嫌いだと言っていることに対して、エネルギーをふんだんに使う人たちは一体何なのだろうとこれまで思ってきました。
嫌いならば放っておけばいいし、一切の関心を持たなければいいだけのこと。
それなのに、自分から歩み寄ったりしたり、言わなくてもいいのに「悪口」を延々と言い続けたりします。
そういった行為を観察していると、気になって仕方がないんだろうなということが分かってきました。
本当は興味がとてもあるから、こだわり続ける
異常に1つのことに執着心を持ち、批判し続けたり気にし続けるのは、劣等感の現れです。
「自分は受け入れてもらえない存在である」という意識がまずあるので、自己防衛の意味で「アイツらはダメだ」とレッテルを貼りたがります。
女性を叩く人たち
知り合いでも、そのタイプの人たちはこれまでに割といました。
例えば、女性をやたらと叩く人でしょうか。
最初は単なる女嫌いかと思っていたのです。
こんなオシャレなカフェで雑誌読んだり、勉強したりしている様な奴らはクソだ。
家でやればいい。
そう、鬼の様な顔をしてつぶやきます。
批判的なことを一々考えたりせずに、普通に自分もその時を楽しめばいいのにと考えてしまうのですが、それがどうにも出来ないようです。
余計な嫉妬や劣等感で不必要に心を乱すことは、疲れるだろうなと思います。
そんなことを言っているわりには、普通にあっち系の夜の店に遊びに行って楽しんでいたりして、「全然女嫌いじゃないじゃん」と感じました。
どうやら、気になって仕方がないから悪口を言う方向に走るようです。
これまでの女性叩き系の人たちを全て思い返してみても、2次元・3次元含め、性的なものに異様に関心を示す傾向にあります。
自己防衛の悪口は、結構見抜かれている
「羨ましいけれど、自分には出来ない」
そう感じることに対しての、恨み辛みは案外周囲にバレている気がします。
いつもそのことを話題にあげてくるなと、思われれば、よほど気になって仕方がないんだろうなと思われるのは当然のことです。
そう思われるだけならいいのですが、ちょっと頭がおかしいんじゃないかと言われるレベルまでになっていくと、友だちを失っていく可能性があるので気を付けたほうがいいです。
悪口や陰口ばかり言う人を好きになる訳がありません。
その人の発した言葉が、その人物の人格と見なされるので、あまり不快に思われる発言ばかりするのは得策ではありません。