思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

働きたくないという考えは罪か?


思考は現実化するという。
そういうタイトルの自己啓発本がかつて流行った。

ならば、働きたくないという考えも現実化していくのだろうか。
働きたくない→働かない→稼ぎが減る。
このように進んでいく。
働きたくないと思うことは、収入を減らす考えになるということなのか。
そんなマイナス思考ではダメだぞ、いっぱい稼ぐのが偉いわけであり、収入が低いと悲しいぞと世間では言われる。

だが、仕事を増やして頑張って自分の時間を捨ててまで、働こうと思えない。
それよりも、支出をなるべく減らして少ないお金で自由に生きる。それを実践していこうと考えている。だがそれでは、貯金もなかなか出来ないし、結婚も出来ないぞと言われる。貯金も結婚もしたいとなれば、必然的に残業をしまくるしかないのか。うーん、嫌だ。実に嫌だ。

僕の支出を減らす方法も随分おおざっぱなものであり、節約になっているのかはよく分からない。そもそも、我慢を一切しないというスタイルだ。普通に外食をするし、遊びに行く。
では、どこを減らしているかというと、無駄を一切省いている。
例えば、大きな出費を抑えている。
洋服をずっと同じのばかり着ている。一通り、どのシーズンでも何かしら着れるように揃えたら、それ以降何も買わないようにした。
ほぼ毎日同じものを着ているが、服を選ぶ時間も省け、選ぶストレスも無い。服が無いから。また、ファションに無頓着なので毎日同じでも気にしない。だけれども、買うときは高い服を買う。高いものは生地が良く、長く使える。


ギャンブル、風俗、酒、タバコをしない。
これらはしなくても、別に生きていける。
こういう一時的な欲求でしかないようなものは全てしていない。

1人では外食をしない。
外食をする時は誰かとすると決めている。
外で食べることは、親睦を深めるツールでしかなく、どこそこの何々を食べたいなんて欲求がサラサラ無い。そもそも、食事にそこまで興味がない。全くもってグルメではない。
ただ、料理は楽しいので、作る時は美味しい物を作れるように努力する。


僕は自由な時間を売ってまで稼ごうとは思わない。人間らしく生きたいし、せっかくの一度限りの人生ならば、好きなことだけをして年を重ねていきたい。
そう考えると、働きたくないと思うことは、別に罪でない気がする。純粋な欲求であり、それに向けて動き、工夫していくことは良いことだ。


労働を最小限に抑える方法をこれからも考えて生きていきたい。