思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

ブログの話と、読書の話。

文章を書きたい時は当然だが、書きたくない時も、とりあえずブログを開くようにしている。

本を読む気力も出ず、何かを考えてみることも、家事をすることも出掛ける気にもなれない時には、とりあえずブログを開くようにしている。

Twitter上に言葉を並べて、それがすぐに流れて消えてしまっていくのもいいけれど、それだと書いたという気持ちが満たされにくい。

あの時、何処で自分が何を思っていたかについて残したいならばブログを利用するのがいい。

過去に書いたものを読み返してみても、なんでこんなことを書いたのだろうか、今なら書く気になれないなとしか思えない様なものも沢山ある。
3年くらい経過してしまえば、それくらい人は変化していくという証なのだろう。

生活のどの部分を切り取って、それをどの表現法を用いて表していくのか。そのセンスが磨かれている人の言葉を見るたびに、心の底から羨ましく思う。
それは幾らお金を積もうとも手にすることの出来ない力だし、何をしたら学べるのかも分からない。

その世界に少しでも近付くためには、世の中にある文字を全てくまなく吸収するように努め、感じたことや思ったことは書き記していく癖を持ち続けるべきなのだろう。

とにかくめっぽう、文章がうまい人間は、それこそ小学生の頃から真剣に本を読んでいる。
それを大人になるまで継続しているのだから、歴然とした差が発生してしまっても仕方がない。

自分がようやくまともに本を読み始めたのは25歳を過ぎてからなわけで、10年以上のブランクとかどう頑張って埋めていけばいいんだろうという思いがある。(漫画はかなりの数を読んでいたけど、基本的には中身の薄いギャグ漫画ばかりだったし…)

だからとりあえず数で勝負するかと思い、月に50冊をキープするように努めていた時期もある。数をカウントしてもそれが全てではないけれども、とにかく行動量を増やしておくかとの気持ちの表れだったりする。
記憶力も理解力も乏しいので読み終えても
、なるほど分からん状態によくなるし、なんとなく良かった、みたいな感じになることが多々ある。
それでも、読んでいる最中は興奮したり、ひどく感銘を受けたりはしている。

自分が利用している読書メーターてサイトでは、ガチの本読みの方々が多数いて、翻訳家とか編集者とかライターの人とか、仕事も文章の世界のだったりしている。
これまでに読んだ本の数が5000冊以上の人とかもいて意味が分からない。

一生この人たちには敵わないんだろうなとか敗北感を覚えつつも、その存在に鼓舞されている。

これからも何でもいいから文章にしたり、とことん読書をしていくようにはしたいなー。

何の仕事に就いているかで、自分を決めない。

どこの企業に就職したかで、何の仕事に就いたかで人生が全て決まってしまったように考えることは、すこし違うのではと思う。

外の人間からどう見られているかばかりに気を取られているだけで、そこに自分の価値が全てあるだなんて思うことは不幸なのではないだろうか。

思うような仕事に就いたのならば、何もかもに不満を持たなくなるかもしれない。
だが、自分の望む最高の形でなければ、「こんなはずでは」と考え続けるだけの人生になってしまう。
思うような仕事に就いたとしても、自分よりもより幸せそうな人間に対して劣等感や嫉妬心を持ち続けることになり、それが攻撃的な性格を産んだり、他人に嫌がられる人間になっていく原因となる場合もある。


職業や肩書きといったものはしょせん、記号でしかなく、自分を分かりやすく他人に伝えるための手段でしかない。

自分のあらゆる要素を省略してしまい、その記号を使うことにより、相手に勝手に想像してもらうことが出来る。

初対面の相手に対し、自分の仕事を伝えた時に抱かれる印象と、本当の自分は掛け離れている。本当の自分という定義もあやふやな存在はあるけれども、相手が記号に大して示しているイメージとは異なることは確かだ。

で、まあ自分がどんな人間であるかを伝えるのならば、Twitterとかブログを読んでもらうのが1番手っ取り早くあり、本当の自分に近いんじゃないだろうか。

そこにあるのは記号でなく、自分の中にある様々な感情や葛藤を言語化したものであり文章にしない限りは外部に露見しない。

だが、なかなかその言語化も難しくあり、何度も繰り返し書かねば、その真意を伝えることは出来ないし、そもそも何を自分が考えているのかも不透明だったりする。

外部評価ばかりを気にしてしまうのでなく、自分の価値は自分で決めて、どのような生き方を選択するかも考えていこう。

選択することは、他を諦めることなのか。

何か1つのことを選び取ることは、他のモノを諦めるという話になるのだろうか。

1つのことを続けるということは、時間なり労力なりを要する。

いくつものことを並行してクリアしていくことは難解だ。

だが、諦めているとは思いたくない。
悩み抜いた結果であったり、自分にはこれしか出来ないと感じたからであるからだ。

いくら努力をしようとしても、全くもって関心のないことに関しては頑張りようがない。
興味を持てそうなことに対しては、気持ちを継続させていくことが出来る。
面倒であったり細かったりといった困難な作業であろうとも、興味があればどうにか乗り越えていける。
苦痛を苦痛のままに受け止めるのでなく、違った見方をすることが出来るようになる。

人生では日々、選択を迫られ続けている。

選んだという自覚すら持つことなく生きている人が多いかもしれないが、大小様々な決断の元に今を過ごしている。

選択を後悔する時間もない。
後悔したところで、その決断前に戻れる訳ではない。

今、自分が持っている手駒で次に何を出来るかということを考えることしか出来ない。

自分の理想とする形に近付くためには、何をしていくべきなのか。
何を次に選択するべきなのか。

それを考えながら生きていく。

イベント参加。2018/01/28 鶴見済×pha×かとうちあき 「オルタナティブの作り方」@ 下北沢 本屋B&B 2/10追記

下北沢の本屋 B&Bで行われたトークイベントに参加してきた。

出演者は『完全自殺マニュアル』で有名なフリーライター鶴見済さん、最近『人生にゆとりを生み出す 知の整理術』を刊行されたブロガーのphaさん、野宿を専門(『野宿入門―ちょっと自由になる生き方 (草思社文庫)』などを執筆)
にされている、かとうちあきさんのお3方。

今回のイベントは、鶴見さんが『0円で生きる: 小さくても豊かな経済の作り方』を昨年末に輩出された記念のトークライブでした。

イベント詳細url
鶴見済×pha×かとうちあき「オルタナティブの作り方」『0円で生きる: 小さくても豊かな経済の作り方』(新潮社)刊行記念 | 本屋 B&B

12月に発売された鶴見済さんの新刊『0円で生きる』は、ものを貰ったり、共有したり、自然を楽しんだり、日常的なさまざまなことを無料で行う方法と、お金を使わずに済ませることがなぜ今必要なのか、その解説が書かれた本です。

トークはトータル2時間。
1時間話して10分の休憩、後半の1時間の最後15分で質問タイムという流れでした。



テーマはお金に依存しない生活


話のテーマは、あまりお金を遣わなくても作れる繋がりや生き方についてでした。

主流の大きな経済ではないオルタナティブな経済やつながりを作ることや、なるべくお金に依存しない生活の仕方などについてお話していただく予定です。

イベント詳細に書かれてあるテーマに沿ってのものとなりました。


かとうちあきさんが、すごかった

phaさんは1年ほど前に参加したニート祭りの際にお見掛けしていたので、どんな感じの人であるかは知っていました。
(その時に書いた感想記事です。)
2017年 第11回「ニート祭り」に行ってきました。 - 思考拡張日記。

ですが、鶴見済さんと、かとうちあきさんは初めて拝見できました。

鶴見さんは今回の0円生活の本よりも、完全自殺マニュアルのインパクトがとても強かったので怖いイメージがあったのですが、大人しそうな優しい感じのオジさんでした。

かとうさんは野宿を本当に色んなところで高校生の頃からやられている方でして(しかもソロ)、たくましいし自由な感じの人なんだろうなと思っていたのですが、本当にめちゃくちゃフリーダムな方でした。
ビールをガンガン飲まれていてトーク中にトイレに消えたり、なんかフワフワ?な感じになっていたりで面白かったです。昨晩も深夜まで飲んでいたとかで、全体的に野生的なパワーがありました。
見掛けは小柄で可愛らしい感じがありますが、すごい。


お金を遣わない繋がり

お三方とも様々な活動をされていて、その中で実践されている金を掛けることなく他者と交流する方法を挙げたいと思います。


まず、鶴見さんが行われている活動、くにたち0円ショップ。

くにたち0円ショップ (@kunitachi0yen) on Twitter

これは0円ショップという名の通り、無料で物を配布している活動です。
路上でお金を取って物を売るとなれば、すぐに警察がやって来ますが、無料でやっているとなれば何も言われないそうです。
これは国立駅前でやっているそうで、もう5年ほど続けられているとか。
物を貰っていった人がお礼に多量のお菓子を持って来たり、常連の人がいたりと交流の幅が広がったそうです。
遣わなくなって、店でも売れそうにない物を道端にブルーシート上で並べておくことで、人との繋がりが生まれるという実験を行われています。

次に、phaさん。
phaさんはギークハウスというITオタクたちが集まるシェアハウスの運営を10年ほどやられています。
phaさんはギークハウスの運営方法をネット上で公開されているので、それを参考にして地方でもギーグハウスを作ってみたいと思い、実際に運営をしている人々が全国各地に多数います。国外でもいるそうです。ギークハウスプロジェクト

シェアハウスですと、1人当たりの生活コストは非常に安く済み、また人が集まる場として機能しますので、お金を掛けることなく皆んなで遊ぶことが出来ます。
完全に0円という訳ではないですが、余計なお金を掛けることなく交流の場が自然と生まれます。


そして、かとうちあきさん。

かとうさんは、みんなで集まって野宿をするイベントを開催されていたりします。
公園などでお酒を飲んで、眠くなったらそこでそのまま寝袋で寝るという超自然派な活動をされています。
また、月2万円で横浜のほうに倉庫を借りていてそこで、お店?のようなものを経営されているそうです。(店名も本当に、おみせのようなもの 笑お店のようなもの
街中で拾って来た石を売ってみたりすると、酔っ払いの客が買っていてくれたりで面白い交流が生まれると話されていました。


固定的な関係はイジメなどの人間関係の悩みを作る


前半は、お金の話がメインだったのですが、後半には人間関係の話も出てきていました。

学校や職場といった長期的な関係で閉鎖的な場所が、苦手だと3人も仰られていました。

学校でのイジメも、決まったメンバーで同じ場に留まり続けることで発生するものだと鶴見さんは話されていました。
ですのでもっと流動的に、簡単に別の学校に移るか辞めることのできる環境が整っていればイジメがいが無くなるのではとのことです。

たしかに、自分が通っていた中学でイジメを受けていた子がいたのですが、すぐに海外の学校に転校しました。転校してからは別人のように自信を持って生きていけるようになっていまして、全くの別の人間になっていました。

どうやれば良い環境を作れるかとか悩む前に、そもそも場所を移動してしまうことが一番だなと感じました。


歳を重ねるにつれて、辛いとかを言わなくなっていく

中盤あたりで鶴見さんが仰っていた言葉が心に残った。
歳を取っていけばいくほどに、辛いとかを言わなくなっていくという話。
「いい歳してるのに、そんなことで悩んでるの?」なんて思われるのが恥ずかしいから言えなくなっていく、という話に確かにそうなんだろうなと思った。
大人の人たちって、あまり弱音とか愚痴を言わないし、何も感じてないんだろうなとか、歳を取れば取るほどにメンタルが強靭になっていくんだろうなと捉えていた。
だけど、嫌なことは幾つになっても嫌だし、悲しいことはいつになっても悲しいはずだ。

ただ単に言わなくなっていくだけなんだなと理解した。



結婚も流動的になればいいのに

最後の質問コーナーのあたりで、結婚や恋愛の話も出てきました。

かとうさんは1人の人だけと結婚生活を続けるよりも、定期的に色んな人と結婚出来ていければいいのにといったことを話されていました。
1人に決めることは他を諦めることであり、自分に思い込ませることだとの話も出てきました。
恋愛は思い込みという話には多少理解出来る部分はあります。

以前phaさんが何かのコラムで、他人は代替え可能といったことを書かれていました。

もうこの人しか絶対に自分にはいないといっていた女の人が、その恋人と別れた後に、次に付き合った男の人に対してもその感情を抱くようになる。
結局は他人は誰でもよくて、代わりは見つかっていくという話でした。それがなんだか虚しいと書かれてありました。

代替え可能であれば、流動的になっても問題は発生しないのかもしれません。






トークイベントは楽しい


全体的にゆるい感じのトークライブであり、疲れることなく楽しめました。
本で読むだけでなく、リアルで話を聞くのも違った刺激があって面白いなと思いました。
また機会があれば何かのイベントに参加したいです。


最後にphaさんにサインを貰いました。

ずっと欲しかったので嬉しいです。



おわり。


0円で生きる: 小さくても豊かな経済の作り方

0円で生きる: 小さくても豊かな経済の作り方

人生にゆとりを生み出す 知の整理術

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しないことリスト

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野宿入門―ちょっと自由になる生き方 (草思社文庫)

野宿入門―ちょっと自由になる生き方 (草思社文庫)

のじゅ編通信 第一号 (野宿野郎デジタル)

のじゅ編通信 第一号 (野宿野郎デジタル)

兄姉がいる人は、1人で遊ぶのが下手という話。

長男やひとりっ子だった人は、1人で過ごすことが得意だし退屈もしないという理論は結構な確率で当たっているなと思うようになった。


1人だと何をしたらいいか分からない。
特にしたいことも何もない。

そう話すのは十中八九、上に兄や姉がいる人ばかりだ。


遊びを作ってきた経験がない

上に兄や姉がいた人は、子ども時代に自分で遊びを作ってきた経験が乏しい。
与えられたもので過ごしてきたために、自分で何かを創り出す力が弱い。
家庭内での子どもの立ち位置や振る舞いをどの様にしたら良いかも、上のきょうだいがあっての上で判断してきた。


子ども時代の習慣は残り続ける

そんな幼い頃のことが、今でも影響しているなんて思いもしないだろう。
だが、子供の頃に自分が好きだったことが今でも楽しいと感じるように、生活環境で身に付いた習慣も同様に残り続ける。


兄姉がいても年が離れていたために、ほとんど関わりが無く育った人ならば1人で遊ぶことにある程度は慣れているかもしれない。


だが、年の近い兄や姉がいる場合は、大人になっても誰かが面白いものを見つけてきてくれるとか用意してくれるみたいな他力本願的な感じになっている可能性は高い。


こういったことを考えてみると、相手に兄弟がいるかどうかを予測することが可能になりそうだ。

最近、何もする気になれないんだよな。


最近、本格的に何もしたくない状態になっている。

今日も何もしなかったな。

映画でも観るかと思ったけど、何も観る気になれなくてやめた。
NetflixとAmazonプライム・ビデオで色々と見放題なのだが気分が乗らない。
仕方がないのでアニメを観ることにする。プライムでパワーパフガールズを観る。
バブルス可愛いな。
海外の子ども向けアニメは気持ちが悪い絵柄のものが多いけれど、パワーパフガールズは可愛いなと思う。

図書館で借りてきた本を読むかと思ったけど、いまいち集中できずに断念。
人類史と犯罪者心理と混浴の歴史の本を少し読む。
混浴に興味があって行ってみたいのだが、いまいち情報が入手できない。
そもそも近場にはあまりなさそうなので気軽には行けなさそうだ。


自炊でキムチチャーハンを作る。二週間ぶり位に作ったかなキムチチャーハン。

ホットケーキでも焼くかと思いスーパーでベーキングパウダーを探す。見つからなかったのでホットケーキミックスを買う。
ネットのレシピを見ていたらホットケーキは、ベーキングパウダーと薄力粉があれば作れるっぽいので試したかったのだが。

スーパーに行く前に郵便局から荷物を送る。久々にヤフオク!で衣類が売れたので発送した。
一時期はかなりの数を出品していたのだが、最近は面倒に感じてきてやっていない。プレミアムアカウント代金がもったいないから解約しようかな。

何かゲームをしたくなりiPhoneで面白そうなゲームを探す。頭をそれなりに遣う感じので、やりこみ要素もあるやつがいいなと思うが見つからない。
ダラダラとブログを書くのもゲームみたいなものだし、自分には合っているのかも。

最近、詩を書きたいなとよく思うのだが、どこで書けばいいかが分からない。
それなりに盛り上がっていて、簡単に投稿できるシステムの詩のサイトは無いものか。

Tumblrを延々と眺め続けたりする。
美麗なドット絵や写真、名言などを見ているとあっという間に時間が経過していく。


とくに生産性のあることをせずにダラダラと過ごした。

『夫のちんぽが入らない』 を読みました。感想・書評。

『夫のちんぽが入らない』を読んだ。

学校教師として働く若い夫婦の物語。
大学生時代から2人は付き合い始め、そのまま結婚に至る。だがその間に1度もまともに性行をすることが出来ない。
何度も挑戦を試みるも血みどろになってしまい激痛を伴う。行為に至るどころではなくなってしまう。
タイトル通りの話である。

妻はネットで知り合った不特定多数の男性たちと身体を重ねる流れに中盤でなる。
その男たちとは普通に最後まで問題なく行為をすることが出来る。
夫は風俗を頻繁に利用する。夫側もまた、妻以外の相手ならば問題なく行為を行えることを知る。

特に病院にその入らないことについて相談するわけでもなく、直接的な解決策を求めることもなくどんどんと時間が過ぎていく。
たまに思い付きの打開策を試してみるが、どれもその場のみのものであり、何かに繋がる訳ではない。

物語は性行のみが問題というわけではなく、学級崩壊により妻の精神がズタボロになったり、夫もパニック障害になったりと
メンタル的にもおかしくなっていく。

また、歳を重ねるにつれて、子どもがいないことへの周囲からの圧力みたいなものを感じるようになっていく。
結婚をしているのに子どもがいないという状況は、世間からはおかしなものとして捉えらるということがよく分かる。


『夫のちんぽが入らない』は強烈なタイトルである。サブカル層に媚を売っているかの様な印象を受けたため、読むことを避けていた。

だが、実写化や漫画化が決定したということを知り、再度注目されるようになると、ますます読む気を無くしてしまいそうで、その前に読むことにした。

文章は上手いなと感じた。
どのシーンも自然と頭に映像が浮かんでくる様な描かれ方がされてある。
また、回りくどい物語の進め方をせず、割合テンポ良く展開されていくので、手軽に読み終えてしまう。

エッセイということで、著者のこだまさんの実体験なのだろう。

現代的な葛藤を幾つも散りばめられてあるので、何処かが自分の生活の悩みと重なる部分が出てくるのではないだろうか。

親との関係性、結婚や出産に関する世間からの目、職場での人間関係、パートナーとの関係性。

人それぞれ、他人には言えない様な悩みを抱えていて、それをずっと背負いこんだまま生きている。
誰かに解決してもらう訳にもいかず、自分でいつか何かの形で消化していくしかない。

読んでみると心が救われたり、逆に悩みが深くなってしまったりと、様々な反応が生まれる本なのではないかなと思う。

夫のちんぽが入らない

夫のちんぽが入らない