思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

数字ばかり気にしても仕方ないかなと思うようになった

わりと数字ばかりを気にしてきた。

ネットの話だけどね。
というかフォロワー数とかの話だけど。

アクティブ数とか投稿数とか。ブログ書くなら文字数とか。

リアルなら読んだ本の冊数とか観た映画の本数、聴いた曲数とかも。

だけど、そんなことばかり考えても楽しめないなと分かってからは、まあなんでもいいかなという気持ちになった。

以前は、なんでもかんでも数値化することでRPGゲームのように経験値を稼げてる気がしていたという感じかな。

「結構、成長できたな」というふうに。

単純に増えていく数字を眺めるのが面白かったし、どんどん増やしていきたいなという情熱があった。それに支配されていた感じもあったけど。

興味の方向性というものは月日の流れのなかで本当にどんどん変化していくもので、今は文章を書くことも面白いと思わなくなった。

ブロガーとして生きていきたいとか、ライターになりたいと本気で思っていた頃もあったけど、もう無理だ。


ただし、ある程度は書く習慣を残しておかないと何も書けなくなってしまう。
なんでもいいから書いた方がいいのだろうな。

怒ることについて。

怒ることってめちゃくちゃエネルギーを消費するし、そもそも相手に説明しなきゃならないことが、とてつとなくめんどくさい。

よって、昔からあまり怒りの感情を表現してこなかった。

しかし、世の中には一から十まで説明してやらねば理解のできないバカというのが一定数は必ずいるもので、むちゃくちゃ当たり前のことでさえも気付けないものだったりする。

だから、説明が必要だ。

こんな当たり前のことも言ってきかせなければならないのかという絶望感と、呆れから正直なところウンザリする。

また、言ってみたところでその意味を相手が理解できるかも分からない。分かるまで話さなければならないのか。そこまでする必要がそもそもあるのかとも思う。

基本的にはすべてのことがどうでもよく、興味関心が一切ないのだが、距離の詰め方が全然分からないやつにはいうしかないわけだ。

こうやって文章で伝えてもいいのだが、そこはやはり面と向かって声を出すことで、意味合いも変わってくる。
ならば相手を前に言うしかないわけである。

今後、自分にとって身につけていかねばならないのは正しい怒りかたと、その伝え方だなと痛感している。

こういうものは慣れであることは間違いなく、何度も繰り返していけば出来るようになる。

人前で話したり、何かしら話題を引っ張り出し、その場の繋ぎの役目を果たすことなども慣れである。

世の中に必要なのは、怒りの感情を沈めたりすることでなく、正しい怒り方だ。

集団行動は永遠に慣れない。

いつまで経ってもムリだなと感じることがある。集団行動を長時間強いられること。

これが本当に精神的につらい。

どれだけ相手と仲が良かろうがあまり関係ない。苦手な相手といるよりは全然いいけど、複数人で同じ空間にい続けることほどの苦行は他にはないなと強く思う。

自分は他人とうまく話せないとか、体力がないとか、ネクラだみたいに10代のころは何もかもを自己責任にしていたけど、単純に集団行動にめちゃくちゃストレスを感じるだけだったのだなと今なら分かる。

そうか、あの時もこの時も長時間にわたって他人と交流させられ続けていたことで心底疲れ果てていたのだなと。

最初の2時間くらいは気持ちを保つことが出来る。だけどそれ以降は本当にしんどい。いつまでも会話を続けることができたり、永遠にふざけあっていられる人たちって本当にすごいと思う。


もっと最後まで人付き合いをしなきゃいけないのではとか、途中でめちゃくちゃ口数が減って無表情になるのは失礼なのではとか考えていた頃もあった。だけど無理なものは無理だし、自分には向いていないだけのこと。

面倒な相手とは付き合う気にはなれないし、あまり会話をしたいなとも思えない。
異常に他人との距離感が近い、パーソナルスペース無視のひとたちはあまり関わりたくないなとよく思う。まあだいたい適当に対応して終わらせるけど。

個人の時間は必要で、SNSとかグループラインとかは本当に害悪でしかないなと考えてしまう。

【感想】映画『回路』 黒沢清監督 【考察】

映画『回路』観ました。

回路

回路

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

一人暮しで平凡なOL生活を送るミチ(麻生久美子)。ある日、ミチの同僚が自殺。勤め先の社長は失踪。次々に友達が、家族が消えていく……。一方、大学生活を送る亮介(加藤晴彦)にはインターネットを介して奇妙な現象が起き始める。 胸騒ぎを感じた亮介は、同じ大学で奇妙なインターネット・サイトを研究している春江(小雪)に相談を持ちかけるが……。


2000年の作品。
今から20年前。ひと昔前ですね…。

パソコンやインターネットがまだまだ一般的に普及しきっておらず、ネットの世界が不気味だった頃ですね。

2ちゃんねるとか犯罪の温床というイメージでした。まだ完全匿名性の頃かな…。

インターネットの世界の
顔をつきあわせた付き合いじゃなく、顔も知らない何処かの誰かと繋がるということの危険性や気持ち悪さがよく表現されているなという感じでしたね。

幽霊の正体

これはインターネットの向こう側にいる人々のことでしょう。
あなたのことをパソコンの向こう側から見ているということ。
直接関わり合っているわけではないけど、同じサイトや掲示板に一緒に存在はしている。
見えない誰かと繋がることで、孤独は深まっていくという。

そこに人の気配はあるけど、誰とも関われない時って、1番孤独を覚えませんか?

シミの表現

そこに確かに存在はしているけど目には見えない相手。幽霊とほぼ同じでしょうが、掲示板の書き込みとかがシミに当たるんじゃないでしょうか。

赤いテープの部屋

現実とバーチャルの世界の境界線ですかね。
インターネットの世界に取り込まれてしまった人たちの空間というか。
「長い長い孤独だった…」と言ってくる幽霊の男がさいごには登場してましたね。


春江(小雪)が部屋で見た透明の存在

春江(小雪)が自分の部屋で、見えない誰かを見つけて側に寄っていくシーン。

「1人じゃなかったんだ」みたいなことを嬉しそうに言っている姿が、パソコンの画面に映し出されている。

画面の向こう側にも、誰かが存在していることを知ることが出来たってことですね。

『回路』は、まだまだネットの世界が不透明だった時代の話

今現在だとこの作品はなかなか感覚として捉えにくいんじゃないかなと思いますね。

カメラ通話が当たり前ですし、様々なSNSやLINEがあるのでぐっと互いの距離が近くなった。
逆に匿名性の維持が難しい時代です。
簡単に身元が割れますからね…。

ラストの意味

インターネットという新しい文化が世界を崩壊させてしまうのではないか。
どこに自分たちは向かっていけばいいのかが分からない。


といった、印象を受けました。


少し話が変わりますが、『〜北の国から〜2002遺言』で五郎さんが大介のケータイ電話を川に投げ捨てるシーンを思い出してしまいました。

「顔も声も知らない相手と付き合うって、どういうことだ…? 付き合うってそういうことじゃないだろ…?」

と五郎さんが、メル友と恋愛関係になっている大介を説教する場面。

まとめ

生身のコミュニケーションを取ることを避け、パソコンの画面を見続ける不気味な姿は、死んでいるの生きているのか分からない。 幽霊と同じということですね。

そう考えると、今のインターネットはずいぶんと明るい方向へといってくれたなーという印象。


『回路』は、色々と考えさせてくれる良作でした。

人を信用しすぎることの危険性。

最終決断をしたのは誰であるかを考えて。

誰かに強制されたから、強く頼まれたから、との理由は本当に世の中では基本的に通用しないなと感じる。

最後は自分でゴーサインを出したわけだよね?
と、言われてしまえばそれまででですから。

人の言うことを鵜呑みにしない"は、実社会で学んだ1番大きな考え方かなと思う。

その人が知ってる範囲での話でしかないし、そもそもその人にとって都合のいいことしか伝えていない場合もあるし。

誰も自分の行動に責任は取ってはくれない。自己責任が原則。
それらしいことを言われ、その通りに動いてしまった自分を反省するしかない。


簡単に人を信用してしまうクセがある。
権威や肩書きに弱い。

タイプの人は騙されやすく、危険。


全員が全員、騙そうと近寄ってくるわけではない。だが、自分で一次情報にあたり、調べることを習慣づけるべき。本当に。

【感想】 『文豪と借金』方丈社



文豪たちが己の借金体験を書き記した文章をまとめた本である。


特殊な才能に恵まれるということは、他の一般的な生活力が破綻してしまうということなのだろうか。ひとつのことにのめり込む力が優れていると、他のことは一切考えることができなくなってしまうのか。


1度も借金をしたことがない自分は随分もまともな人間だと感じると共に、何か特別な才をを持ち合わせていないという証明をされている気持ちになる。

家賃の支払いを滞らせ、ガス、電気、水道を止められ。明日食べる米もないような生活をしてみるべきだったのかもしれない。

だが、そんな状況になってしまう前に、恐怖心から、すぐに支払いを済ませてしまう。人に怒られるのが怖いからだ。ダメな人間だと思われたくないからだろう。

無駄遣いをせず、必要な物だけを買い、酒を飲まずタバコも吸わず、ギャンブルもしない。
とにかくお金がかから無い生活をしている。となれば、生活の破綻が起きるはずもない。だが、それが自分は平凡であるという証にしか思えない。

だいたい、すぐに忘れてしまう。

記憶力の悪さと、言語化能力の低さに、自ごとながら驚いてしまう。


とにかくほとんどのことを、すぐに忘れてしまう。忘却の彼方に。

新しい知識や情報を取り込めば取り込むほど、過去のことが頭の中からすっぽりと抜け落ちていく感覚が強い。
そんなものなのだろうか。

細かい知識とかまでしっかりと記憶できている人の脳はどうなっているのだろうかと不思議でならない。

そして、記憶力が悪いがゆえに、言語化能力も低い。

曖昧にしか覚えていないし、雰囲気でしか話せない。

調べ直せばいいし、検索しさえすれば必要な情報は入手可能ではあるから、記憶は不要といえば不要ではある。
その手間が億劫でしかないが…。


一時はメモがわりにブログを使っていた頃もあった。有料会員になっていさえすれば、ブログを継続するだろうと思っていたがそうでもなかった。今では全然書いていない。文章を書くことに興味がなくなったとも言えるが。。