思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

強制参加のイベントを企てる人間が嫌い。



強制的に何かの行事ごとに無理やり参加させる人が本当に苦手である。


集まりたがる人々

とりあえず集まればいいと思っている人がとにかく多すぎると感じている。

メールでのやり取りやラインでの連絡のみで済ませるのでなく、顔を向き合わせることに意味があると考えるのは古いのではないだろうか。

古いというか無駄が多いと思う。

情報のみ流してほしい

テキストベースで渡して、それを読んでみて理解に至らない部分についてのみメールで質問をしたりする形式でいいのではないだろうか。

今は誰もがスマートフォンを持つ時代になったのでPDFファイルで送信しても、パソコンを開かずに確認することが出来る。


リアルタイムの無意味さ

リアルタイムでの質疑応答の形式に固執する意味があまり分からない。


集まることは時間の無駄だし、もし呼び出すのであれば、時間を奪うことに対して、適切な金額を支払うべきだと感じる。
まあ、お金を少しばかり貰ったところで、参加する気はサラサラ無いのだが。

どうしてもリアルタイムにこだわるのであれば、ライブ配信でもいいんじゃないか。

コミュニティ参加者限定で生放送を出来るサイトは幾らでもあるのだからそういうのを利用したらどうだろうか。
また、単に、文書で渡すよりも話すことをしたいのならば、動画形式で渡して貰ってもいい。


やった感を出したいだけのこと

結局、集まることにこだわる人たちは、具体的に実績を残したという確証が欲しいだけのことではないだろうか。
自分たちは頑張っていると思いたいだけのことである。
連帯感や仲間意識、チーム、こういった言葉を押し付けてくるのはやめて欲しい。
そもそも本当に情報が欲しければ、自分から働き掛ける。


まあ、大半の人たちは効率性なんてことを考えないし、ダラダラと関係の無い雑談が9割型の会議みたいな事をして、時間を浪費している。

別にそれが好きな人は幾らでも、そういうことに時間を遣えばいいが、好きでない人まで巻き込まないで欲しい。


おわり。

あまり働かずに生きるために、お金を遣わないようにしている。


最近、あまり労働をしない日々を過ごしていたのだが、若干職場でバレていた。

大抵の人は誰がいつ休んでいるかとか気にしていないのだが、気にする人は気にしているようで勘付かれた。

「最近あまり見掛けないけど働いてる?」と尋ねられ、「ハハッ...」と曖昧な笑顔でやり過ごす。


無理して働いても仕方がないというか、休日を減らして頑張って給与を少しでも増やす努力をするよりも、少ないお金でいいから1日でも多く自由な日を手にすることを目指している。

あまり働かないでいい状況を構築するための努力ならば全くもって惜しくない。幾らでも頑張れる。
働かずに済ませるための努力について考えたい。

お金の掛からない趣味を持つ

これまでに散々書いてきたと思うが、まずこれが大事である。
ほぼ無料で楽しめるようにしておけば、趣味のために頑張って働くという選択を取らなくて済む。
自分は読書とインターネットさえ出来れば満足なので、お金が本当に掛からない。

本は基本的に図書館で借りてくる。二箇所の図書館を利用しているので、読みたい本はほとんど見つかる。新刊も図書館に併設されているブックカフェを利用しているので、無料で読めてしまう。
時たま書店で買うこともあるが、読み終えるとすぐにAmazonとかヤフオク!で出品してしまうので半分位は購入費を取り戻せる。

インターネットも契約しているポケットWi-Fi代金のみしか掛かっていない。
ネットで何か課金してゲームをする訳でもなく、SNSをするか動画を観るか、ブログを書くという作業しかしていない。
ブログは有料アカウント代金が発生しているが、アカウント代金くらいはブログの広告収入で賄えているので問題ない。


食にこだわらない

僕は全くもってグルメじゃない。
毎日同じ物を食べても飽きないし、嗜好品を沢山買ったりもしない。
米と味噌汁と納豆と豆腐と野菜とかがメインで、たまに肉や魚。
健康を維持出来ればそれでいいと思っている。

買い物をしない

僕は買い物をしない。
洋服なんて自分でいつ買ったか思い出せない位だし、電化製品とかにも興味がないし、ゲームもしないので物を一切買わない。
物を買うときは誰かにプレゼントする時くらいだろうか。
どちらかと言うと、ミニマリスト的な感じなので、物を持つことのストレスが大きい。
なんでもいいから物を手放していきたいと常々考えているので、不要な物はネットでどんどん売っている。
そうやって物を売って得たお金で、日々の細かい支出を賄っている。
仕事の時の昼ごはん代金くらいは出せているんじゃないだろうか。


気乗りのしない誘いに乗らない

惰性の飲み会とかが本当に嫌いで、行きたいとあまり思わないイベント事には絶対に参加しない。
全て無料で交通費も支給しますとかでない限りは行くつもりない。
興味の持てる面白いイベントごとには、幾ら払っても惜しくはないが。
誘いを1つ断るごとに、今日は3千円得したなーとか考えたりしている。


お金を遣わない生活は頭を使う

お金を遣わないために、ただ1日家に篭ってテレビを観ているとかは出来ない。
また、1円でも安い食材を求めて激安スーパーを巡るとか、そういった世間で言われている節約術とかも好きでない。
普通に外出したり、好きなことを楽しんだりして面白く生きたい。
ただ1つルールとして決めていることは、「お金にあまり頼らない楽しみを軸にしている」ということだろうか。
世の中、面白いことはお金が必要だという考え方は少し間違っている。
僕はこうやってブログを更新しているだけでも、とても楽しい。
何処かの誰かに読んでもらえるかもと考えるだけで嬉しくなる。
また、文章を作ること自体が魅力的な遊びなので飽きずに続けられる。


僕は働きたくない。
完全に働かないでもいいような環境を構築することは難しいけれども、あまり働かないでもいいように工夫することは出来る。
どうやればいいかと言えば、お金を遣わないことに尽きる。
もし遣ってしまったときは、その遣った分だけ何かで稼げないかと考える習慣を身につけることが大切だ。
また、少しでも生活に無駄があれば省いていくことで実現可能だ。
最低どれくらいのお金があれば、生きていけるかを把握しておくことが大切だ。


おわり。

有給をなぜ取るかなんて、いちいち聞くなよ。



有給を取るのに理由を書かせるような会社があることを初めて知った。

初めて知ったと言っても前職含めて2社しか経験していないし、そういった会社のシステムとかについて知る気もないので情報を持っていないだけのことであるが。

ツイートへのリプライを見ていると、理由なんか書かせるのかよ!みたいな反応が多いので、そんな会社は滅多にないのだろう。



僕が勤めてる会社は有給の事由なんて書くことはないし、何処で何をするかなんて誰にも言わない。

そもそも、何かをするために休むということをあまりせず、とりあえずそろそろ休むかという感じに、何もしない為の休暇をよくとっている。

持ち帰り仕事もなく、何日も休んだところで仕事が溜まるような業務内容ではないので、休んでばかりいる。


もし、有給取得事由を書くとすれば、疲れたのでと書きたい。

いつでも体調が悪いです。


いつだって疲れている。
体調が万全は日が実に少ない。

なにかしらのドーピングが欲しいくらいだ。
だが、自分の体内で生成できる回復物質以外を無理に取り込んだとろこでその後の反動が大きそうで嫌だけれども。



その日の気温にまず左右される

暑過ぎても寒過ぎてもダメで、日差しが強い日もダメ。
雨の日などの低気圧にやられる人々もいるけれど、それはあまり分からない。

適切な睡眠時間が分からない

一体何時間寝れば快適に動けるのだろうか。
平均睡眠時間は5、6時間だろうか。
それ以上寝ることがあまり出来ず、自動的に目が覚めてしまう。
10時間とかでも寝ていられるみたいな人たちが羨ましい。。。

何をするにも目を遣わ無ければならないのがしんどい

自分はネットをしたり、本を読んだり文書を作ったりするのが趣味なのだけれども、どれも目を遣わなければいけないのがキツイ。
目を使うことなく作業出来たらどれだけ楽だろうかと思ってしまう。

最悪の場合ばかりを想定してしまう

起こりうる可能性のなかで一番悪い結末を思い描いてしまう。
リスクヘッジ的な意味ではそれでいいのだろうけれども、たまにそのイメージに引き摺られ続けてしまうことがある。
そうなると正直、ストレスになり、心身へのダメージが蓄積されていく。
完全なるストレスフリーを求めて生きているのだが、なかなかにその実現が難しい。

長時間、他人と過ごすのがしんどい

長い時間、誰かと共に過ごすのがだるい。
全くもって気にかける必要が無いくらいの相手ならばいいのだけれども、仕事場となるとそうはいかない。
一回り以上、歳上の社員たちに気を遣わなければならない場面は多々あるし、休憩室が全員同じ所というのはきつい。
まあなんにおいても、望んでもいない介入をされ続けたりするのが心底嫌いという感じである。



体調が万全だった頃はどの様に過ごせていたのだろうか。
その頃の気分をさっぱり思い出せない。
若い頃時は身体が軽かったのだろうか。
20歳の身体を思い出してみたい。


おわり。

生活にルールを入れよう。決断エネルギーを貯金するために。


1日のなかで人が決断をする回数は約9,000回もあるようだ。

人は一日9000回の決断をする! "決断疲れ" を避けるための3つの方法 | コラム

京大法学部の学生がそう書いているからそうなのだろう。(権威などに弱い)


そんなにも脳を酷使していると、絶対的に疲労をしていくと思うのでなるべく決断回数は小数に留めておこうと考えている。

そのためには、生活のルールなるものを決めておくことがいいと感じる。

といった話を、先日読んだ『無敵の思考 ――誰でもトクする人になれるコスパ最強のルール21』で書かれていた。
著者は元2ちゃんねる管理人のひろゆきだ。

先ほど9,000回と書いたが、コロンビア大学の教授が調べたところ、人は1日に選択できることは70個くらいしかないそうだ。
圧倒的に足りないじゃないか。。。

ひろゆきが、情報を入手して選択するということは、かなりエネルギーが要ることだと述べている。自分もそう感じる。

なので、自分が決めたルールを並べてみたい。


選択肢を減らすためのルール


カフェインを絶つ

身体への負担が大きいなと感じていたカフェインの摂取をやめることにした。
飲むと頭痛がしたり、身体の節々が痛むことがある。
あと、とにかく寝付けない。夕方頃に飲んだはずなのに明け方まで眠りにつけない。
自分にとっては百害あって一利なしとなったのでやめた。サヨナラ、カフェイン。


炭酸飲料を絶つ

学生時代には、コーラなどの甘い炭酸飲料をよく買っていた。
買っていたといっても、一口飲んだら飽きていたために、捨てるか誰かにあげていた。
そんなことしてまで無理に飲む必要はないなとおもったのでやめた。
緩くなったコーラを飲んだ時の、気持ち悪さも苦手である。こんな砂糖の塊を口にしていたのかと驚嘆した。


アルコールを絶つ

アルコールをやめた。
元々嫌いだったのだが、大二病的なものに罹り、ガハハと笑いながらビールを多量に摂取できるアナーキーな若者になりたいなと思い、飲み会にいそしんだ。
また、酒を飲めるのはカッコいいとかモテることだと勘違いしていた。
あと、その頃は極端に人見知りだったので、酒の力で乗り切ろうと頑張っていた。
ある時、シラフのほうが頭がクリアに働くし、身体もすごい楽じゃん。という事実に気が付き、呑むのをやめた。


1人では外食をしない

食事をするならば自炊で事足りる。
というか、自炊でもしなければ栄養に偏りのない食事を摂ることができない。
低価格で食べられる食事は炭水化物が中心だ。
また、外食は他人とのコミュニケーションツールとしか思えない。
そういった理由により外食を1人ではしない。


買い物をしない

買い物をするのは本当に必要に迫られた時か、誰かの為である場合がほとんどだ。
自分の欲を満たすために買う物と言えば、書籍くらいだろうか。

基本的には図書館で済ませているのだが、新刊となると自分で買うのが手取り早い。
時間がある時はブックカフェなどで読み終えてしまうのだが、仕事が続いている時は、通勤の行き帰りで読むために買っている。

当たり前の話になるが、買い物をしないという選択をすると色々と楽になる。
まず、お金が減りにくくなる。
また、買うかどうかについて検討する時間や手間が一切無くなる。
僕は物を買うという行為に凄くストレスを感じるので、買い物をしない生活はとても良い。


服を減らす

ミニマリストではないが、洋服の数は少なく留めておくのがいいと思う。
何を着るかで迷う必要が無くなるからだ。

服を買うなら、捨てなさい』をこの間読んだけど、凄く共感できた。
同じ種類の洋服を複数持っていたところで、結局、1番お気に入りのやつしか着ないんだから何枚も持つ必要はない。

学生時代は毎日の様に違う服を着ることに情熱を燃やしていたけど、今となってはどうでもいい。
そんなことを頑張るよりも、きちんと洗濯して綺麗な状態にして着るなどに気を遣ったほうがいい。
清潔感を保てれば、何を着ててもいい。


決断を減らすと、自由時間が増えた

何も考えないでいい時間が増えたというか、決まったワークをこなすだけでいい作業的な生き方ができるようになった。
ここまでに挙げてきた例は一部に過ぎなくて、ほとんど無意識レベルで習慣化させていることは、こまごまとある。

大きな決断に遣うエネルギーを貯めておけるようになった気がする。
それでも、心が折れてしまったり、逃げ出したくなることはよくあるけれども。

そんな人生。



おわり。

ブログはたいしたものじゃない。



ブログをするならば毎日更新しなければならないだの、字数は千文字以上は書かねばならないだのと、偉そうに御託を並べてツラツラと語りかけてくるやつらは多い。

そんなものを一つ一つ信じて実践しようとするから、ブログを書く行為に嫌気がさしてくる。



単なる生活記録であり、大げさな意味はない

ブログを通して自己表現を行い、有名になりたいだの何か形を残していきたいだのと夢を語るのもいいが、そんなものは書き方一つでどうにかなるものではない。

そもそも、どれだけ面白い経験や情報を持ち合わせているかということだけが大切だ。

ネットで調べても得られないような話、興味深い経験を語れるかに尽きる。

それこそ、どれだけ文章が下手で読みにくかろうとも、人は面白いと感じれば読んでくれる。

気取った言葉を並べ、出来る男を演出したところで、中身が伴ってないのであれば見向きはされない。


では、特殊な経験もなく、誇れる学も技能もない場合はブログをしたところでどうしようもないのか?

どうしようもなくはない。


とにかく考え続ける

何か1つの事象に対し、あれやこれやと、しつこく思考をこねくってみるのがいいのではないか。

そこから結論が生まれなくとも、どれだけ考え続けたかのプロセスが大切であり、そこに何か興味を持ってもらえればいい。

また、そうやって考えてみることは実に良い習慣た。
何でもないと思えることを深く観察し続けるその眼を養うことが出来るからである。

その習わしが身につくと、危険に対する感度が高まる。
あらゆる未来を想定することが出来るようになり、危機的な状況を回避できる可能性が高まる。

その観察眼を育てるのにブログは役立つ。

継続が大切

とにかく続けることが大事である。
続けてみて分かることと、分からなくなることがある。
そういったものは、誰かに教えてもらったところで納得には至らない。
自分で経験してみて初めて理解できる。



おわり。

なんとなく続けられる趣味を持つと、生きやすくなる。



気力が薄れてきても、「なんとなく続けられる趣味」みたいなモノを幾つか持っておくと生きていけるなと感じている。


別に趣味とまで言わなくとも、気が付いたらやっていることであったり、それに向かい合っている時に心が安定してくるみたいなコトである。

そんな趣味を見つけるにはどうしたらいいのだろうか。



結果を求めない

見返りを求めて何かをやり続けるのは、しんどいし、嫌気がさしてくる。

例えば、自分の場合は読書が趣味なのであるが、決して読書でお金を稼げるようになれると思っていたり、知識を多く持てるようになると考えているわけではない。

ただ、日常では知り得ないような、不思議な体験をしたいだけのことだ。

お金のことばかり考えていては、きっと読書をとっくにやめてしまっているだろう。

無理に継続させるために、勉強に逃げ続けるのはよくない

まずは何事も下準備が大切だと、勉強に逃げる人が多い。
例えば、絵を描けるようになりたいと思った時に、わざわざ絵画教室に通い始めたり、通信講座を受講しようとする人がいる。
他には、料理を出来るようになるために、料理教室に通い始める人もいる。

そういった「勉強」に逃げていては、いつまで経っても、なんとなく続けられる趣味には成らない。

勉強としか捉えられなくなるからだ。

幼い頃に好きだったことにヒントあり

人は少しずつ変化をしていくし、考え方や物事の見方は変わっていく。
だけれども、幼い頃に好きだった遊びはいつまで経っても、好きであることは多い。

自分は読書と絵を描くことと、文章を書くことが好きだった。

それは今でも同じである。

それらは、ストレス無く継続することができる。
そういうものを見つけていけたら、生きやすくなる。

お金になるかどうか、日常生活で役立つかどうか、といった事ばかり気にする人が僕は苦手だ。

もっと、楽しいかどうかだけを考えてみたらいいのに。


おわり。