思考拡張日記。

日々感じたこと、学んだことを文章にしています。

生きるのが上手くはならない。


やらなくてもいいようなことで心を悩ませたり、買わなくてもいい物を買うことで経済的にも精神的にも負担を負ってしまったりとか、人間は本当に生きるのが下手だなと思う。

自分の判断ミスとかで、思ったような結果を得られなかった時とか凄くイライラするというか嫌な気持ちにさせられる。


なんでこうも、生きているだけで面倒なイベントごととか、厄介ごとに巻き込まれていくのだろう。

自分にとって少しも興味を持てないようなことにお金とか時間とか精神とかを使うことが本当に嫌いだ。

みんな好きにやってくれたらいいよ、自分と関わりの無い世界で、とか思ってしまう。

凡人がであるがゆえに、他者と関わり合いを持たねばならないし、社会に組み込まれていかないと生計が立たない。

なんかよりもっと、精神の負担が限りなくゼロに近付いていく方法とか、考え方とか生き方が見つからないものかな。

小屋作って山に籠るしかないのかな。

経験してよかったというモノ一覧。随時更新




経験したこと。

フライパンで米を炊く


あっという間に炊き上がる。
炊飯器が無くても生活出来そうだなということが学べる。
少し水の量が少なかったようで固めに炊き上がったけれども、充分な出来だった。




釣りをする。

思ったより釣れた。
無料で手に入った魚が、食料になるのは素晴らしい。


上司を車に乗せて運転する

緊張する。気を遣う。


汚くて狭い部屋に住む

どんな所でも綺麗に感じるようになった。


結婚する。

新しい家族ができる。
不思議な感じ。


結婚式をする。

お金が莫大に掛かったけど、面白い。
自分があんなに目立つイベントは他にないなと感じる。


披露宴でスピーチをする。

全然緊張しないし、目立つのは楽しいなと感じる。
もっと人前で話す機会が欲しいなと思う。

人力車に乗る。

気持ちがいいけど、値段が高い。


引っ越しをする。

うまく良物件に当たると嬉しい。
新しい街に住むのは、面白い。
散歩するだけでも楽しい。


SIMフリーを契約する。

固定費削減になって助かる。
回線速度は気にならない。
ハンバーガーとかドーナツに騙されている人たちはもったいない。


ネットに上がっているレシピを挑戦していく。

レシピ本が無くても、無限に遊べる。


ドット絵を打つ。

絵心が無くても、それっぽいモノが作れて楽しい。

サウナに入る

心身共に癒される。
普通に湯船に浸かるだけでは、すぐに飽きてしまうが、サウナを使うようになるとスーパー銭湯が楽しくなる。


また、追加していく。

自力で人生を切り拓いていくための、5つの条件を書いた。


自分しか信じていないし、他人に過剰に期待するということが無くなった。

人は人であり、自分は自分だなとよく思う。

相互理解が100%になることはあり得ないし、誰かを頼りながら生きることは非常に不都合が多い。


なるべくは自分で道を切り拓いていく力を身に付けておくべきだ。


その力を身につけるために、大切だなと思うことをまとめた。

人生を切り拓く力がつく、5つの条件


1.調べる癖をつける

まずは気になることは何においても、自分で調べる習慣を身に付けておくことは大切。
今はインターネットがあるのだから、少しでも興味関心や疑問を持ったのならば、直ぐにでもリサーチしよう。


2.調べたことに対してコメントを残す

調べるだけに留めるのでなく、その結果に対して自分の感じたことや思ったことを書き残しておこう。
例えばTwitterやブログで何かしら一言でも、自分の意見を添えて情報を共有する。
これを繰り返していくうちに、何らかの形で自分なりの意見を述べる力が身に付いてくる。
何か意見を求められた際に、何も答えられないといった状況に陥らなくなる。


3.自分にも出来そう、と感じたことに挑戦していく

これくらいなら自分でも出来そうだなと思ったことは何でもチャレンジしてみるのがいい。
出来るかどうかをウジウジと悩み続けるよりも、行動にとりあえず移してみるのが早い。
やってみると簡単にできた、とかの場合は多いので、恐れずにやってみることが大事。


4.気になる人物からトコトン学ぶ

有名無名問わず、自分が気になった相手がいるのならば、その人からどんどん学習していくのがいい。
自分の場合は、本の著者を対象にすることが多かった。
気に入った作家が見つかれば、その人が書いた本をほとんど読み込む。
また、その人がネットでコラムを掲載していたり、ブログを書いているならば、それも全て読んでいく。
その人が一体何を考えているのか、どんなことから知識を得てきたのか、といったことを吸収しようとする。
これは結構大切なことだ。
その人の口調を真似てみた文体で、文章を書くということも頻繁に行っていた。
その人物になりきってみると、より理解が深まっていく。


興味の持てることを追求する

興味を持てないことは、いくら頑張ってみたところで限界がある。
面白いと思えることは努力が苦痛に感じないので、1日中やり続けることが可能となる。
周囲に合わせてみたり、流行りのモノに流されるのでなく、自分が楽しいと感じることだけを全力で追っていこう。
そうすれば、他人が追いつけない位に能力が育つ。

終わり


ここまでに書いてきたことを全て実践出来れば、結構スキルが育つんじゃないかな。

ここ数年で、ひと昔前の自分よりも随分と成長を感じるし、もっと色々と学んでいきたいなという気持ちがある。

特に頑張っていたつもりは無い。
ただひたすらに好きなことだけをやってきたなという感じだけがある。

よりもっと、うまく生きていけるようにしていこう。

休日に外出することだけが人生じゃない。

無理に外出しても仕方がないな、というのを学んできた。

生産的な活動をしていかなければ、どんどん歳だけを喰っていき、何かしらの成功を収めることは出来ないと焦っていた頃とかあった。

焦っていたからといって、特段学びを増やしていた訳でもないのだけれども。

今はなるべくは、家にいるようにしている。
自分の趣味は、基本的に場所を問うことなく実行可能なものばかりなので、わざわざ外に出向く必要性がない。

読書であったりインターネットであったり、絵を描くことであったり、音楽を聴くことや漫画を読むこと。
全て、室内で出来てしまう。

街の風景を眺めてみたり、動物に触れたり、知らない場所を散策するのも好きだが、それを常に実行したいわけでもない。
知らない人間たちとの交流も常時行いたいわけもない。

そうなれば、家にいても問題などない。

やるべきことだけ済ませてしまえば、あとは自宅にいればいい。

余計なことをしてみても、お金を遣うだけの結果を招くのみであるし、自分を守ってくれる安全な空間である"家"にいよう。

お金を遣わないと、あまり働かなくていいという事実。


お金はなるべく遣いたくない。

物欲が無いからだとか、所有することのストレスを感じやすいからだとか、様々な理由はあるにはある。

だがそれよりも、お金を遣うことで働かねばならない時間が急増していくことが最大の要因だ。

支出が増えれば増えるほどに、自由な時間は失われていく。
自分の生き時間を売り払い、それに対しての賃金を得る。
とてもじゃないが割に合わない。

よほど何かしら抜きん出た才能や能力を持ち合わせているか、特別な資格を持っているかといった場合でない限りは、労働量・内容に見合ったものを得ることはできない。

または、命の危険性が高い仕事も高い賃金は得られる場合が多い。だが、そこまでしてお金を得るのはどうなのだろうとは思う。


気持ちに余裕を持たせ、何もせずボーッと過ごしてみたり、自分の興味のあることや楽しみを見つけていける人生にするためには、消費を減らすしかない。

真のお金持ちとは、お金の遣い方を正しく理解している人だと思う。

幾ら多く稼ごうとも、遣う必要もない場面で散財を繰り返している様ではいつまでもお金は貯まらないし、精神的にも満足は得られない。

お金を遣わない生き方が全面的に正しいとは思わない。消費人間がいるお陰で経済が回っているのは確かなので、遣いたい人間に消費活動は任せておけばよい。

適材適所でいこう。

お金がないなら、ブログでも書いたらいいじゃない。

銀行口座がスッカラカンになった。


お金が無いのでブログでも書くしかないかなという心境になった。


ブログで稼ぎまくるぞ〜!の意味で、書いていくというよりも、ブログを書く作業にはお金が掛らないという意味で。
お金が無い人はブログでも書いていれば、いいんじゃないかな。


ブログはお金にならないとか、その時間を遣ってアルバイトでもした方がよっぽど有意義な時間の遣い方をしているとか言う人がいるけれども、金銭のプライスマイナスのみで考えるのはもったいない。


なんか毎日の生活のなかで、嫌なこととか気になったこととかを、文章にしていくことで頭の中が整理されたりする。
あとは、良い文章を作るためには多くの本を読まないと書けないとか気付く。そうなると自然と読書習慣が身についたりする。
ネットでダラダラと情報を眺めている時も、こういう文章表現法があるのかと学べたり、この話題についてちょっと言いたいことがあるなーとか、そんな気持ちを表現する場所として便利。

そんな感じに良いことはあるので、貧乏な人はブログでも書いて無料で楽しみましょう。

普通の人生。

f:id:abitarou:20170822061039j:plain



与えられた課題をクリアしていくほどには、生真面目さは無かった。
あくまで、自分が楽を出来る、簡単に出来るレベルのことだけをしてしまう。
それでは何時まで経っても、次のステップへと進めないのではないだろうか。

相手のニーズに対して、答えられる力を身に付けない限りは、誰からも仕事の依頼というものはこない。
自分がしたいことだけをやり続けるのでは、必要とされる可能性は低い。

そのことを考え続けならが、随分と時が経過した。

じっくりと時間を掛けた成長が求められる瞬間というのは度々ある。
それらを全て避けてしまい、惰性による堕落した時間だけを過ごしてしまうのでは何も大きな成果を上げることは出来ないのではないだろうか。

そのことを理解しているのに、どうしても、楽を選択してしまう。
それが、凡人であることに自己を留めている最大の要因だ。

例えば、私は文章を作ることは好きであるが、それがコンペなどの公募に向けた物を書き上げるだけのチカラは持ち合わせていない。というよりも、それほどまでの根性と、知性を兼ね備えておらない。

それを出来るか出来ないかが、プロへと進めるかどうかの分かれ道なのだろう。
あくまでも、趣味の範囲に留めて、好きなことだけを書くのが好きである。
何か、時間を掛けて能力を磨いていくということに対しての忍耐力が不足している。
ただyoutubeで動画を観ていたり、どうでも良い様なネット上に転がる情報を収集するだけで人生を消費していく。

至って普通の人間であり、至って普通の人生しか進めない。

特別だと考えてみたりすることも度々あったが、結局は行動を起こせない。
行動を起こせる人間だけが、先へ進める。
誰に何を言われようとも、どんな風に蹴落とされ様とも。