い抗生物質を明日持ってくるとの言葉を残したのみで、すぐに去ってしまう。

そこで諦めるわけにはいかない。


今度は、ジャックの容態が悪化してしまい、ついには死に至ったという演技をする。

ジャックをカーペットでぐるぐるに巻いてしまい、見えないようにする。
そして、お前が助けてくれなかったせいで、この子は亡くなったんだ、その汚れた目で決してこの子の亡骸を見るなと忠告する。
男は了承し、遺体を破棄するために、外に持ち出し軽トラックの荷台に積み込む。


トラックが、信号などで停車する瞬間を狙い、ジャックは脱走する。

男はすぐに気付き、連れ戻そうと追いかけてくるが、犬の散歩をしていた人に、助けてもらう。

そこからようやく、ジャックと母親は救出されることになる。


これで2人はようやく幸福を掴めることになる。
と思いきや、そうはうまくことは進まない。

娘が消えたことにより、両親はうまくいかなくなり、すでに離婚していた。
父は、ジャックの男親が誘拐犯であることから、ジャックを受け入れることが出来ない。1度もジャックを見ようとせずに、去っていく。

世間からも、ニュース番組からのインタビューを受けても、なぜジャックを自分で育てようとしてのか、産んですぐに、どこか施設に預けようとは思わなかったのか、なぜ納屋で暮らすという辛い選択をジャックにもさせたのかなどとの批判を受ける。被害者でありながらも。
精神的に追い詰められ、自殺未遂までに彼女は至ってしまう。
だが、それでも2人は強く生きていくしかない。
人生を一度壊されてしまった過去を受け入れていきながらも。

無事に脱出できてよかったね、で終わらずにその後も辛い現実が待ち受けているリアリティがきつい映画だった。




またジャックは納屋が世界のすべてであり、それ以外のものは現実には存在しておらず、テレビのなかだけの作りモノであり、夢物語だと思っていた。
(納屋にテレビがあった。)
納屋の外側は宇宙であり、決して出ることができない、存在しない世界なのだとばかり考えていた。
その辺もすごくリアリティ溢れるリアクションだなと感じた。
生まれてこのかた、納屋のなかだけで過ごしてきたら、間違いなくそうなってしまうだろう。
そしてこの感覚は、程度は違えど我々にも多少は当てはまるのではないかと思う。

自分が認知できている世界、理解に至れることだけをこの世のすべてだと考える。
触れたことのない文化や伝統、習慣は受け入れることができない場合が多々ある。
私たちもそれぞれ、サイズの異なる納屋に閉じ込められているようなものだ。

外の世界は宇宙だと考えている。
その壁を乗り越え、ジャックのように脱出する勇気を持たなければならない。
そこには、素晴らしい世界が広がっているはずだ。
どんなに辛いことが待ち受けていようとも、選択肢の限られた納屋のなかで暮らしていくよりも、遥かに明るい未来が待っているはずだ。

良質な情報は書籍からしか得られない。

ネットで断片的な情報や知識を集め続けても、そこから何かを考えていくのは難しい。

良質なものばかりでなくて9割ぐらいはゴミみたいなものなので、その中から良いものを見つけだしていくのは至難の業。

やはり一つのテーマに対して300ページぐらい使って、うだうだとデータをまじえながら考察してくれる書籍媒体のほうが使い勝手がいい。

まあただ、図書館に通い続けて本を借りるのも面倒だったり、なかなか行けない日が続いたりもするし、新刊を買い続けるのも案外出費がバカにならないので、難しい。
あと、買いすぎると物理的な問題も生じてくる。保管場所に困るというもの。

自宅にいて手軽に情報に触れるとなると、ネットをついつい利用してしまう。
だけど、頭が熱くなるくらいに興奮するようなネタに、ネットでは出会わないんだよな。
電子書籍を買えばいいのかもしれないけど、だいぶ慣れてきたとはいえ、読みやすくはない。
あと、あまり読み返したりする気になれない。何をそもそも所有していたかも分からなくなるし。

したいことが見つからなかったり、なんかやる気がしない時は、だらだらっと本を読むに限るのだけど、常に手元に未読の本がある状況を保つのは難しい…


そんなことを考えていると、またネット記事を眺めているだけになってしまったりするんだよな…。

抽象的な話を書き続けていくことは、難しい。


これまで文章を書く際に思っていたこと。情報を集めたり何か元ネタがある上で書くことは非常に大変だ。何もないところから、自分の頭のなかからだけで作り上げていくことは簡単なことである。

そう考えていた。
だが、ゼロの状態から作ることのほうがよっぽど大変な作業なんじゃないかと考えを改め始めている。

自分の中にある想いは漠然としていて、それを全て文章に書き起こしていく作業は曖昧なことで非常に単純なものだと思っていた。
だけれども、その雲を掴むような感覚で書いていくは結構しんどくもあったり、その割にはなかなか共感も得にくかったり、そもそも伝わらない場合が大半である。
なぜ、伝わりにくいかといえば、完全に全てが一致する他人はいないという事実が要因である。
感覚的なものは難しい。

それよりも、何かのニュースを取り上げたり、書籍を紹介したり、食べた物を評価したり、訪れた場所を書いたりとか、そいうう具体的事象を取り扱っていくほうが分かりやすい。

抽象から抽象へと、あやふやなままに突き進むよりも具体から抽象へと、何か明確なものを取り扱ったうえで、自分の心理を現す抽象へと繋げていくほうがいいのだろう。いや、それよりも、自分の余計な感情など一切絡めることなく、事実のみをあげつらえていくのがいいのかもしれない。


そう考えてみると、延々とエッセイ的な文章のみを作成している人とか、詩を書かれている方とかすごいななんて思ってしまう。


何をするにしても、ゼロから作り上げていくことは大変だな。

本を読んでいて、気になった言葉たち。

本を読んでいて面白かったり気になったりした言葉はiPhoneのメモアプリに書き写すようにしている。
あまり深く考えず、条件反射的に。

何の本から写した言葉なんだっけ?とすっかり忘れてしまっているものが大半だし、あまり見返してもいない。

最近、写したものを幾つか貼り付けていきたい。

犬族全般にあてはまることだが、彼らは基本的に人糞が大好物である。

1つ目から衝撃的なやつ。
これは、最近読んだ『極夜行』のなかの一文。
著者は冒険家の角幡唯介氏。
これは世界最北の小さな村シオラパルクから出発し、極夜を4カ月間も歩き続けた冒険の記録書だ。相棒に犬を一匹連れて行くのだが、途中で2人とも餓死の危機に幾度も陥る。そこで、犬は角幡唯介氏のうんこばかり食べることになる。そのシーンで出てきた言葉だった。

幸福への近道は、自己の欲望を制御することにある

これは何からか忘れたが、本当にそう思う。
幸福を満たすために求め続けていくと、上限なんかどこまでも見つからない。
人間の欲望にキリはない。
日頃から満足度を低く設定しておくことで、ちょっとしたことで幸福になれる。
例えば、自分は面倒な時はシャワーで風呂を済ませてしまう。だけど、きちんと湯船にお湯をはって入ったりした時は、すごく幸せな気持ちになる。

自分がどういう方向に変わりたいかを自覚して、変わりたい方向に影響を与えてくれる人や物を自分の周りに置くようにすれば、なんとなく自然に理想の方向に近づいていくことができる。

自分がやってみたいことや知りたいことがあれば、その道の人たちが集まる所に行くのが一番だ。1人で努力することには限界があるし、そもそも気持ちが続かない。進みたい方向が定まっているのならば、それに即した環境に身を置くようにするのが良い。

ちょっと調べて情報や知識にアクセスすることさえできれば、今の状況から抜け出させてくれる手段や、別の人生の選択肢があることを知ることができるのに、知らないままで苦しんでいる人が意外と多い。

世の中、知っているか知らないかで、損をすることはめちゃくちゃある。
分からないから、面倒だからと放置してしまって思考を停止させていると、無駄なお金を払い続けることになったり、余計な労力ばかりかかる羽目になる。
今は簡単に情報にアクセスできる環境が整っているのだから、少しでも調べていくクセを付けておいたほうがいい。

自殺願望があって今でも死を見つめながら生きているって言ってて、見ると確かに手首に無数のナイフの傷跡があるんです。でも、部屋に青竹踏み健康器具が置いてあったのには笑いました。

これはAV監督のバクシーシ山下氏の書籍だったかな。『セックス障害者たち (幻冬舎アウトロー文庫)』だと思う。色々と病んでる女優や男優が出てくるのだが、この話が一番印象に残っている。自傷行為をするほどになっていながらも、健康器具を使っている。その一見矛盾している感じがとてもいい。

人でも生物でも、自分が知っている世界だけが世界のすべてだと思う。自分に見える世界だけが世界のすべてだと思う。知らないものをないといい、見えないものをないという。

自分の理解の範疇を超えているもの、よく分からないという理由で目を向けることもしないもの。そんなものが沢山あると思う。自分も新しいことに挑戦するエネルギーが枯渇しているので、同じような日々ばかり過ごしている。だけれども、そのままだと自分が見えるものだけを世界の全てと考えてしまうようになるんじゃないかなー。

技術の蓄積よりも、好奇心の強度のほうがはるかに大切。

最後にこれで締めくくりたい。もっと膨大にあるのだけど、今回はとりあえずこれで。これは、編集者の都築響一氏の本の中に出てきた言葉だ。
人生で一番大切なのは好奇心だと思う。
好奇心無くしては、新しいことに挑戦出来ないし、そもそもそれを始めるキッカケが得られない。
技術なんてものは、好奇心があれば幾らでも後からついてくる。
面白いと思ったり楽しいと感じて、無心に取り組んでいる間に身についてくる。
まずは技術を身につけてからとか、準備ばかりしていても何も始まらない。
少しでも気になるのであれば、後先考えずに突き進むべきだ。




メモのストックはまだまだあるので、また書きたいな。

ゲームをすることで、現実世界をうまく生きていけるようになる。


ぼくはあまりゲームをしない。

昔は、暇だからゲームをしていたけど、心から楽しんでいたかといえば、そうでもない。
どちらかといえば、ほかにすることがないからゲームに興じていたなという感じがある。

なんで、やる気があまりなかったかといえば、キャラクターが育っても自分とは関係ないなという考え方にある。


だけど今は、ゲームをすることで現実を楽しく思えるんじゃないかとか考えるようになった。




頑張っても自分は育たない

昔は、どんなに頑張っても自分とは関係ないみたいな気持ちがあった。
ゲーム内のキャラクターのレベルが上がったところで、自分のレベルが上がるわけでもないし、いくら良いアイテムを入手したからといって自分が手にするわけではない。
どれだけゴールドを稼ごうとも、現実の自分の資産が増えていくわけでもない。

そもそも仕事みたいに面倒な作業が多くあるために、なんだか純粋に楽しめない。

めんどくさいな、同じようなことの繰り返しばかりで、とか1度考えてしまうと、そのゲームからは手を引いてしまうことが多多々あった。


異世界に旅行する気分でやる

だけれども、現実世界では体験出来ないようなことをバーチャル空間に精神的に入り込むことで、疑似体験できる装置なんだよなと考えるようにすることで、多少は楽しめるようになった。
一時期流行った、なろう系の小説じゃないけど、異世界に移り住んでみた気持ちでプレイするのがいいのかもしれないと思うようになった。


制約のある世界

異世界という非現実的な空間とはいえども、結局はプログラムで組まれた世界の中でしか自由に動くことはできない。
オープンワールドゲームは、自分のやりたいことを好きに出来て、シナリオ通りに動かなくていいとか自由度が高そうではあるけれども限界はある。
プログラムされてないことは、出来ない。
現実だって色々と制約はあるにはあるが、選択肢は無限に存在する。


ゲームをすることで、現実を見る目が変わる

最近思っているのは、現実世界を漠然と生きていくよりも比較対象としてゲームの世界を知っておくといいなということ。

現実なんて何もない、退屈だし辛いだけみたいなことを考えてしまうこともあるけれども、気持ちに余裕を持たせて、視野を広げてみると、いくらでも楽しいことが見つかる。1度も挑戦したことのないことがそこら中に無数に転がっている。
例えば、料理1つ取ってみてもネット上にあるレシピを全部作ることは数がありすぎて不可能だ。
1度も訪れたことのない場所は国内だけでも無数にあるはずだし、参加したことのないイベントやライブとかだって無限にあると思う。

まあ、選択肢が無数にありすぎて、逆に選べなくなるということは大いにありうるけど。

なのでゲームのなかで、選択肢が少ない空間でトレーニングしてから、現実世界をうまくプレイしていけばいい。