仕事と読書。
僕は根本的には働くことが好きでない。
心の底から嫌で仕方が無く、逃げ出したいというわけではないが、楽しいか楽しくないかで分けてしまえば、楽しくは無い。
全てが楽しくないかと問われれば、そのなかでも一瞬楽しいと思う時もある。
うまくいったり、誰かに褒められたりすれば、それは喜ばしいことであり、また、それを糧に頑張ろうと思えたりもする。
そういった瞬間があるからとりあえず働けているのだろう。
また、必要最低限の生活費を稼ぐ為という役割もあるが、それ以上に、僕にとっては読書を楽しいものにするために働いてるいう感覚が強い。
働くことで時間に制約が産まれる。そのお陰で、限られた時間で読書を大いに楽しもうと、本気で取り組むことが出来る。少々疲れていようとも、読みたい一心で、本を半分寝ながらでも、手に取りページをめくる。そういう習慣がどうにかこうにか、続いて、月に100冊ほどは読めるようになってきた。これは読書ばかりに休日を費やした時の状態ではあるが。
大学時代は4年間で100冊も読まなかった癖して、社会人になってからそんな風になるなんて思ってもみなかった。大学時代は、ただ友人とぼけーっと過ごして、ゲーセン行って、カラオケ行って、要りもしない洋服買って、たまにバイトして、授業サボってというクソみたいな生活を送っていた。典型的な駄目大学生であった。
その時の時間をストックしておき、今使いたい気分である。
だが、そのときに学んだこととしては、何処にいても何も行動を起こさなければ何も起きないということだ。
僕は、元々地方出身であり、”東京に行けば何かがある”という妄想の元に上京を決めた。だが、実際に東京生活で得たものは特に何も無かった。ただ退屈な普通の生活のみであった。主体的に動かなければ当然であるが、当時の僕としては東京もこんなもんか、としか思ってなかった。
現在はそれなりに自分の生き方というものを確立しつつあり、頭を使って生きていけるようになってきた。そうなってからは見える世界が変わった。何を見ても、当時の自分とはまるで感動が違うと思う。その時は何をしていても別にどうでもいいや、みたいな気怠げな雰囲気を醸しだしていたが、今は何を見ても、そこから何か面白い事を見つけられないかと考えている気がする。
これは、読書のおかげである気がする。本を一冊読み終えると、何かしら感想を残すよう習慣付けてからは、その本から何か得られたことはないか、面白かった箇所はどこであるか、など考えるようになった。その影響で、何を見ても、そこから何か見つからないかと考える癖がついた気がする。
また、本を読むようになってから、割りと、仕事も大したことないなと思うようになってきた。所詮ルール通りに動けばいいだけで、規則さえ守っていれば、誰かに文句を言われる訳でもなく、とりあえず働いてさえいれば一応はお金も貰える。
本は幾ら読んで、積み重ねようともお金をくれないくせに、仕事はただ、働くだけでお金をくれる。そう考えるとチョロいななんて思うようになった。
仕事とは、楽しくはないけど、たまに楽しく、ルールさえ守ればいいチョロいものである。
読書とは、楽しくて、人生を豊かにする面白いアイデアを湧き上がらせるツールではあるが、幾ら読んで積み重ねようとも、お金をくれない存在である。
そんな事を考えながら、僕は働いたり本を読んだりしている。