思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

数多くの情報に触れることは大切。

常時、何かしらの情報を受け取っていようとインターネットを見続けたり、本を読んだりと文章を読み続けることをする日々が最近はよくある。

いつもネットを見てしまう理由は、暇だからというよりも、まだ自分の知らない面白い話、世界が何処かにあるんじゃないかという探究心に基づいていることが理解出来てきた。

情報の取捨選択や、質について考えることが以前は多かったのだが、今ではとにかく量をこなしていけばいいのではとの結論にたどり着いた。

良質なものだけを探すには、キュレーターに頼ることがいいのかもしれないが、それでは自分で新しい価値観を見つけ出していく力が養われない。

あらゆる物事を観察し、そこから何かしらの感じるものがあれば、それを文章にしてブログに書いたりTwitterで呟いたりする。その繰り返しに尽きる。


ここ1年ほどで、なんとなくではあるが、自分なりの情報のインプット方法みたいなものが感覚的に掴めるようになってきた。
それを言葉で表現するのは難しいが、とりあえず日々の訓練が必要だなと感じている。

これからもあらゆる情報に触れて、自分なりの考えを示せていけばいいなと思っている。

感情が揺れ動く時に、ブログを書きたくなる。

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

面白い本を読んだ後とか、誰かしらが発した何気ない一言が妙に胸に刺さった時とか、自分の感情が揺さぶられる様な体験と出会った時にブログを書きたくなる。

また、激しく絶望した時などマイナスの心情に支配された際にも言葉が出てくる。

何か特別な体験をし続けなければブログを書けないということはなく、平凡な毎日を送っているだけでも、書けることは出てくる。

無理矢理に、何も感じない時にでも書こうと思えば書けるが、うまく言葉が出てこなかったりはある。

やはり、衝動的にブログを書きたくなった瞬間を大切にするのがいいのかもしれない。そんな時は、最後まで詰まることなく、すらすらと言いたいことが出てくる。

途中で、ブログ更新を止めてしまった人々、もはや伝えたいことが無くなってしまったのだろうか。
もし自分は、誰にも読まれることがなくなれば、更新をやめてしまうかもしれないが、だれか1人でも読んでくれて、少しでもレスポンスがある限りは続けていけそうだ。

文章を書くことは、衝動を大事にすることが大切だ。
書きたいと思えたその気持ちが冷め切ってしまわないうちに、頭の中にある言葉を出し切っていくべきだと感じる。

サウナは慣れると、最高の遊びになる。

今日は久々にサウナに行った。

色々忙しかったりでずっと銭湯に行けていなかった。
1ヶ月以上振りに存分にサウナを満喫出来てとても良かった。

今日行ったところは初めて訪れるスーパー銭湯だった。そこで、ドライサウナに入ったのだけど、フィンランド式サウナよりも身体への負担が少なくて長時間入っていられた。湿度が低いってだけで、こうも変わるのかと感じた。
フィンランド式は湿度が70%くらいなのに対して、ドライサウナでは10%ほどしかない。
入っていると、髪の毛とか普通に乾いてしまう。
室温はドライサウナのほうが100度前後と、高めに設定されている。だけど、あまり熱さを感じなくて、ずっと入っていられそうだった。


サウナと水風呂のローテーションを1時間くらい、ぐるぐると回していた。

一緒に行った人は、水風呂が初で結構発狂していたけど、徐々に入り方のコツに慣れていって最後のほうは大丈夫そうだった。
とにかく水風呂では、一度入ってしまった後はひたすらにじっとして姿勢をキープしておくことが大切。
全身にオーラみたいなモノがまとってくる。それに守られている間はあったかい。だけど、少し波が起きて、オーラが崩れてしまうと一気に冷たくなる。

水風呂は何度も挑戦していると、だんだんと慣れてくる。慣れてくるといってもメンタル面だけ。身体的には完全には攻略出来ない。入っていく瞬間は結構耐えなきゃいけない。そんな思いしてまで水風呂に入る意味があるのかと言われそうだけど、サウナと水風呂のワンセットの心地よさを一度覚えてしまうと、入らずにはいられない。


サウナはとにかく心身共に安定させてくれる作用がある。
すごい気持ちが落ち着いたし、身体の調子も整った。


これからもなるべくは定期的にサウナに入りに行きたいな。
出来れば、ワンコインくらいで入れてしまうサウナが近場にあればいいんだけどな。

今後、何かしら新しいことに挑戦していきたい。



色々と時間に余裕が取れそうになってきたので、新しいこととか、自分の欲しい習慣を取り戻したりとかをしたいなと思っている。


したいことをまとめ直すために、記事にした。


今後やりたいこと


不要物の処分

まず、やりたいことの1番手に挙がるのは不要物処分。
特に物を多く買っている意識は無いのだが、生活しているだけで気が付けば所持品が増加している。
物が増えていくと、収容場所を増やそうと本来は必要でない収納ボックスなんかを買い始めてしまう。そうなればもう手の付け様がない。限りなく物が増殖していく。
整理整頓が苦手な人は、収納場所ばかりを増やしていき、物を手放す習慣が無い。


本を多く読む

ここのところ随分と、読む冊数が低迷してしまったので、初心に戻って読書していこうと思っている。なぜ、そんなにも本を読むことにこだわるのかと言えば、本を読まないと文章を書けなくなるからだ。
頭の中で言葉をまとめられ無くなったり、言葉遣いが分からなくなる。
読んだ分だけ、文章を書けるようになる。つまり、読まなければ何も書けないという訳である。


漫画を読めるようになる

よっぽどハマらない限り、漫画本は読む気になれない。絵が邪魔だなとか、内容が薄っぺらいなとか感じてしまい、漫画に集中出来ない。ちょっと前に読んだ、楳図かずおの『漂流教室』はしっかりと読めたのだけれども。
漫画の世界からも何かと学びはあるので、読めるようになっていきたい。


自炊する

外食ばかりしているとお金が凄い勢いで出ていく。
なるべくならば、自炊のみで食事は済ませたい。
作るのが面倒だからとの理由だけで、たいして面白くも無い様な店に入ってまで食事を取りたくない。
自炊する能力と知恵の無い人が、罰ゲーム的に多額の費用を納めて食事をするのが外食だ位に自分は思っている。


絵を描く

ネット上で文章のみで表現していくのは限界があるなと感じているので、絵もやっていこうかなと思っている。
ただ、紙に絵を描くことをしていると、誰かに見られた時に恥ずかしいので、デジタル上で描ける様な環境にしておくのが良いかなと思っている。そうなれば、ペンタブがやはり必要かもしれない。安物でいいから買おうかなと思っている。これまでに2回ほどペンタブは購入したことがあるのだけれども、絵を描くことが長続きはしなかった。
また続くかは分からないけれど買ってみようかなペンタブ。

新しい自分を見つけていく

新しいことに行動を移すのは、体力とか気力が求められるが、現状のみを維持し続ける人生ってのはとても味気ないし、面白味もない。
これは良い習慣だなと自分で思えたことは継続してみたり、過去に挫折したけれど又やってみたいなと感じたことは再挑戦していった方が楽しい。
今までに1度もしたことの無いことをやってみると自分の成長を感じられたり、新しい価値観が産まれたりしてきて面白い。
思い出話ばかりに倒錯していく人生とか、過去の武勇伝ばかり語るクソ親父になってしまわない為にも、新しい自分を発見していく作業は必要だ。

あらゆる記憶が混ざりあう。

あらゆる記憶が曖昧になっている。


過去に関わったことのある人間たちとの接触はどの様なものであったかが不確かだ。
当時の自分は、今の自分とはまるで異なる生命体に思える。
意識に、それほどまでに大きな乖離がある。

数多くの人々が通過していき、そこから少しずつ何かを学び得たり、思うところがその度にあったことは間違いない。

自分の今の人格に大いなる影響を及ぼした人物も多数いるのだろうが、それはもう潜在意識下に納められてしまい、はっきりとは判別が付かなくなってしまっている。



何もかもを変化させず一定のサイクルのなかで生きたいみたいな考え方をする人々もいるのかもしれない。
だが、人類は常に前進し、同じ環境を構築し続けるのは難しい。
そしてまた、その変化に適応していくことが我々には求められている。
適応出来ぬ者は排除されていき、時代の流れに取り残されていく。

新しい情報や文化を吸収し続ければ、ついていけるのか。
何もかもを受け入れる寛容性を備えていれば、発展的な人と呼ばれるのか。


確かに、柔軟性は必須であり、批判を繰り返すのみで他者を迎合できぬ者は狭い空間に居続けることになる。自己のフィールドのみを安息の地とする人生が待ち受けていよう。


何処にでもいて、何処にもいない。
そういった人間になることが大切だ。

能力があることよりも、愛されるキャラクターになる方が幸せになる。


せっかく自分で何かしらお金を得ていけそうな能力を持っているのに、それをフル活用出来ていない人って結構いるので、それはもったいないなと感じる。

別に自分は大した能力を持っていないから、それでお金を貰うようなことは出来ないし、タダでやってあげることでいいやと考えているのだろう。


それとも本当に能力があっても、お金に繋げることはなかなか出来ないものなのだろうか。
確かにインターネットなどでの世界では特に、キャラクター性のほうが重要視される。

皆に愛されるというか、気に入られるキャラを確立させていることのほうが、実力よりも必要となる。

あの人だから頼みたいとか、あの人だから力になりたい、とかの様な感じで。


いくらスキルを持っていようとも、面白いと思える様な人物で無ければ相手にされにくいという辛辣な部分が結構ある。


で、どの様に相手の懐に入っていくのかといえば、馴れ合いとかに抵抗を感じないタイプであることはまず最低限の項目かなと感じる。

馴れ合いウゼー的な人では、愛されキャラになっていくのは難しい。
あとは、偏見や嫉妬的な気持ちが少ないみたいなことも大切な気がする。
あのタイプの人間とは付き合いたくないとか、人の群れから基本的に逃亡する傾向の人では難しい。


かくいう自分も、偏見や嫉妬の塊だったり世の中、苦手な人間ばかりなのでダメだ。
まあ、そもそも何かしらの能力を持っていないので、少なくともキャラクター性だけでも磨いていかねば死ぬな、という気持ちはあるのだけれども…。



スキルを持っている人は、変なプライドとか捨ててしまって、どんな相手とでも積極的に関われる力を育てていこう。それがキャラクター性を成長させていくと思う。

体力がどんどん無くなっていく。

最近、異様に疲れやすいし全然体力が回復しない。

なんかちょっと誰かと話すだけでどんどん気力が消耗されていくし、笑顔とかを保つのも難しい。

みんなどれだけ体力が有り余っているんだよ、て感じる。

休日は最近、何もしないでずっと6時間くらいソファに寝転んで漫画を読んだりしていることが増えた。
何もしないをひたすらにしている。それでも体調が万全にはならない。

長時間寝続けることが出来ないのが問題なのかもしれない。
だいたい、細切れに目が覚めてしまう。
夜中に2、3度は起きてしまう癖が完全についている。
深い睡眠を取れていないということなのだろう。
まあそれでも、寝ないよりは全然マシだと思うのでそれでもいいのかもしれない。

前は、せっかくの自由時間なのだからと、もっと行動的になるように自分に言い聞かせていた節がある。
そんな無理してまで動き回ってもいいことはない。体調を崩して寝込んだりする可能性があがるだけのこと。

自分の身体をうまい具合に保つことを1番に考えながら生きていくしかない。