小説には作家の想いが詰まっている。
ぼくは最近、小説を下に見ている節があった。若干見下していた。
しょせん、他人の妄想であり、そんなものを幾ら読み積み重ねようとも、実社会でなんの役にも経たない上に、知識も得られない。無駄である。このようにひどく横柄な態度で斜に構えていた。
小説ばかり読もうとも、それは現実逃避でしかない。目の前のことから目をそむけているだけである。
学生時代の自分は、学校の定期テスト期間中に、試験勉強をサボりながら、小説をよく読んでいた。読むジャンルは、ファンタジー系やSF系がメインであった。なるべく非現実的な世界に身を置き、嫌なこと(テスト勉強)を頭のなかから追い出したかった。
そういった経験の影響もあり、小説は逃げるツールでしかないとの見方をしていた。
そこには対して訴えるものもなく、ただ思いついたことを羅列しているに過ぎないと。
だが、先日読んだ、『地図のない場所で眠りたい』で少しばかり考え方が変わった。
この本は、早稲田大学探検部出身のノンフィクション作家お二方が、対談形式にすすめていくものである。おふたりとも、世界を飛び回り、結構突拍子もない危ないことをしていてよく生きているなと思わせる。ぜひとも、二人の本は読んでもらいたい。
で、この本のなかで、小説は書かないのか?との話題が出てくる。
いやー、本当は小説も書いてみたいんですよね。ノンフィクションで書いていても、想いが伝わなかったり、意図していることがあまり分かってもらえないことが結構あるんですよといったことを述べていた。
そこで、小説の登場。伝えたかったことを、小説という虚構の世界に書き起こし、綴ることで分かりやすくする。簡単なところでいえば、舞台が海外だとどうしても、あまり実感が持てなかったり、イメージが沸かなかったりする。だから、舞台を日本に移すことで読者に親近感をもってもらえるように仕向ける。
ほほー、なるほど。簡単に言ってしまえば、たとえ話的な役割を担っていることになる。子どもに、道徳を教えるために、童話を通して教育するのと同じ感覚か。ちょっと違うか。そうなると、小説にはそれぞれ伝えたいことがあるというわけか。
作家の思いつきでしかなく、特にそこには現実の想いが込められていないと考えていたが、どうやら違うようだ。すいません。
んー、ここまでに書いたことを総括して、どう伝えればよいだろうか。何と記事タイトルを付けようか。。
うん。小説には作家の想いが詰まっているでいいんじゃないかな。きっと、そういうことをぼくは言いたかったのだと思う、多分だけど。