- なんでも覚えておこう教が嫌い
- 無駄な暗記をしている人を褒め称える風潮
- 頭の容量を有効活用
- 生きていくうえで暗記すべきことは、他人の名前くらい。
- 知識で頭を固めていくと、ガチガチになる。
- 興味のあることだけに、全力でいく。
興味のあることにしか努力が出来ない。
めちゃくちゃ単純なことだったり、初歩的な情報だったりしても、興味を持てないと頭に入ってこない。頭に入ってこないというよりも、入れる気がさらさらない。
「これを覚えておかないと死ぬ」くらいに、自分の生命と直結でもしない限りは、記憶力を使う気になれない。
なんでも覚えておこう教が嫌い
とにかく暗記することを、めっぽう褒め称える人たちがいるが、なんかどうも受け付けない。不必要なことまで記憶する努力がもったいないし、その場で情報を確認しながら作業出来る環境であるのならば、それを利用すればいいだけのことではないだろうか。
試験勉強ならば、頭に情報を無理にでも詰め込んでおかなければならないが、そうでないのならば、その都度確認をしたらいいだけのことだ。
なんだか、その辺りのライン引きを上手く出来ない人がとにかく多い気がしている。
無駄な暗記をしている人を褒め称える風潮
そんなことまで覚えていて凄い!
みたいな感じがどうも苦手だ。
どんどん忘れてしまっていいし、忘れた分だけ新しいことに挑戦したり、何か面白いことは無いかなと、頭を動かしてみるほうがいいんじゃないだろうか。
今はインターネットを利用したら、すぐに答えを得られるし、また、メモ書きを利用するなりで、情報をすぐに引き出せる環境だけ整備しておけばいい。
暗記凄いの人たちは、ネットに慣れてないおじさん世代が多いと感じる。
頭の容量を有効活用
記憶を留めておくことは、結構面倒だ。
とにかく頭の中で、何度も何度も思い返すことが必要とされる。
ただ、身体で覚えてしまえば、頭を遣わずに勝手に反応するようになるので、頭の容量を使わなくなるが。
長期記憶が壊れてしまい、新しい情報を習得できなくなった人の話を読んだことがある。記憶に留められるのは30秒間だけという、本当に今この瞬間のみを生きていることになる。『ぼくは物覚えが悪い:健忘症患者H・Mの生涯』
しかし、新しい事実を全て記憶不可能になったかと言えばそうでは無かった。身体で覚えたことに関しては、記憶になくても自然と対応出来るようになっていたそうだ。
生きていくうえで暗記すべきことは、他人の名前くらい。
試験勉強などを除いてしまえば、真に暗記を求められるのは、他人の名前を覚える時のみであろうか。
常時、名札を全員が付けているような職場であれば、覚えなくてもどうにかなるのかもしれないが、そうはいかない。
名前も覚えいないということが相手に知られてしまえば、間違いなく不快に取られる。誰だってそうだ。
一切、自分に関心を持っていないということが判明するからだ。
知識で頭を固めていくと、ガチガチになる。
知識に頼り過ぎていると、頭の固い人間になる。
何に対しても情報のみで対処しようとする。
規則やルール以外のことを考える力が不足してくる。
とても洗脳しやすい状態と言える。
常識という言葉に人生が支配されていくだろう。
そうなりたくなければ、考える力を養うことが大切だ。
そのためには、自分はどう感じたか? 自分ならどう判断するか?
という、自分軸をしっかりと打ち立てていくべきだ。
興味のあることだけに、全力でいく。
興味のある分野を持っているのなら、それに向かって全力でいけばいいと思う。
少しも面白いと思えないことや、嫌いなことに努力を費やしてみたところで得られるモノはわずかでしかない。
それよりも、好きなことの知識をどんどん吸収していくべきだ。
その方が、間違いなく効率的である。
好きでないことに対しては、余計な努力は捨てて、必要最小限の暗記力でやっていこう。