怒りを相手にぶつけなければならない。
我慢ばかりしてきた。
怒ることを抑圧し、自分の意見や考え、気持ちに蓋をし続けてきた。衝突を避けるために。
それが正しい行為だと考え続けていたから。
いや、思わされていたと言っていいのかもしれない。
忍耐不足だと思っていた。
もっと純粋に怒りを爆発させてしまっていいとは考えていなかった。
相手を傷つけることを恐れていたわけではない。
結局は向こうからの反応に恐怖を感じていたのだ。なんと言われるか分からない。どう刃向かわれるか。どう反論がくるか読めない。
自分が傷付くのが嫌だったのだ。
しかし、この33年ほど我慢に我慢を重ねたため我慢の限界はきた。
言わなければならない。自分は非常に怒りっぽく偏見と理不尽に満ちた人間であると伝えなければならない。でなければ、この苦しみから抜け出せない。
善人ぶり、何を言われても良いという姿勢は終わりだ。腹のなかで何人の人間を殺してきただろうか。
自身の怒りを収めるために人間関係を避けてきた面もある。
今から思い返してみれば、高校時代の自分は大いに怒りを抱えていたのだろう。
世の中の理不尽さを1番肌で感じ取っていたように思える。
何の自由もなく抑圧された環境。自分の意志や意見は完全に奪われ、周囲からの評価のみが絶対的価値観であった。
その理不尽さをきっかけに、怒りを上手く扱えるようになったのであればよかったのだが、、そうはならなかった。
心が折れたのみだった。
言いにくいことや、言ってしまい後悔することもあるだろう。
自分が絶対的に正しいと思えることはないだろう。だが、言わなければならない。
相手よりも自分のほうが正しいと少しでも感じるのならば、伝えなければ。
自分の父は怒れる男だった。
それを恥と感じていたが、今はわかる。
正しかったのだ。父を尊敬すべきだった。
これからの人生は、怒る訓練ですごしていきたいと思う。
哲学者、中島義道先生の名著。
これを読めば、価値観が変わること間違いなし。読まないとめちゃくちゃ損をする。